【第271回】『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(ポール・トーマス・アンダーソン/2007)

 これまで何度も繰り返し述べてきたように、PTAの映画とはアメリカのカリフォルニアという土地に起因する物語を描いており、その根底にあるのは「擬似父子」と「イミテーション(嘘)」と「贖罪」である。『ハードエイト』では、イミテーションに彩られた初老のギャンブラーが若い男を助けるが、実は彼の父親を殺していたことが終盤明かされる。そこでカリスマ性を誇った男のイミテーションは剥がれ落ち、父子の擬似的な関係は崩壊へと向かうことが暗示される。『ブギーナイツ』でも同様に、ポルノ監督であるジャックは、ダーグディグラーとなったエディという男を家に囲い、彼をポルノ俳優へと導くが、80年代におけるフィルムからビデオへの変遷により、彼らのイミテーションの関係性は崩れていく。

『マグノリア』でも、トム・クルーズ扮する恋愛の伝道師は、女を口説き落とす方法でカリスマ的な人気を得るが、プロフィール詐称という嘘がやがて明らかになり、そこに絶縁状態にある父親との歪んだ関係が浮かび上がる。他のアンサンブル・プレイのメイン・キャスト達も、仮初めの夫婦関係をイミテーションしている妻や、テレビ番組の司会者は自分が癌で余命いくばくもないことを嘘でひた隠しにしている。他にも、自分が優秀な子供であることをテレビに向かってイミテーションする小学生、自分は麻薬中毒者でありながら、その罪を隠すために警察官のデートの誘いに応じる女においても、このイミテーションと贖罪の構造は読み取れる。

それはPTA作品において例外的とも言える『パンチドランク・ラブ』でも同様で、冴えない主人公は自分に言い寄ってきたリナに少しでも良い格好を見せるために、カッコイイ男性をイミテーションする。会社では同僚に対し、あたかも上司であるかのように振る舞い、大量に置かれたプリンの異様な光景に対しても、知らぬ存ぜぬで押し通す。しかしながらテレフォン・セックス・センターに電話して個人情報を話してしまったことが元で、チンピラに追われ、遂には愛するリナに危害が加えられる段階になって、彼は自分のイミテーションした嘘を話し、贖罪の気持ちと愛を彼女に伝えるのである。

では今作における「擬似父子」と「イミテーション(嘘)」と「贖罪」の構造はどうか?20世紀初頭のアメリカ。一攫千金を夢見るダニエル・プレインヴュー(ダニエル・デイ=ルイス)は、山師として鉱山や石油の採掘を行っている。彼は、交渉の場にいつも幼い一人息子H.W.(ディロン・フレイジャー)を連れていた。ある日、ポール・サンデー(ポール・ダノ)という若者から、西部の広大な土地に石油が眠っているとの情報を得たプレインヴューは、H.W.や仕事のパートナー、フレッチャー(キアラン・ハインズ)を伴い、カリフォルニアの小さな町リトル・ボストンへと赴く。見渡す限りの荒野の町でプレインヴューは、地主たちを言いくるめて安く土地を買い占め、油井を建造、見事石油を掘り当てる。彼は、莫大な財産を手中に収め、寂れた町にも繁栄をもたらした。

冒頭、不協和音による不穏な空気が辺りにたちこめる。19世紀末期の開拓者精神の影響で、石油発掘に取り憑かれた1人の男がいる。彼は危険な環境の中で何とか石油を掘り当て、少しずつ巨万の富を得ていく。導入部分にはその過酷な作業の様子が切り取られるものの、その大半は用地買収による交渉術に他ならない。彼らにとって最大の欲望は、いかに油の出る土地を見つけ出し、その土地を二束三文で買い叩くかにかかっている。そのための巧妙な武器として、プレインヴューは採掘中に亡くなった相棒のH.W.を自分の一人息子だとイミテーションし、彼の可愛さで人心を掌握しようとする。その純真無垢な表情と透き通った眼差しに、古くからその土地に住む者たちはあっさりと騙されていく。プレインヴューにとってH.W.の存在は石油発掘のシンボルであるが、H.W.との間に血縁関係はない。彼は孤児であるH.W.を引き取り、自らの交渉に有利な駒としてH.W.を巧みに操るのである。ここでも「擬似父子」の関係は巧妙にイミテーションされている。

