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公民館という地域の”たまり場”について


私はこれまで、「たまり”場”というのは、あくまで固定化された場所のことであって、その場所に集まったことで生成される空間の事は、たまり”場”よりもたまり”空間”として理解したほうが良い」という旨のお話をしてきました。


しかし実際のところ、たまり場またはたまり空間というのは、会社の休憩所や居酒屋からカフェまで幅広く定義づけされており、場面によって大きく異なっています。こうした空間を精査するためには、特定の場所をしらみつぶしに考えていくしかないのかな、とも考えています。

そのため、今日は地域におけるたまり場から学びを得たいと思います。

地域における”たまり場”とは何か。
その代表的なものに公民館があります。


公民館という”たまり場”


1970年代、子どもから高齢者まで、様々な世代の人が交流することを目的として公民館というものがつくられました。小学校区または中学校区に1つ以上のペースでつくられ、それぞれの公民館には「○○地区公民館」という地区名とセットで配置されていくこととなります。

最近は文化センター、市民センターなどといった言い方がされることもあります。実は、この公民館構想で初めて”たまり場”という言葉が使われたとも言われています。

当時の文部省(現在の文部科学省です)の担当課長が
「・・・(中略)・・・地域住民の溜まり場となるよう・・・」と説明しています。


管轄は文部省ですので、公民館と教育を掛け合わせた”公民館教育”という形で全国に展開されていきます。そしてそれに呼応する形で、「公民館と教育」をテーマに多くの研究者がこぞって研究をはじめていきます。

余談ですが、
先日、当時出版された書籍を読んでいると、公民館におけるたまり場の特徴について以下のような旨の記述がありました。

【公民館におけるたまり場の特徴】
①自然に出来た場である。
②仲間うちでつくられている場である。
③一般社会から離れたその場の掟(ルール)がある。

すごく平たく言えば、たまり場は、自然に仲間同士でできる場で、その場には、その人たちにしか分からない独特のノリがありますよ、ということです。

確かに友人同士で飲んだりする時、その集団でしか伝わらない話や、キャラクターイジりはありますよね。そうした場合、たまり場の中にいる人は楽しい反面、全く知らない一般人は入り辛いですもんね。

ただ、私のこれまでの解釈からいうと、上記の特徴というのは厳密に言えばたまり”場”ではなく、たまり”空間”の特徴です。なぜなら、固定化された”場”は自然発生的にできる訳ではないですし、独特のノリというのは、その”場”にあるわけではなく、そこに集まった人たちによって作られたものだからです。

言い換えれば、たまり空間というのは、必ず”一緒にたまってくれる誰か”の存在が必須になる、ということです。

30年以上前の定義でも現代の私たちに大きな示唆を与えてくれます。

(1人で”たまる”ってできないのか?……)


公民館が衰退した原因


公民館が全国に設立されると、実際に多くの地域住民が利用しました。

自治会の会議、絵画教室などの講座、子ども達向けの夏休み催し物、子ども会のイベントなど、様々な活動が公民館で行われていきます。まさに文部省の思惑通り、地域住民の溜まり場となってきます。

同時に研究も蓄積され、学問的には”生涯学習”と名前を変えていきます。


しかし、この公民館も結果として衰退の一途をたどることになってしまいました、なぜなら利用料金を安価に設定してしまったからです。


「地域住民が手軽に利用できるように」ということを重視するあまり、設立当初から、会場賃借料を1時間100円や200円の安価に設定してしまいました。結果として多くの地域住民が利用することができたのですが、公民館としての収入はほとんどありませんでした。月々1万円、多くて2万円程度です。これでは、常駐するスタッフを雇うことは当然のこと、イベントを開催することすらできません。


行政からの補助金(指定管理)でスタッフを雇っていた自治体もありましたが、この補助金も長く続かず、多くの公民館が

スタッフが雇えない→
面白い企画を考える人がいない→
利用者が減る→
収入が減る→
スタッフが雇えない

という負のスパイラルに陥ってしまいました。

現在では、多くの公民館が消滅しており、現存している公民館でも、利用申し込みがあった時に担当が公民館の鍵を開ける、という場所を提供するだけの施設になってしまっています。


”たまり場”をつくる上で考えなければならないこと


以上が、簡単な公民館の歴史的系譜です。

最近はこうした”たまり場づくり”が再燃してきているところですが、まず考えてほしいのは、「それ経営的に大丈夫?」ということです。

みんなが気軽に集まれる場所をつくりたい!

と考える方が増えることは大変喜ばしいことですが、あまりにもボランタリー精神にあふれていると、こうした現実的な問題にぶち当たります。たまり場づくりで収益を求めていない方は別ですが、たまり場づくりにもお金がかかる、ということを改めて考えてほしいと思います。


もっと言えば、人は自分自身のテリトリー(たまり場)ができた喜びよりも、そのテリトリーを失った寂しさをより感じます。そのため、最初は思いつきでたまり場を作ったとしても、お金が無くなったのでやめます、というのはあまりにも悲しく、無責任なように思います。


現実的問題も見つつ、たまり場を作っていかなければならないな、と自分に言い聞かせたところで、今日はおわりにします。


次回は、公民館についてもう少し掘り下げてみます。

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