【第335回】『ジュラシック・パーク』(スティーヴン・スピルバーグ/1993)

 アリゾナの砂漠地帯で恐竜の化石の発掘調査を続ける生物学者のアラン・グラント博士(サム・ニール)と古代植物学者のエリー・サトラー博士(ローラ・ダーン)は、突然やって来たハモンド財団の創立者ジョン・ハモンド氏(リチャード・アッテンボロー)に、3年間の資金援助を条件にコスタリカ沖の孤島へ視察に来るよう要請される。視察には、数学者のイアン・マルカム博士(ジェフ・ゴールドブラム)、ハモンド氏の顧問弁護士ドナルド・ジェナーロ、それにハモンド氏の2人の孫、レックス(アリアナ・リチャーズ)とティム(ジョセフ・マゼロ)も招かれていた。

冒頭、まるでインディ・ジョーンズのような国境を超えたトラベルが幕を開ける。アランとエリーは『オールウェイズ』のように互いに愛し合っているものの言葉には出さず、仕事だから一緒にいるという微妙な間柄である。アランにはもう一つ極度の子供嫌いというオチもつく。ハモンドの2人の孫は博士であるアランを尊敬し、熱心に恐竜のことで話しかけるが、アランは鬱陶しくて気に障る。その様子を微笑みながら見守るエリーの姿に、疑似家族を見るのは容易い。またアランは1日2万ドルという顧問資金のために原理・原則を捨て、このビッグ・プロジェクトを嫌々引き受ける。これは原作を読んでみるとわかるが、原作ではアランは子供好きであり、エリーは別の男性と既に婚約していて、アランとの関係性は師弟の間柄を出ない。スピルバーグは映画版のために明らかに自らが好む設定に書き換えているのである。

もう一つ配役にも歪さが見え隠れする。『E.T.』の記録的ヒットにより、興行収入でもアメリカでの評価も不動のものとなったように見えたスピルバーグだったが、82年の第55回アカデミー賞では作品賞の大本命と言われながら、リチャード・アッテンボローの『ガンジー』に受賞をさらわれるという苦い経験を味わっている。興行収入は『スター・ウォーズ』を抜き、堂々歴代第1位に躍り出たものの、これ以降のスピルバーグの映画があえてヒットを狙わずに、どこか文芸大作のようなシリアスな作品を志向したことを考えると、10年越しのスピルバーグとリチャード・アッテンボローの邂逅は偶然にみえて必然としか言いようがない。しかも財団のリーダーを務めるジョン・ハモンドは大金にモノを言わせ、既に絶滅した恐竜を現代のテクノロジーを使って呼び戻そうとしている。倫理や人命の安全を疎かにし、徹底した合理主義で金儲けに走る姿勢は、『ジョーズ』の市長をも彷彿とさせる。実際に彼の判断ミスにより、多数の犠牲者が生まれようとしているのである。

ジュラシック・パークは、ハモンド氏が巨費を投じて研究者を集め、化石化した琥珀に入っていた古代の蚊から恐竜の血液を取り出し、そのDNAを使い、クローン恐竜を創り出した夢のテーマ・パークだった。導入部分はこれまでのインディ・ジョーンズ・シリーズのような国境を越えた冒険譚を想起させるが、実際はテーマパークに足を踏み入れた瞬間から、彼らの自由は奪われる。スクリーンに映し出された冗長な説明VTRを、ジェットコースターの安全バーを付けさせられ、がんじがらめにされた状態で観ることになる。化学テクノロジー、DNA、コンピューター技術、最新のセキュリティ・システム、バーチャル・リアリティ、それら90年代に流行したワードをスピルバーグはあえて無機質に描写することで、万能なシステムであるはずのこのテーマパークの技術を、まるでヴァーホーヴェンのようなメッキで装飾された偽りのシステムだと主張するのである。ここで自然界への敬意に欠け、神の真似事をしようとするパークの複雑なシステムは必ず破綻するとの主張を続ける科学者が、ジェフ・ゴールドブラムだということも欺瞞を助長している。彼はかつてクローネンバーグの『ザ・フライ』において物質転送機の誤作動の犠牲者になった主人公を演じた男なのである。

その欺瞞を白日のもとに晒すのがパークの安全制御を担当するコンピュータ・プログラマーのネドリー(ウェイン・ナイト)だというのが何とも皮肉である。彼はライバル会社から恐竜の胚の入ったカプセルを売り渡すために陰謀を企てていたスパイである。スピルバーグの映画では大抵太った人間は主人公を支える側に回るのだが、彼がロックを解除してカプセルを盗み出したことで、同時にグラントたちの乗った車も停車してしまい、恐竜を防護するフェンスの高圧電流も止まってしまう。この展開はB級ホラー映画すれすれの杜撰な設定であり、ネドリーが車内で恐竜に食われる場面などB級感丸出しだが、スピルバーグはあえてここに珍妙なショットを入れている。あの恐竜に抜け殻にされるトイレの描写はその最たるものであろう。それら凡庸なショットは、レックスとティムという幼い2人を連れて逃げたアラン博士が、恐竜の襲来から辛くも逃げ、車の落下から子供たちを守り、その夜をパーク内で過ごす場面に対比的に描かれているに過ぎない。木の上から薄暗い平地の向こうの風景をじっと見つめる3人の姿はまるで『未知との遭遇』や『E.T.』で飛来する宇宙船をゆっくりと見つめているかのようで、あまりに崇高で美しい。レックスの「もし恐竜が襲ってきたら」の言葉に、アランは「俺が一晩寝ずに見ておくから」と優しい言葉で応える。原作では両親がまだ離婚していない設定だが、スピルバーグはそれを既に離婚した設定に書き換え、父親の不在をアランが暗喩的に埋めたかのように見せるのである。

クライマックスの恐怖演出は『エイリアン2』や『ターミネイター2』を通過したいわゆるキャメロン以後の活劇を明確に定義し、その上で展開する。『オールウェイズ』においてピートの死の瞬間を目撃したアルのコクピットに付いた鼻息のように、ヴェロキラプトルの鼻息がガラス面に幕を張るところまでスピルバーグは繊細に描写している。窓を一つ隔てた外側にはモンスターがいるというのはスピルバーグの根幹に関わる主題でもあるが、ここでもキッチンの什器の角っ子を隔てた僅か数cmのところにモンスターは近付く。この凶悪な恐竜たちの頭脳に対し、子供達は果敢にも知性で挑戦を試みるのである。キャメロン以降の活劇を、ホークスの『赤ちゃん教育』への映画史的目配せを巧妙に忍ばせながら形にするのがスピルバーグのハリウッド随一と言われる所以であろう。

サミュエル・L・ジャクソンの呆気ない死に方はこの映画からだったのかと思うほどだし 笑、ホラー映画の定石にはあえて乗らず、疑似家族の再生を描いた物語は決して悪くない。主軸はあくまでも恐竜退治のパニック映画でありながらも、その根底に流れる物語の伏線は紛れもなくスピルバーグならではである。ローラ・ダーンの明らかに機能的ではないホットパンツも実に90年代らしい 笑。結果的に今作はスピルバーグ自身が『E.T.』で築いた興行収入記録を10年ぶりに塗り替え、『ジョーズ』、『E.T.』と並び、3度目の歴代最高興行収入を記録することになる。今作で歴代最高興収を記録し、『シンドラーのリスト』でオスカーを受賞したことが、彼を真の意味でのヒットメイカーとしての呪縛から解き放った印象がある。その意味合いにおいても、スピルバーグにとって93年はあまりにも重要な年だったのである。

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