【第274回】『エベレスト3D』(バルタザール・コルマウクル/2015)

 今作は実際にエベレストで起きた1996年の大量遭難事件を基にしている。この事件は山岳ファンでなくても、一度は聞いたことがあるはずの悲劇である。当時、名ガイドとして有名だった男と、数々の山々に登頂経験のある登山隊が、エベレスト登頂に成功するも、下山時の判断を誤り、8名が死亡したエベレスト史上最悪の遭難事故である。つい最近もネパール地震の影響で発生した大規模な雪崩により、18名が死亡した事故があったが、天災ではなく、人間の判断ミスで起きた悲劇としては、映画の基になった96年の事件が過去最悪の遭難事件として記録されている。

映画は冒頭、ニュージーランドで登山ガイド会社を営むロブ・ホールの率いる登頂ツアーがネパールに到着したところから始まる。そもそもこの導入部分が登山をしない者にとってはあまりにも不親切でわかりにくい。大前提として、ここに幾つかのデータを提示したい。まずエベレストの登山者の数だが、1980年代には1000人にも満たなかった登山者数が、1990年代から急速に増え、2000年代以降は毎年5000人以上の登山者が足を運ぶようになった。ここ20年間で、登山者数はざっと10倍に跳ね上がっている。

理由は幾つかある。一つには登山ルートの開拓が困難だった時代を数人の登山者がクリアし、登頂達成者と同じルートでの攻略により、その後飛躍的に登頂達成者が増えたことが挙げられる。最初は一部の冒険家や国家的プロジェクトによる冒険レベルの難易度だったものが、多くの人が登る頃になるとその難易度が下がった。2つ目は1985年に富豪ディック・バスがガイドによる全面サポートを受けた登頂に成功し、その過程を記した「セブン・サミット」を出版したことである。特別な経験がなくても、山岳ガイドの助けも借りて世界最高峰に登頂出来ることが一般に知れ渡り、1990年代には富裕層や高所得者による金持ちの道楽としてのエベレスト登頂が大ブームを迎えることになる。

アマチュア登山家であっても、必要な費用を負担すれば容易にエベレスト登山に参加出来るようになったことで、当然その弊害も生まれてくる。シェルパやガイドによるルート工作や荷揚げが行われるため、本来なら必要であった登山技術や経験を持たないまま入山する登山者が現れるとともに、ルートが狭い場所においては登山家が渋滞し、長時間待つようなことも増えた。この事件はそれら幾つかの不幸な出来事と無関係ではない。まずは映画と向き合う前の大前提として、これらの情報に接していなければ、多くの観客は確実に混乱する。バルタザール・コルマウクルの説明はあまりにも不明瞭である。

1996年、ある旅行会社が1人65,000ドルでエベレスト営業公募隊を募集した。探検家のロブ・ホール(ジェイソン・クラーク)が引率し、世界中のアマチュア登山家と共に5月10日に登頂を果たすというツアーで、ガイド3名に対し、顧客9名が集まった。9名の内訳はダグ・ハンセン(ジョン・ホークス)、難波康子(森尚子)、ジョン・クラカワー(マイケル・ケリー)、ベック・ウェザーズ(ジョシュ・ブローリン)、スチュアート・ハッチスン、ルー・カシシケ(マーク・ダーウィン)、ジョン・タースケ、フランク・フィッシュベックであり、スタッフはマイク・グルーム(トーマス・M・ライト)とアンディ・ハリスによるチームは、商業登山の一環として、エベレスト登頂の準備を開始する。

カトマンズから飛行機でルクラに着くと、エベレスト街道と呼ばれる谷沿いの道を徒歩で北上する。街道の終点ゴラク・シェプでカラパタールに登り、さらに3時間歩いてエベレスト・ベースキャンプへ向かう。映画ではルクラからベースキャンプまでが一瞬の出来事だが、実際には何日か休みながら、徐々に高度を上げて身体を慣らしていく。もし直ぐに登っていこうものなら高山病にかかり、更に症状が悪化すれば、肺水腫や脳浮腫を起こして死んでしまう危険性がある。いかに高い所の環境に自分の身体を慣らしていくかが、エベレスト登頂のカギとなる。

