【第239回】『廃校綺談』(黒沢清/1998)

 96年、97年頃の黒沢はとにかく多忙を極めた。監督としての長編映画の仕事は年間4本か5本はザラで、それ以外にもテレビ用の短編作品も手がけていた。今振り返れば、黒沢にとってプログラム・ピクチュアの幸福な時代は既にほぼ終わりに近づいていたのだが、オファーのあった仕事は断らない誠実な仕事ぶりが内外で驚嘆されていた時代でもあった。またしても関西テレビの田中猛彦プロデューサーのオファーで、全3話の『学校の怪談』シリーズの最新作である『学校の怪談f』の話が持ちかけられる。全3話のドラマのうち、第1話と第2話は『リング』の中田秀夫が担当。第3話の26分間を黒沢が担当した。このドラマは制作会議をする時間がなく、脚本家である大久保智康が『CURE』の合間に打ち合わせをしていたのはあまりにも有名なエピソードである。その大久保は『CURE』のエキストラとしても、何シーンも通行人役をやらされたらしい 笑。

30年の歴史を持つ中学校がこの春、少子化の影響で残念ながら廃校になるという。主人公は中学2年生で、この学校よりも偏差値の高い中学校への編入が予定されている。ほとんどの生徒は残りわずかとなったこの学校での生活にやる気をなくし、クラスは学級崩壊のような様相を呈している。冒頭、高橋洋扮する校長先生のVTRでの講話が実に胡散臭い 笑。その思いは例によって生徒たちにはまったく響かない。主人公である友田(大沢健人)も友人である梶との残りわずかな友情を楽しもうとしている。

ホラー映画というよりも、まず目につくのはこの学校の殺伐とした無機質さであろう。担任であるベンガルも、用務員である諏訪太朗も明らかに大人が子供に接することを逸脱したヒステリックな教育を行っており、特に諏訪太朗の主人公をトイレに押し込める行動は明らかに常軌を逸している。後半のベンガルと主人公との会話の隔たりを明示する場面は、後の『トウキョウソナタ』においても井之脇海とアンジャッシュ児島のやりとりで繰り返される。それどころか8mm時代の処女作である『六甲』や続く『暴力教師・白昼大殺戮』でのサディズムな教師と、それを冷めた目で見つめる生徒とのコミュニケーションにも呼応する。黒沢映画において小学校や中学校、高校も連帯や仲良しとは程遠い事務的で冷たい関係性が目につく。彼は子供がいないため、商業映画の監督になってからはあまりそういう場面を積極的に書こうとはしないのだが、時折こういう委託された仕事の中にひょっこりと顔を出す。黒沢映画の弱点として、子供がまったく子供らしくないというのがある。

学級委員の円山都(鈴木未佳)は、学校の思い出をアルバムにして残そうとクラス会で提案するが、誰一人として関心がない。ここで円山に意見を言うよう指名された友田は、「やっても仕方ないのでは」と軽くたしなめるような言動をつぶやき、賞賛される。この思いがけない賞賛への戸惑いも『トウキョウソナタ』の原型とも言えるやりとりである。その後、円山と友田の微妙な隔たりがやがて思いもかけないような恐怖のきっかけとなる。それは大袈裟に言うならば、学校の思い出を大切に取っておきたい人たちと、思い出には固執せず、未来に向けて歩きたい人たちとのイデオロギー闘争である。まるで『カリスマ』における木を守る側と破壊する側の対立の構図が、この中学生の短編の中にもしっかりと潜んでいる。理科室の壁を破壊した犯人に対し、担任であるダンカンはただただ嘆き怒るのである。

風にたなびくカーテン、横移動の際、左側の抜けにいる幽霊など、その後の黒沢の恐怖の根拠が実に分かりやすい形で提示されている。半透明カーテンは、ここでは保健室のベッドのシートに敷かれている。保健室にあれ程異様なベッドもないと思うが 笑、友田はベッドの下に段ボールからこぼれた地球儀を転がしてしまう。その地球儀を拾うために彼の小柄な体はベッドの下に潜り込み、半透明カーテンを隔てたこちらの世界とあちらの世界はここであっさりと完成する。けたたましい物音と同時に、髪を振り乱した女の幽霊がゆっくりと近づいてくるのである。ホラー演出とは直接関係ないが、彼が地球儀で真っ先に無邪気に指差したのはアメリカという「ここでもないどこか」であることも忘れてはならない。

後半には幽霊に追い詰められる被害者となった諏訪太朗の姿があり、段ボールとゴミの山への唐突なダイブもある。『893タクシー』や『勝手にしやがれ!!』シリーズや『ニンゲン合格』や『トウキョウソナタ』で何度も繰り広げられた黒沢映画の刻印が観る者をたちまち魅了する。知らない人はきっと唐突な出来事だなと思うに違いない 笑。

エレベーターに出た幽霊は逃げられない閉所の出来事であるが、どういうわけかそれ程怖くない。それ以上に怖いのは屋上から手招きする少年の右手の身振りである。幽霊はあまりにも近づいてくると大して怖くないが、ロングの引き絵で一度観せられた後、急にアップになることほど恐いものはない。そうでなくても黒沢は『大いなる幻影』や『回路』のように高所から人を落とすから気が気ではない 笑。やがて佐野の証言により驚くべき秘密が明らかにされ、友田が彼の机の中身を引っ張り出すところは、新作『岸辺の旅』での一瞬での廃墟化に呼応する。この頃から黒沢の中には今につながるテイストがあったのである。

クライマックスの解釈は、黒沢フリークの中でも常に議論される『カリスマ』に次ぐ難問であるが、私はこう読む。主人公である友田も幽霊と交流を持っているが、同じように学級委員の円山も幽霊と交流しているのである。この学校に住む幽霊は冒頭、一瞬だけ校庭に後ろ向きで出て来る。おそらくあの幽霊の手配により、円山はこの学校の思い出を残そうと必死になるが、ほとんどの生徒はついてこない。だからこそのクライマックスのあの物体の落下だと推察するがどうだろうか?黒沢の純然たるホラー短編でありながら、ラストの解釈に黒沢フリークス度が試される1本である。

#黒沢清 #廃校綺談 #学校の怪談

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