【第604回】『ボーン・スプレマシー』(ポール・グリーングラス/2004)

 『ボーン・アイデンティティ』におけるコンクリンへの警告から2年後、フランスの陸の孤島で幸せに暮らしていたはずのジェイソン・ボーン(マット・デイモン)とマリー・クルーツ(フランカ・ポテンテ)は、インドのゴアに身を潜めていた。様々な記憶の断片がフラッシュバックする悪い夢を見たジェイソンは脂汗をかきながら飛び起きる。アレクサンダー・コンクリン(クリス・クーパー)の「これは訓練ではない、わかっているな」という警告の言葉、聞いたことのない少女の叫び声。頭痛薬に手を伸ばす彼を心配そうに見つめるマリーの姿。ジェイソンは相変わらず酷い熱と偏頭痛に悩まされていた。彼らが潜むアジトの前には、美しく広大なアラビア海が拡がっていて、夜になっても鳥たちが泣き続ける。自然豊かな環境の中に身を置いても、心に平穏が訪れないジェイソンは手帳に苦悩する自らの言葉を綴り、翌朝、日課のジョギングに出掛ける。いつものコースを回り、ジュースを飲みながらいつもの癖で前後左右を確認する逃亡者の姿。その時明らかに異質な外国人を発見する。離れた場所にいるジェイソン・ボーンとマリーの姿を交互にモンタージュし、そこに迫り来る殺し屋キリル(カール・アーバン)を挿入するパラレル・モンタージュのテンポ。前作とはあまりにも異質な編集の性急なリズムにまず面食らう。

2002年に大ヒットを記録した『ボーン・アイデンティティー』の続編にして、旧3部作第2弾。ロバート・ラドラムの原作本でも2作目に当たる『殺戮のオデッセイ』を映画化した物語は、ユニバーサル・ピクチャーズと揉めに揉めて、最終的には降板騒ぎにまで至ったダグ・リーマンが製作総指揮という名ばかり管理職に降格。代わって『ブラディ・サンデー』の監督を務めたポール・グリーングラスに白羽の矢が立つ。まるでフリッツ・ラング『暗黒街の弾痕』のヘンリー・フォンダとシルヴィア・シドニーのように、スイス〜フランスと逃避行を続けながら、愛するマリーと自分探しの旅を続けた『ボーン・アイデンティティー』とは打って変わり、今作のジェイソン・ボーンは悪の凶弾に倒れた最愛の人の復讐譚に他ならない。前作にあったロマンス・ムードはすっかり後退し、ジェイソン・ボーンの静かな怒りだけが加速度的に増幅していく。1人に戻ったジェイソンの悲しきヒットマンぶりが、イタリア〜ドイツ〜ロシアの三ヶ国を股にかけて繰り広げられる。前作では自分がいったい何者なのかを巡る心理ドラマの持続が物語を活性化させていたが、今作は複雑な心理ドラマよりもアクションに特化する。マルチカメラで撮影されたショットを矢継ぎ早に積み重ねる苛烈なモンタージュ、手持ちカメラによる至近距離のアクション。ジャーナリストからキャリアをスタートし、ドキュメンタリーでのし上がったポール・グリーングラスと編集技師のクリストファー・ラウズは、IT化によってもたらされた衆人環視システムの網の目を掻い潜る主人公の姿を無尽蔵に積み重ねることで、アクションに革命を起こす。

まるで『女王陛下の007』のようなヒロインの死後、前作の黒幕だったワード・アボット(ブライアン・コックス)が静かに姿を現すが、前作でもう十分にジェイソンの恐ろしさを知ってしまった彼は、真綿で首を絞めるような恐怖にさらされる。前作で終われ続けたヒーローは一転して追う側に回り、無双の強さを誇るジェイソン・ボーンが次第にアボット長官のテリトリーに踏み込む展開は見事というより他ない。記憶を失くし、最愛の人まで奪われた悲しきヒットマンであるジェイソン・ボーンは喪失感に浸る間も無く、物凄いテンポでCIAの陰謀と石油利権を巡る醜悪な事件を暴く。だが彼は熱血漢というよりもむしろ、事態そのものを達観している。極めて冷徹な頭脳の持ち主である。それまで散々、IT化による現代の衆人環視システムにより、全方位から逐一行動をチェックされていた男が、CIAの長官パメラ・ランディ(ジョアン・アレン)のすぐそばで高みの見物に興じるカタルシス。見られるものが見るものに変わる攻守の逆転劇の妙。ファスビンダー・ファンにはあまりにも有名なベルリン・アレクサンダー広場の地下で、一度だけ感情を露わにした男の怒りは、新作『ジェイソン・ボーン』とも見事な鏡像関係を築く。

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