5,364mのベースキャンプを拠点に、第1、第2、第3とキャンプ地を徐々に高い所に上げていき、サウス・コルの下に第4キャンプ(7,951m)を設けると、そこから一気に8,848mの頂上まで登っていく。アタックの日は真夜中に出発し、明るくなる頃、頂上直下の難所にさしかかり、登頂してもしなくても午後の早い時間には引き返して、陽のあるうちにテントに戻らねばならない。サウス・コルから先はデス・ゾーンと呼ばれ、人体は高所順応せず、酸素が補充されるよりも早く酸素の蓄えを消費する。 酸素ボンベなしでデスゾーンに長時間滞在すると身体機能の悪化や意識の低下が起こり、最終的には死に至るとされているのである。

今作は導入部分の省略により、幾分不親切に見えるが、この第4キャンプから頂上までの道のりを描き方はなかなか丁寧で迫力がある。 最初はフィッシュベックが身体に変調をきたし、出発後すぐに引き返す。続いてベック・ウェザーズが「バルコニー」と呼ばれる場所まで登ったところで、前年に手術した視力障害が悪化し、ほとんど視界がなくなったため、隊長であるロブにそこで待つよう指示される。幾ら高所順応したところで、デスゾーンに入ったことで次々に身体の不調を訴える。まるでエベレストという巨大な山が、登山者を拒むかのように過酷な運命に彼らを追いやっていく。

この登頂にあたって、隊長のロブが決めた登頂時間のリミットはちょうど14時である。例え頂上が目の前に見えていても、14時になったら引き返すように参加者に強く指導していたので、約束の時間で登頂を諦めて引き返したスチュアート・ハッチスン、ジョン・タースケ、ルー・カシシケの3人は第4キャンプに戻り助かった。しかし大きく遅れた顧客のダグ・ハンセンを待ち、頂上に1時間以上留まってしまったのである。それはなぜか?これは推測の域を出ないが、富裕層だらけの顧客たちの中で、郵便局員で特に金持ちでもなかったダグにロブは必要以上に肩入れしていたのではないか?

そのことが端的に明示された場面がある。ダグはロブに対し、前回エベレストの手前で登頂断念せざるを得なかったことに対し、他のメンバーとは違い、料金を割り引いてまで彼に再度の参加を促したことが彼らの会話の中から明かされる。ロブはダグのエベレスト登頂への思いを、誰よりも汲み取っていたに違いないのである。だとすると、ロブの判断ミスも十分に説明がつく。もし今年も駄目ならば、ダグは1年間に振り込んだ65,000ドルと、多少値引きされたにしてもおそらく50,000ドルで、115,000ドルほどの大金を失うことになる。その同情心が、後に取り返しのつかない悲劇を生むことになることを2人は知らない。

ここから先の描写は、ノン・フィクションならではの残酷さを我々に提示する。先ほどまで頂上からの美しい眺めを見せていたエベレストの山が、一瞬にして彼らを襲う凶器となる。そのくらい自然というのは残酷であり、残酷だから美しいとも言える。ここでは主人公であるロブに降りかかった運命と、隊のメンバーでもあったベック・ウェザーズに起きた奇跡とその後に起きた救済措置とを対比することで、人間の紙一重の運命を、出来る限り冷静に描写しようと努めている。そこにあるのは感動のクライマックスには程遠い。しかしかえってアメリカ映画的なお涙頂戴の物語に回収されない潔さが今作にはある。

正直言ってこれだけのボリュームある物語を121分に纏める行為はあまりにも難しい。事実を事実として歪めず描きながら、同時に悲劇のドラマとしても成立させなければならない。アイスランド出身のバルタザール・コルマウクルにとっては実に難儀なものだったろう。ただそれでも導入部分を極端に省略してしまったことにより、映画全体の因果関係が複雑に絡まってしまったのは否めない。普段アメリカ映画を観ない人にとっては、それぞれのキャラクターを演じた俳優の把握だけで、恐らく相当の労力を使ったはずである。俳優を9割方把握している私でも、それぞれの人物の背景がさっぱり見えず、全体の把握も細部の把握さえも苦労した。その割にはジェイソン・クラークとジョシュ・ブローリンの妻の描写には必要以上に時間を割いており、ますます隊の存在が不明瞭となる本末転倒ぶりは、昨今のアメリカ映画においても憂慮すべき問題なのかもしれない。

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