【第458回】『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(ウェス・アンダーソン/2001)

 図書館に返却された「The Royal Tenenbaums」という本の俯瞰ショット。返却日の入った日付をカードに押印された後、分割される本の色鮮やかなアートワーク。2本のロウソクのシンメトリーの構図、その中で一匹のマウスが食事を貪る姿。エメラルド色のポールに「T」の一文字がたなびく中、ブラウンの城のような豪勢な部屋の中では、父親と3人の子供達の真剣極まる会議が繰り広げられる。長机の端と端に座った父親と3人の子供達のあまりにも遠すぎる距離。親子の会話は、一見間延びしたような距離でさえ、折り目正しいリバース・ショットで演出される。奥行きのない平面的で絵画的なショット構成は、ウェス・アンダーソンのルックを決定付ける。結局、父親と母親の関係は元に戻らず、父親ロイヤル・テネンバウム(ジーン・ハックマン)は家を出て行く。3人の子供達は、鼈甲色のレンズの丸眼鏡をかけた考古学者である母親エセル・テネンバウム(アンジェリカ・ヒューストン)によって育てられる。教育ママの愛情、壁に無数に張られたミニ・フレーム、ヴィンテージの赤電話、子供達の教育スケジュールが書かれた黒板、そこに書かれた空手、イタリア語、バレエの文字。あまりにも教育熱心な母親の庇護の元、2人の息子と1人の養女はすくすくと成長する。長男チャスは僅か6年生にして不動産売買で富を築き、マウスの開発に成功したやり手の実業家であり、次男リッチー(ルーク・ウィルソン)はテニス選手となり、引退した今は世界の海洋を旅する。養女で長女のマーゴ(グウィネス・パルトロー)は演劇の劇作家として活躍するが、今は新作をまったく書いていない。

まるで前作『天才マックスの世界』のマックス・フィッシャーのように、人も羨むようなリア充兄弟の将来は明るいように見えるが、それぞれの暮らしは烈しく屈折している。飛行機事故で愛する妻を失い、2人の息子を育てる長男チャスの神経症的妄想、20代半ばで早々にプロ・テニス・プレイヤーを引退した次男リッチーの自殺願望、長女マーゴの離婚危機と創作上のスランプなど、かつては天才兄弟と呼ばれ、華々しく見えるテネンバウムズ家の影の部分があっという間に露わになり、徐々に彼らの心を蝕んでいく。長男チャスと息子たちの揃いのadidasの赤いジャージ、次男のパイル字のヘアバンド、長女のブロンドのワンレングスとたばこには、ウェス・アンダーソンの記号的なユニフォームへの偏愛が見て取れる。それと同時に幼児期の記号的オブセッションに固執する病と見て取ることも可能だろう。彼らは常に過去に囚われ、一度も理想的な家族を謳歌していない。3兄弟の烈しい屈折ぶりに対し、彼らを一人前に育て上げた母親エセルだけは、あまりにも対照的に我が世の春を謳歌する。馴染みの会計士ヘンリー・シャーマン(ダニー・グローヴァー)の突然の求愛により、余生をゆっくりと考える時間のなかった母親の女性としての尊厳は蘇る。母親がヘンリーに対し、冗談交じりに語る「私は18年間SEXをしてないのよ」は単なるブラック・ジョークではない。息子たち同様に、父性の喪失を抱えていたのは母とて同じことなのだ。テネンバウムズ家は依然として父性の喪失を抱えているのだが、そこに離婚危機の再燃に業を煮やした本当の父親がひょっこりと帰還する。咄嗟に口を出た末期ガンという嘘。そこから逆算し、イミテーションされたペテン的世界はあまりにも強烈なアメリカのメタファーを孕んでいる。

かくして父性の凋落を克服し、偽りの家族を再生するかに見えたテネンバウムズ家の結束は、幾つかのレイヤーに枝分かれし、粉々に砕け散る。チャスの左手に埋め込まれたBB弾の痛々しい傷、リッチーのモルデカイという名の鷹に込めた思い、そして幼馴染であるイーライ・キャッシュとのある種屈折した友情とマーゴを巡る恋の鞘当ては、処女作『アンソニーのハッピー・モーテル』においても、オーウェン・ウィルソンとルーク・ウィルソンのウィルソン兄弟として、同じ組み合わせで繰り広げられた主題でもある。大きな空間に唐突に置かれた黄色いテント、そこに入れられたアナログ・プレイヤー。窓を開けて階下と繰り広げられる高低差のある視線の交差など、幾つかの新しいイメージや道具立ても、ウェス・アンダーソンの世界をより一層強固なものにする。スピーディに運ぶ回想シーンの見事さ、ウェスお得意の機械による移動も、チャスの息子たちとロイヤルが、無邪気な笑顔で飛び乗るゴミ収集車で実行される。前作『天才マックスの世界』における赤いニット帽から緑のベレー帽への変化同様に、チャス一家のお揃いの赤い三本線ジャージが黒に変わり、喪に服す場面の記号的イメージの見事さなど、ウェス・アンダーソンの才気は3作目にして爆発している。屋上でルーク・ウィルソンとグウィネス・パルトローが一緒に煙草をふかす場面の筆舌に尽くしがたい美しさ、そしてジョゼフ・コーネルの箱庭的世界観から一転し、ラストの平面性を飛び越えたイーライの暴走はやや強引ながら、いとも簡単に形式的なクリシェを飛び越えたクライマックスの断面図のような長回しは何度観ても痺れる。あまりにも早熟な32歳による圧倒的世界観が凄まじい傑作である。

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