【第321回】『JAWS/ジョーズ』(スティーヴン・スピルバーグ/1975)

 冒頭、小さな海水浴場アミティの夜の浜辺では、夏を待つ若者のグループが焚き火を囲んで、アルコールを呑みながらギターをかき鳴らしていた。その中にはクリシーという美貌の女子大生がおり、彼女と目が合った少年は波打ち際めがけて走り出すクリシーを追いかけると、クリシーは一糸まとわぬ姿で夜の海に飛び込んだ。少年はズボンが脱げないまま、その場に寝てしまうが、女はどんどん沖へ出ると、やがて何かが自分の足をひっぱっているような衝撃に襲われる。次の瞬間、女の身体は絶叫とともに、かき消されるように海面から消えた。彼女がこの海の最初の犠牲者だった。この真に大胆でセンセーショナルな導入部分を持つ映画は、70年代のスピルバーグの代表作になっただけでなく、アメリカ映画の歴代興行収入記録を塗り替える金字塔を打ち立てた。今作におけるスピルバーグの「見えない恐怖」はヒッチコックばりにとてつもない恐怖心を幼い心に植え付けたのである。

アミティの警察署長ブロディ(ロイ・シャイダー)は都会であるニューヨークから、仕事の関係でこの辺ぴな田舎町に越してきた。この街は凶悪な犯罪はおろか、軽犯罪すらも起こらない平和な街であり、そのことは導入部分の翌朝の老人の嘆きの相談の内容からも窺い知れる。このアミティという小さな街にとって夏の海開きのシーズンは、あらゆる人間の懐が潤う書き入れ時であり、1週間後に迫った海開きを街の人たちはほとんど全員楽しみにしていた。そこにこの忌々しい事件は起こる。当初は大したことのない事件としてしか取り合わなかったブロディも、2人目3人目の犠牲者が出る頃になると、正気ではいられなくなる。彼は警察官の当然の判断として海水浴の中止を決めるが、その判断に市長ボーン(マーレイ・ハミルトン)が待ったをかける。

監督であるスピルバーグは、導入部分で一度サメを襲来させ、我々観客の興味を引きつけてから、今度は街の思惑と人間ドラマに重心を移す。警察署長の責任感、市長の利潤最優先の判断、2人目の犠牲者の母親の罵倒、それぞれの思惑を提示した上で、主人公に実に悩ましい判断を委ねる。最初は市長の圧力に屈していたブロディがやがて海開きを中止し、サメの退治へと向かうことを決めるまで、ブロディの葛藤をきめ細かく描いたことで、この物語全体のクオリティは決まった。スピルバーグは丁寧にもブロディが水嫌いで海に近寄らない人間であることも観客に見せて、海アレルギーと警察署長としての海の保全活動との板挟みで揺れるブロディの心情を的確に描写するのである。その後悩んだ末、一つの決断を下す前の父親と息子との仕草を真似るやりとりがまた素晴らしい。これは台本にはなく彼らの即興だったようだが、あそこのほんの一瞬に父子の関係性が集約されているのである。

2人目の犠牲者となった少年の母親は、復讐のために3千ドルの賞金を出すという新聞広告を出す。その報せに浮き足立つサメ・ハンターたちはそれぞれにボートを出し、一頭のサメを捕獲するが、このサメの歯型は2つの凶行に及んだサメの歯型とは一致しないと分析した1人の若手海洋学者がいた。それがフーパー(リチャード・ドレイファス)である。ブロディはフーパーと、街一番の変人と言われ恐れられる老人のクィント(ロバート・ショウ)とたった3人でチームを組み、巨大なサメ退治に向かう。初期のスピルバーグ作品の特徴として、偏屈な親父と経験のない未熟な若者の対立がしばしば描かれるが、フーパーとクィントの対立関係はまさにその典型であろう。長年自分の勘だけを頼りにサメを退治して生計を立てていたクィントは、あくまで学術としてサメと向き合ってきたフーパーとは住んでいる世界が違うと言い張る一匹狼である。当初はブロディやフーパーさえも船には乗せないとつっぱねていたくらいだったが、やがて3人でサメ退治の航海に出ることとなる。

甲板上でもフーパーとクィントの意見はことごとく食い違い、その度ブロディがなだめる綱渡りの航海が続くが、その緊張状態を緩和する名場面がある。それは夜の帳の中、船内に戻ったフーパーとクィントが互いのキズを自慢する場面である。体のキズを勲章だと誇るクィントにとって、フーパーのキズは言葉では共感出来ない2人の距離を縮める格好の判断材料となり、束の間の友情を交わすことになるのだが、ここでのスピルバーグの描写がいちいち素晴らしい。最初は2人の言い争いを静観していたブロディもフーパーとクィントと並び座り、一緒に歌を歌うのである。やがてクィントの口からサメを退治して生計を立てることになった理由が明かされ、この男の生きる理由が静かに開示されるのだが、それを知った上でクライマックスを眺めるのはなんとも忍びない。

ブロディとフーパー、そして観客にとっては依然として「見えない恐怖」として存在し、処女作『突撃!』のタンクローリーのように、すぐそばにいるが見えない恐怖は常に彼らの恐怖心となり押さえつけるのだが、クィントにとっては敵は8mの巨体であろうが、第二次世界大戦の時と同じようにはっきりと見える敵に他ならない。その判断ミスが3人のその後の運命を決めたことは何とも皮肉な事実である。ラスト・シーンでは去勢されていたかに見えた2人の男が、人間としての生存本能を目覚めさせ、いつの間にか海への恐怖心すら克服している。パニック映画以上に、このことの持つ時代的意味は40年経った今ではあまりにも色褪せない。単なるパニック映画と侮るなかれ。この頃からスピルバーグの演出は冴えに冴えていたのである。

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