【第567回】『マディソン郡の橋』(クリント・イーストウッド/1995)

 1989年冬のアイオワ州マディソン郡、人が住まなくなり、すっかり寂れた農場。木々が生い茂る緑豊かなこの地。家の前には急な坂道が幾重にも連なっている。この懐かしい土地には既に妹キャロリン(アニー・コーリー)が兄夫婦を迎えるために待っていた。そこに遅れて1台の車が砂煙りを上げながらやって来る。到着早々、久々の再会を喜びあう兄マイケル(ヴィクター・スレザック)と妹キャロリン。マイケルの傍らには妻もいる。大きな居間のテーブルの上で、兄妹は弁護士から遺産相続の話を聞いている。父親は母親よりも早くに他界し、家族がたった2人になったことを何とも言えない気持ちで見つめる兄妹。マイケルは相続の準備を粛々と進めようとするが、キャロリンは何かを見つけて一瞬手が止まる。義姉の声の届かない廊下へと兄を手招きする妹の姿。2人はそこで母親の本当の思いに触れる。2人への手紙の入った古い封筒、底に入れられたトランクケースの鍵。2人は母親フランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリープ)の自伝を読みながら、秘密の過去を振り返る。1992年に出版された600万部のベストセラー小説の映画化であり、イーストウッドにとって『愛のそよ風』以来、何と22年ぶりの純然たる恋愛映画である。当初、イーストウッドが主演した映画をスティーブン・スピルバーグが監督することになっていたが、イーストウッドに監督・主演が任される。

フランチェスカは親父の代から100年以上にも渡って、農家を受け継ぐ大地主の夫リチャード・ジョンソン(ジム・ヘイニー)、17歳になった息子マイケル、年子で16歳の娘キャロリンと何不自由のない生活をしている。母親の食事の準備が出来た掛け声に導かれ、テーブルに着いた4人家族の食卓はいかにも田舎町の平凡な家庭を映し出す。今日あったことを話さないまま、料理を淡々と口に運ぶ4人の姿。ブラウン管テレビはついておらず、少し大きな音でラジオから流れる『ベイビー・アイム・ユアーズ』のメロディだけが、空白を埋めている。その日、子牛の売買に出かけ、4日間家を留守にする3人を見送り、母フランチェスカはようやく自分1人の束の間の時間を謳歌する。2人の子供は高校卒業後の巣立ちを目前としており、夫との何不自由のない関係は既に20年の月日を超えて今日もなお続いている。庭掃除を始めたフランチェスカは庭の花に水をやりながら、夏の暑い昼下がりを冷えた瓶コーラで喉を潤している。そこに1台のトラックがやって来る。玄関前に立った柱の死角に入りながら、ワンピースの緩みを直すフランチェスカの描写には、アイオワという田舎町のよそ者へ気を許してはならないという因習が滲んでいる。男はローズマン橋に行きたいが、迷ってしまったのだとフランチェスカに尋ねる。ここではフランチェスカのショット・サイズはほとんど変化がないのに対し、迷い人であるロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)はロングからミディアム、クローズ・アップへと徐々に大写しになる。イーストウッドとジャック・N・グリーンはもう若くはない男女の出会いに対し、決定的なサイズ変更で応える。たったそれだけのことが、その後物語を動かす大きな原動力となる。

こうして『荒野のストレンジャー』や『ペイルライダー』のように、どこからともなく現れた幽霊のような男は、既に夢を抱く歳ではなくなった中年の女を誘惑する。ロバート・キンケイドはワシントンD.Cで20歳までを過ごし、その後結婚しシカゴへ移住したが、写真家で身勝手な旅行者である夫は嫌われ、離婚し今は再びワシントンD.Cの大都市で暮らしている。もはや壮年期を過ぎ、老人になった写真家はローズマン橋というなんてことない橋に魅せられ、風景写真の被写体とする。対するフランチェスカの生い立ちは明かされないが、イタリアのバリという田舎町から、アイオワに嫁いできたことが彼女の口ぶりから伺える。ロバートもフランチェスカも明らかによそ者であり、見知らぬ者同士がマイノリティの友情関係で結ばれる様子は、イーストウッド映画に通底するモチーフを奏でる。だがロバートはハリー・キャラハンのように、アバズレ女の秘密を剥ぐような徹底したリアリストではない。彼は自分で決断せず、専らフランチェスカの判断に委ねる。時には自らの非礼を詫び、女に対して優しく口づけをする。W・B・イエーツの詩を媒介にしながら、4日間の恋に全てを燃やす2人の関係性を時系列を追った順撮りスタイルで丁寧に紡いでいく。原作は主婦層に向けたやや凡庸な不倫ドラマながら、上半身裸で行水をするイーストウッドの背中を見つめるメリル・ストリープの眼差しには真っ先にドン・シーゲルの『白い肌の異常な夜』を想起する。思えば今作は車の到着で始まり、直列になった車の直進と左折という「離別」のモチーフで結ばれる。クライマックスの『許されざる者』以来の苛烈な雨は、涙雨のように否応なしにロバートとフランチェスカを叩きつける。死んだ最愛の人の秘密を振り返る物語の構造は、後に『父親たちの星条旗』でも反復される。結果として今作は90年代のイーストウッドにとって最大のヒット作となった。

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