【第570回】『セルフレス/覚醒した記憶』(ターセム・シン/2005)

 ニューヨークの摩天楼の美しき眺め、その絶景を全面ガラス張りのビルの高層階からぼんやりと眺める男ダミアン(ベン・キングズレー)。「NYを創った男」と世界中から称され、最も仕事の絶えない建築家として知られる男の自社ビル内で、ぼんやりと外を眺める男の背中で烈しい物音が響く。ダミアンはゆっくりと振り返り、看護師を罵倒するのかと思いきや、心ここに在らずな心境を見せる。40数年間、ダミアンの仕事におけるパートナーとして、彼を献身的に支え続けた盟友マーティン(ヴィクター・ガーバー)との会食時。同席した若者がコネで権力に取り入り、仕事をもらう中、この仕事のトップ・ランナーであるダミアンは若者をただただ罵倒する。屈辱にまみれ、席を立った若者がいなくなってから、ダミアンはマーティンに静かに語り始める。既に犯された癌は肝臓や腎臓にも転移し、医師には余命1年を宣告される。妻は死に、実の娘であるクレア(ミシェル・ドッカリー)に何度も連絡するも、娘からの折り返しの着信はない。家族を顧みなかった仕事人間のダミアンは失意のどん底の中、偶然マーティンの書いてくれた名刺を見つけ、コンタクトを取る。「フェニックス(不死鳥)」という名の謎の研究所。責任者で科学者のオルブライト(マシュー・グード)は200数十億かけ、遺伝子操作で作り出した肉体に、ダミアンの頭脳を転送し、別の人生を生きてみないかと持ちかける。その条件は前の時代の友人・知人と絶対に連絡を取らないこと、毎日決まった時間に赤い錠剤を一錠飲むことだった。

『デッドプール』のモンスター・ヒットで一躍ハリウッドのトップ・スターに登りつめたライアン・レイノルズが、今作ではダミアン(ベン・キングズレー)の移植先で、新しい身体となる。心なしか今作のモチーフは、『デッドプール』と同工異曲の様相を呈する。『デッドプール』では、医師に末期癌を告げられたウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)が自暴自棄な人生を送っていたところ、突如がんの治療と引き換えに、極秘の人体実験の被験者となることを求められる。ウェイドは施設でフランシスというミュータントの男から謎の薬品を投与され、細胞は変異し、不死身の肉体を手に入れるが、それと引き換えに全身が火傷を負ったような醜い姿に変貌し、最愛の人ヴァネッサに会えない辛さに悶え苦しむ。今作もやはり末期癌の告知を受けた主人公が、超然的な科学の力(ドーピング)を頼りに、別の肉体へと移植される。ニューヨークで巨万の富と最大級の名声を手に入れた男には、まだ叶えるべき無数の夢や欲望が渦巻く。当初は移植に懐疑的だったダミアンは悪魔と契約し、見知らぬ男(ライアン・レイノルズ)に生まれ変わる。かくして天才的な頭脳と閃きを持った男は、若い強靭な身体に乗り移り、2度目の我が世の春を謳歌する。入れ替わりの主題は近年ではリュック・ベッソンの『LUCY/ルーシー』が真っ先に想起される。前述のように『デッドプール』を彷彿とさせる導入部分だが、SF的設定として今作に一番近いのは、ジョン・フランケンハイマー『セコンド アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身』ではないだろうか?若い身体を得たことで、彼は文字通り第二の人生を謳歌するが、とんでもない代償が待ち構えているのである。

ハリウッド映画の常道として、家庭を顧みなかった父親は既に妻に先立たれ、娘(息子)にも距離を置かれているというのが定石だが、今作も例外ではない。ダミアンは余命いくばくもない中で、自らの人生の中で娘と一緒の時間を過ごせなかったことを激しく悔いている。一貫して実利を追い求めてきた大富豪であるダミアンに対し、娘のクレアはNPO法人を立ち上げ、貧しき人たちに手を差し伸べる。ダミアンとクレアの正反対の生き方が、娘の父親への憎悪を物語る。移植された先の人生には、彼が1度目の人生で大きな後悔として残してしまった妻マデリーン(ナタリー・マルティネス)と幼き娘がいる。当初は自由を謳歌していたかに見えたダミアンが、乗り移ったはずの身体が本来過ごすはずだった人生に触れ、善悪の彼岸や生と死の倫理観に苦しむ様子は、安易なSF設定には回収されない実に哲学的な寓話性を孕んでいる。R.E.M.などミュージック・クリップ出身のターセム・シンの奇抜なヴィジュアル・イメージは、スピリチュアルな方向性の物語となかなか相性が良い。荒唐無稽な笑いに逃げず、娘を媒介とした新しい身体への共感の念にしっかりと軸足を置きながら、マッド・サイエンティストであるオルブライトへの復讐劇に変貌を遂げる。極めて重厚なサスペンスに対し、むしろ好みが分かれるのは、3つの烈しいアクション場面に他ならない。まるで『エクスターミネイター』のような火炎放射機を使った前半部分のマデリーンの家での死闘、中盤の緊迫感溢れるカー・チェイス、クライマックスでの研究所での死闘まで、サスペンスフルで静的なミステリー・パートに対し、圧倒的に性急で重厚な動の場面とのバランスが程よい。まるで黒沢清ばりの半透明カーテンを使った科学研究所の世界観が素晴らしい。激しく好みの分かれそうな作品だが、B級映画としては総じて善戦している。

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