【第467回】『ディストラクション・ベイビーズ』(真利子哲也/2016)

 愛媛・松山の片田舎にある三津の渡しの船着場。人もいない船着場には瀬戸内海独特の穏やかな波が漂い、船着場に停留する船は小刻みに揺れている。映像に付随した不規則なドラム・パターンの上に轟くディストーション・ギターのリフ。この風光明媚な港町にも一つの波紋が起ころうとしている。海岸沿いに歩き出した少年・芦原将太(村上虹郎)はゆっくりと目の前に拡がる船着場の青みがかった海に目をやると、対岸に探していた兄貴・芦原泰良(柳楽優弥)の姿を発見する。「どっか行くん?」と大声で叫んだ直後、いきなり走り出して来た集団にボコボコに蹴られ、殴られる泰良の姿。鉄パイプで背中を殴られ、羽交い締めにして倒された男は、マウントで顔を何度も殴られる。あまりにも凄惨なリンチ現場、みるみるうちに腫れ上がる泰良の顔。事態の収拾を図ろうとする近藤(でんでん)の叫び声により、間一髪、致命傷は免れたものの、泰良は薄れゆく意識の中で、逃げ遅れた相手の片足に執拗にしがみつく。この異様なまでのケンカへの執着が主人公の心を支配する。近藤が吐き捨てるようにぶつけた言葉「いつまでこんなことしてんぞ、もうええやろが」にも彼の気持ちはいささかも揺らぐことはない。こうして誰かを殴りたい欲望と同時に、殴られたい欲望に支配された男の暴力ショーが幕を開ける。

とにかく主人公・芦原泰良の暴力に次ぐ暴力が情け容赦ない。男は弟の元を去り、繁華街をただあてもなく彷徨い歩く。その姿を監督である真利子哲也は正面から撮るのではなく、あえて後ろから執拗に背中を撮る。彼の前を歩くギターを背にした大柄な男。主人公の目は確かに彼を視界に入れているはずだが、背中からのショットではその視線の行方は一切明示されない。ゆっくりと左側の路地に吸い込まれる様子を観客に追体験させた後、突然惨劇は始まる。これ以外の暴力場面も発端はほとんどすべて芦原泰良の彷徨い歩く背中から始まる。では彼はいったい誰に対し、どんな目的でその強い暴力の矛先を向けるのか?それが我々観客にはまったくわからないのである。つまり今作における芦原泰良の暴力には理由などなく、ただ単に強い奴と殴り合いたいという欲求だけがフレームの中に充満する。「楽しければええやん」という言葉が泰良の内面を表す。この不条理な暴力をぶつける側とぶつけられる側のジリジリとした領域の問題は、昨今の不条理な暴力を体現するテロリズムのメタファーとして据えることも可能だろう。今作における理不尽な暴力は、銃や刀を介在しない。ただひたすら拳と拳で殴り合うのみである。青タンや出血はいざ知らず、時に鼻がもげるまで強烈に同じ箇所を殴りつける凄惨さは笑うに笑えない。もげた奥歯をコンクリートの上に置くショットもある。これは暴力を描いた映画であって、暴力そのものではないので、おそらく撮影は寸止めやハード・ヒットなしで行われたはずだが(幾つかの場面では実際に殴る蹴るが当たっていないのが確認出来る)、それでも我々観客には鈍い痛みがまるでボディ・ブローのように効き続けるのである。

殴り合う男たちの快楽と言えば、真っ先にデヴィッド・フィンチャーの『ファイト・クラブ』を想起するが、今作で繰り広げられる鈍い痛みは決して地下室の薄暗い部屋で開陳されたものではない。松山の夜の繁華街、大雨の降る路地裏、昼間の何もない公園で公然と可視化される光景。その実際の光景を嘲笑うかのように並列に並べられたニュース映像、監視カメラ、2chの書き込み、SNS映像など、幾つかのヴァーチャル・リアリティによるチープなメタ視点が、逆にその場で繰り広げられる生の痛みを助長する。それと共に、殴られる度に強くなり、ケンカのやり方を覚える芦原泰良の姿には恐怖すら覚える。ただ闇雲に相手の身体に当てるだけだった序盤の攻撃パターンが、中盤以降は徐々にカウンターを覚え、まさに無双の悪に染まる。そして暴力は連鎖し、何の因果関係もなかった2人を巻き込みながら、異端のロードムーヴィーとしての逃走劇が幕を開ける。そのカタルシスたるや、近年の日本映画の淡い感触とはまったく異質な様相を呈する。そのキッカケは汗にまみれた工場の青いつなぎを着せられてからだが、女を殴り倒し、ひたすら弱い奴を叩きのめすだけの相棒と、ただひたすら倒し甲斐のありそうな漢にしか興味がない芦原泰良では最初から主義・主張が違い過ぎる。むしろ小悪党だった少女が中盤以降、ファム・ファタールのような暴力性を白日のもとに晒す様子があまりにも素晴らしい。泰良がおもむろにかけた黒いサングラス、レイプされ、恥辱に塗れた女の凄惨な復讐劇をしっかりと描いたクライマックス。『渇き。』以降、『バクマン。』や『黒崎くんの言いなりになんてならない』で仮初めのヒロインを演じてきた小松菜奈だが、やはりファム・ファタール然としたキャラクターの方が断然良い。喧嘩神輿の喧騒、左手に握られたスパナ、たかだか120円の自販機のジュースの反復が来るべきラストのイメージを形成する暴力の連鎖には頷くものの、クライマックスの15分はやや蛇足気味で、段々と近づく警察のサイレンで終わりの方が、よっぽど全体のバランスとしては良かったと言えよう。個人的にはスクリーンで初めて青山真治『Helpless』を観た時の暴力衝動を久しぶりに思い出した。あまりにも見事な傑作の誕生である。

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