ポールという若者に石油の在りかを聞いたプレインヴューはその土地にイミテーションし入り、石油に繋がる重大な痕跡を見つける。例によって二束三文で買い叩こうとしたプレインヴューに対し、ここで1人の男が割って入るのである。それがイーライ・サンデー(ポール・ダノ)である。ここで間違ってはいけないのが、ポールとイーライは一卵性双生児であり、まったくの別人である。彼は教会の設立に対して5000ドルを要求し、一度はその要求を呑んだプレインヴューだったが、その約束は最初からイーライを欺き、サンデー一家を騙すための計画だった。

プレインヴューという人物は資本主義社会における強欲な経営者の象徴のような人物であり、彼の経歴は幾つもの嘘で塗り固められている。彼は自らの宗教観を聞かれ、その質問に真っ当に答えることが出来ない。人や宗教や神をも信じず、ただ油田の利益追求に走る男は、ある日突然苦境に立たされる。油井やぐらが爆発し炎上し、その爆風で吹き飛ばされたH.W.はその後一切の聴力を失ってしまう。この一連のシークエンスが素晴らしく息を呑む。油を採掘するために縦に伸びたやぐらに火が引火し、爆発が起こる。この場面をPTAとロバート・エルスウィットは独特の長回しで撮るのである。息子は一瞬にして耳が聞こえない異変を理解し、プレインヴューにその場にいることをすがるが、利益重視のプレインヴューはその息子の頼みさえも聞き入れない。この場面に、後の擬似父子の不和は予兆となり立ち現れている。

H.W.の聴覚が失われた事件とほぼ同時に、プレインヴューの弟だという人物が入れ子構造で突然現れる。これまで自らの神通力の象徴だったH.W.が使い物にならないと悟ったプレインヴューは、この弟を自称する人物の訪問をあっさりと受け入れる。このシークエンスは『ブギーナイツ』におけるポルノ俳優の新旧交代のシークエンスと非常に似通っている。父親を失う焦燥感を持ったH.W.は彼の納屋に火をつけ、それがきっかけで寄宿舎学校に追いやられる。ここでもプレインヴューのついた何気ない嘘にH.W.は騙される。「車掌と話してくる」と言うプレインヴューにまんまと騙されたH.W.は、そのまま列車に乗り続け寄宿舎学校へと強制的に連れて行かれるのである。

ただここからH.W.を失ったプレインヴューの静かな凋落が始まるのである。これまでのPTA映画でも毎回用いられてきた主人公のゆっくりとした落下がここでも実に丁寧に描写される。『ブギーナイツ』での70年代から80年代への時代の変遷が、ここでも石油の発掘からコンビナートの設立へと舵を切っていた激動の時代を鋭角に描写する。プライドの高いプレインヴューは資本家の億単位の提示にも首を縦に振ることはない。相変わらず自分だけで何とかしたいという強欲さが、徐々に身を滅ぼしていくのである。

自らの弟をイミテーションしたヘンリーを殺め、彼を土に埋めたプレインヴューは、H.W.を寄宿舎学校に追いやったことに反省している素振りを見せ、イーライの面前で宗教に執心したことを過剰にイミテーションする。彼の心は本心などないままに、懺悔させられ、贖罪を課されて、自暴自棄になって彼は投げやりに罪を償ったフリをする。この後のプレインヴューとH.W.の再会の場面は実に感動的なロング・ショットを形成するが、そこには真に感動的な光景など遂に見ることが出来ない。既に落下し始めているプレインヴューの錯乱の瞬間を、PTAはゆっくりと描写する。この主人公が落ちていく瞬間こそ、PTAの真骨頂に他ならない。家族も仲間も失った彼の前には、もはや何も残っていないのである。

クライマックスのボーリング場の場面は、残酷なディスカッションに終始する。そこでプレインヴューはイーライの欺瞞を、イミテーションによる話術から強引に剥ぎ取ろうとする。擬似家族やカリスマ性や地位も名声も、全てを失ったプレインヴューは、イーライに対して、ポールこそが預言者だったと言い放ち、イーライの心を揺さぶる。イーライの独白は、「マグノリア」のトム・クルーズ同様に、薄皮一枚でつながったカリスマ性を勢いよく剥ぐプレインヴューの狂気の沙汰に他ならない。今作はPTAにとってベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した作品であり、同年のアカデミー賞では8部門にノミネートされた。監督賞の受賞はならなかったものの、PTAのフィルモグラフィにおいて明らかに大きな進化を遂げた1本である。

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