【第268回】『ブギーナイツ』(ポール・トーマス・アンダーソン/1997)

 映画は冒頭、華やかに彩られたネオン管とブロンド娘、ディスコ・ミュージックにローラースケートをステディ・カムによる長回しで一気に魅せる。1977年ロサンゼルス郊外、当時はアメリカ社会が活気に溢れ、毎晩ナイトクラブでは乱痴気騒ぎが繰り広げられていた。猥雑とした街の喧騒、人々の笑い声、葉巻、ゴージャスな車。この長回しによるファースト・シーンにはPTAお得意のカリフォルニアの空気と70年代アメリカ映画への憧憬が早くも開花している。

ポルノ映画監督ジャック・ホーナー(バート・レイノルズ)は最初から1人の青年に目を付け、彼をじっと見つめている。それはエディ・アダムス(マーク・ウォールバーグ)というディスコで皿洗いのバイトをしている17歳の青年である。いかにも気怠そうに黙々と仕事をこなす男の一部始終をしっかりと眺めた後、ジャックは関係者以外立ち入り禁止であるはずの調理室へとつかつかと歩み寄っていく。初老の男からの夢のような提案に対し、若者は「仕事があるから」と断る。エディはジャックの真意を計りかねるのか、金銭を提示するが、初老の男はその要求には応じない。ここでは前作『ハードエイト』同様に、初老の男が若者にある一筋の光明を照らすのである。『ハードエイト』では自分はホモじゃないと断ったが、こちらの主人公は自分のペニスを見せることに躊躇はないものの、PTAの物語においては、この擬似父子の問題がまたもや横たわる。

17歳が外の世界を知り、有頂天になっているのと呼応するかのように、家庭内における母親と息子の関係は窮地に立たされている。深夜に帰ってきたエディと母親との諍いは異常なまでに非んでいる。部屋に貼ってあったポスターをビリビリに破られたエディはその夜、家出を決めてジャックの屋敷に転がり込む。ここからジャックとエディの擬似父子の関係は擬似家族となり、イカサマにまみれた物語が幕を開けるのである。

ポルノ男優になると決めたエディが、自らの芸名を決める場面が実に間抜けで可笑しい。PTAは白々しいまでに頭の悪い男女の振る舞いを、ごく真面目に描写する天才である。前作『ハードエイト』においては、たかだか数百円しか違わないホテル内のテレビの配線に関するイカサマをジョンが解き、それをクレメンタインが興味深そうに傾聴する場面があった。小悪党にも満たないイカサマの手口を開帳する男のバカさもさることながら、その言葉に聞き入ってしまう女もまた救いようのないバカとして描かれる。今作でも救いようのないバカ野郎達の、心底救われない話をPTAは丁寧に掬い取る。それを監督の悪意と捉えるか真っ当な描写と捉えるかは好みが分かれるところだろう。

映画は155分という収録分数のちょうど折り返し地点を迎えるところで、少しずつ陰惨な方向へと舵を取る。それは1970年代が終わり、1980年代を迎えた頃とちょうど歩調を合わせる。私はこの転調にこそ、PTAの才気はあるのだと断言する。今作が制作された1997年にはまだ今ほどは70年代回帰ブームは来ていなかったが、2000年代以降、幾多の作品で70年代への回帰が試みられた。しかしながらそれは単なる70年代の再現であり、モノマネに過ぎない。PTAの凄いところは、70年代後半から80年代前半に向かう流れを正確に描写しながら、その流れをフィルムの死〜ビデオテープの隆盛とディスコ・ミュージックの死〜ハード・ロックの隆盛とに重層的に的確に描写していることにある。

その起点となったのは、フィリップ・ベイカー・ホールの登場と大佐の監獄入りの入れ子構造へつながっているのである。エディはアンバーの手引きでコカインに手を染め、ドラッグ中毒になると同時に勃起不全へと陥る。そしてジャックが自分とは違う新人男優を雇う段になり、エディとジャックの擬似父子の関係は唐突に終わりを迎えることになる。そこからは堰を切ったかのように、ジャックとエディの身内だったファミリーのような仲間たちに次々と不幸が起こり、彼らは社会の現実に叩きのめされる。この緩やかに崩壊していく人間達の姿を、PTAは実に丁寧にショットに収めていく。この崩壊の瞬間こそが、PTA映画のカタルシスに他ならない。ドン・チードルがドーナツ屋に寄ったところで、このポルノ映画への大らかなオマージュが暗黒のフィルム・ノワールへとゆっくりと形を変えるのである。クライマックスの30分間の見事さは筆舌に尽くしがたいテンションを維持している。エディがトッドやリードと向かったニセのコカイン売買のシークエンスは、その緊迫した状況とキャラクターの面白さで、今作の最高沸点と言える活劇を演出する。

クライマックス、崩壊しているかに見えた擬似家族が、ある事件をきっかけにゆっくりと再生へと舵を取る。栄枯盛衰の全てを見守ったPTAの主眼が、いったいどこにあるのか?鏡に写る自分に対し、何度も自己暗示をかけるエディの姿に、現代アメリカ社会へのPTAの距離の取り方がくっきりと浮かび上がるのである。ただそれでも155分という収録時間は流石に長い。そこがPTAの唯一にして最大の弱点である。

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