【第350回】『白鯨との闘い』(ロン・ハワード/2015)

 冒頭、ある青年が宿屋の扉を叩くと、中から受付時間外だと突っぱねられる。それでも男は辛抱強く扉を叩き続け、ガラスの向こうからメルヴィルの署名を見せる。こうしてアメリカの新進作家メルヴィルはトマスという男と出会う。ここで言うメルヴィルとは、『白鯨』を書くことになるハーマン・メルヴィルである。彼は『白鯨』の取材の名目で、かつてエセックス号という捕鯨船に乗り組み、巨大な白いマッコウクジラと戦った人々の最後の生き残りの男に話を聞こうと彼の宿屋を訪ねたのだった。老いぼれたその男はガラス細工をやりながら、アルコールに呑んだくれた生活をしている。彼は決して誰にもエセックス号の顛末を語りたがらないが、妻の機転からようやく重い口を開く。

今作はトマスの口から語られるエセックス号での鯨漁の回想録である。1819年、エセックス号は捕鯨基地ナンタケットを出港した。船長は家柄だけで選ばれた未経験者のポラード(ベンジャミン・ウォーカー)で、ベテランの一等航海士チェイス(クリス・ヘムズワース)はそれが不満だった。船には14歳の孤児トマス(トム・ホランド)もキャビン・ボーイとして乗り組んでいた。1年以上の航海でもなかなか鯨油を集められないエセックス号は、噂を頼りに陸地から1000マイル以上離れた未知の海域に乗り出した。マッコウクジラの大群を見つけて色めき立つ船員たち。だが、群れを率いていたのは、巨大で凶暴な白鯨だった。ロン・ハワードは大海原に出向するエセックス号の堂々たる雄姿をロング・ショットで据えた後、些細な上帆の失敗から、一等航海士チェイスの経験に裏打ちされた技術をさりげなく見せる。前半部分はポラードとチェイスのイデオロギーや考え方の違いから摩擦が生じる様子を克明に描く。大型船という組織にとっては常に船長の言葉が絶対であり、チェイスの経験則から来る助言にもポラードはまったく耳を貸さない。ポラードの従兄弟とされるヘンリー(フランク・ディレイン)もチェイスには目の上のたんこぶとなる。だが彼は作業の合間にもトマスを含む船員達とスキンシップを図り、彼らと良いチームを築いてゆく。

少年期のトマスの愛らしいキャラクターも物語の求心力となる。14歳にして両親に死なれ、孤児となったトマスはエセックス号で初めての航海を迎えることになる。まずは高波で船酔いの洗礼を受けた彼はチェイスに手荒な処置をされ、晴れて海の男になる。その後もロープで手の皮がめくれたり、鯨を解体しての初めての胃洗浄の作業ではとんでもない悪臭で嘔吐寸前に陥る。この新米船乗りとベテランの船乗りであるチェイスとの師弟愛が伏線として丁寧に描かれていく。また銛で突かれた鯨の悲鳴と手の皮がめくれ流血した少年の悲鳴とがクロス・カッティングされるのはあまりにも示唆的である。釣る者(人間)と釣られる者(サメ)の構図は一瞬曖昧になり、人間達はやがて大きな成果を得ることになるが、彼らが幸せでいられたのはそこまでだと言っていい。最初に現れた鯨を問題なく打ち負かした人間達は、何度目かの不漁の折、途中行き着いた島で鯨が大量にいるとの報せに欲望を露わにする。彼らが取り憑かれているのは鯨ではなく、鯨を取り引きすることで得られる莫大な財産であり、もう一つは船長になるという出世欲に他ならない。ボラードもチェイスも巨大漁船エセックス号とたくさんの部下達を引き連れ、何の恐怖心もないまま未開の地へと足を踏み入れる。それは19世紀におけるアメリカ人のフロンティア・スピリットなのである。

しかしながら未開の地に出航したエセックス号は巨大な白鯨を目の前にして、呆気なく破れる。明らかに船体の真横にボディ・アタックを仕掛けるその鯨の体には幾つもの傷やアザが見て取れる。白鯨は彼らの前にも人間の襲来を受けており、その殺戮から身をかわしてきたからこその堂々たる風格と体の傷を備えている。かくして人間の文明の利器を尽くした巨大な船体はいとも簡単に破壊され沈没する。2艘のボートで2手に分かれて白鯨を追っていたもう片方のグループである船長ポラードのボートから、数人の船乗りが爆発し、ゆっくり転覆するエセックス号を呆然と眺める象徴的な場面がある。世界貿易センタービルに突っ込んだ2機の飛行機と同様に、当時の人間達の技術の産物(誇り)があっという間に破壊される姿こそ、ロン・ハワードが今作で描きたかったイメージではないだろうか。

3艘のボートに分乗した船員たちは、僅かな水と食料で漂流を始めた。生き残るためには、1日少しの乾パンと水にしかありつけない。燦々と輝く太陽の元で徐々に消耗していく僅かな船員たち。ここで彼らは生き残るために人肉にまで手を付けるのである。この人肉を食べることの倫理観はあまりにも衝撃的で、文明をこしらえた人間にとっては今日まで最も屈辱的な蛮行であることは想像に難くない。19世紀においては、鯨は人間のためにいるのだという考えが当たり前のようにまかり通っていた時代である。種の保存や、地球に生きるあらゆる生き物の尊厳について、動物愛護団体、環境団体などが率先して動き、多くの人間が考えるようになったのは20世紀の、それもごくごく最近のことであり、この時代にはそういう漠然とした問いすらも顧みられてこなかった。また今では鯨は我々人間と同じように、自分たちで考え判断出来る高等な生き物として知られているが、この時代には鯨は人間に太刀打ちできる知能を持っているとは考えれらていなかったのである。人間が圧倒的に優位に見られていた状況が反転し、船が破壊され、遂には死んだ者の肉を食べることになる人間の愚かさが延々描かれる後半にこそ、前半には見られなかったロン・ハワードの真に荘厳な人間ドラマがある。ラスト1時間の言葉を失うようなシリアスな描写の中に、人間と鯨双方の生の極限世界が見える。

#白鯨との闘い #クリスヘムズワース #ベンジャミンウォーカー #トムホランド #ロンハワード

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?