【第267回】『ハードエイト』(ポール・トーマス・アンダーソン/1996)

 冒頭、どこにでもありそうなダイナーの入り口の、道路を挟んだ向こう側にカメラは待ち構えている。随分と車体の長いトラックが画面を横切ると、入り口でしゃがみ込んでいる1人の男がいる。ゆっくりとカメラは近づいていき、突如登場した初老の男が、しゃがみ込んだ男をダイナーの中へと招き入れる。もう何度も目にしているあまりにも有名なPTAのデビュー作の最初のシークエンスである。初老の男は、若い男の話を親身になって聞き、飯だけではなくタバコまでご馳走する。彼は母親の葬儀代を稼ぐために、ブラック・ジャックに全財産を投じるが、擦られてすってんてんになってしまったのだと話す。その話を聞いた初老の男は、彼にお金を提供し、もう一度カジノへ行かないかと誘うのである。

若い男はその親切心にどこか裏があるのではないかと勘繰る。自分は空手の有段者だから、手を出してきたらボコボコにしてやるぞと初老の男がホモだと疑うが、その様子に呆れ果てた顔をしながら、初老の男は若い男の機嫌を取るのである。果たしてこの男の真意は何なのか?いったいどこにそんなことをするメリットがあるのか?PTAはその疑問への答えを一切明示しないまま、2人を車に乗せる。最初は後部座席から運転する初老の男の様子を伺う若い男だったが、ジャンプ・カットすると助手席に座り、もう自分の話をあることないこと饒舌に話しているのである。母親が死に、天涯孤独になった男は、広いアメリカで寂しさの中で生きていかなければならない。彼は寂しさから、先ほど会ったばかりの初老の男に鼻息も荒く話しかける。

PTAの映画においては、しばしばこの偽装された父子関係が成り立っている。若い方の男は頭が弱く、情緒不安定で、年老いた男は人生経験豊かで聡明なジェントルマンで、彼はしばしばカリスマ的なオーラを放っている。今作にはその原型とも言える構造が立ち現れていると言っても過言ではない。ジョン(ジョン・C・ライリー)は当初こそ、シドニー(フィリップ・ベイカー・ホール)の明らかに偽善的な献身を疑いながらも、彼に指南されたペテンを行い、大金を稼ぐことであっさりと心のバリアが外される。シドニーの行動は、まるでそうなることををわかっていたかのように振る舞うのである。

2年後、プロのギャンブラーになったジョンとシドニーの間に、1人の女が現れる。シドニーによってクレメンタイン(グウィネス・パルトロー)と名付けられたその女は、明らかに薄幸そうでパッとしない。この役柄を若き日のグウィネス・パルトローが、ある種の気怠さを持って演じている。アイラインは黒く滲み、アイシャドーはまるでパンダのようなメイクでとにかく華がない。女は明らかに仕事に疲れており、夢を見る余裕もない。そんな薄幸のクレメンタインに対してもシドニーは、ジョンと同じようにある種の温かさを持って接する。彼女の出勤終わりに待ち構え、ジョンと同じようにダイナーで彼女の身の上話を聞いてやる。そして親切にも自分の部屋に招き入れ、自分が寝るはずのベッドを提供する。クレメンタインはこのオヤジが売春目的なのだと覚悟するが、シドニーはその態度に苛立ちを見せる。まるで自分の100%の善意に対し、お前たちはどこまで信じられないのかと言わんばかりである。

その善意が更に異様に映るのが、中盤のモーテルのシークエンスである。酩酊して布団で寝込むシドニーに対し、1本の電話が舞い込む。明らかに狼狽したジョンの様子に、すぐに駆け付けるからとシドニーは電話を切る。モーテルに駆け付けると、ドアの向こうから怯えきったジョンの声が漏れてくる。散々説得の末、部屋の中に入ったシドニーはとんでもない光景を目撃する。このシークエンスでは、さすがに広角レンズで撮られたカメラが、狭い空間の中でいったいどこに構えればいいのか途方に暮れている節はある。ベッドの上に横たわる手錠された白人のデブ、その傍らでメソメソ泣きながらうずくまる女、その様子に明らかに狼狽した態度を見せるジョンの姿、三者三様の乱痴気ぶりを見るに見兼ねて、シドニーはある決断をする。

当初から想定されていたものの、ここへ来ていよいよ今作が「フィルム・ノワール」というジャンル映画の真の後継者だと高らかに宣言するのである。シドニーはその日の午後、晴れて結婚したジョンとクレメンタインをどこか遠くへ逃げろとけしかけるのである。ナイアガラの滝へ行けと一方的に宣言し、一度はジョンに固辞されるが、強引に2人をナイアガラの滝へと新婚旅行に駆り出すのである。ここでオリジナル版ではジミー(サミュエル・L・ジャクソン)に対し、ジョンがシドニーを良い人だから相談したらと電話で声をかける場面があるのだが、DVD版ではどういうわけかその場面がカットされている。

ジミーはシドニーの裏の顔であり、知られたくない事実を知ってしまっている。ここに来て観客はようやく、シドニーの真の目的を知ることになるのだが、シドニーにとってジミーが嫌いな男から心底邪魔で厄介な男に昇格する。このサミュエル・L・ジャクソンの独演会のようなシークエンスは、ポッと出の新人だった監督の作品に出演してくれたサミュエル・L・ジャクソンへのPTAへの感謝の気持ちだろう。やがて破滅に向かう男は、カジノでの一晩の豪遊を楽しみ、売春婦を囲い、帰路に着くのである。

ジミーの残酷な死の瞬間が、観客に否応無しにシドニーとジョン、クレメンタインの関係性の崩壊を予感させる。シドニーは電話において、ジョンへの愛情を告げ、そこではジョンの涙を誘っている。だが3者の関係性がこの先どうなるのかは陽を見るより明らかだろう。映画内において、何とか威厳を保ったシドニーの化けの皮が、フレームの外で剥がれたとも剥がれなかったとも言えるのだが、PTAは決定的瞬間を回避したことで、我々観客に張り詰めた3人の関係を伝えるのである。今作を撮った時、PTAが26歳だったという事実を聞き、アメリカ映画に恐るべき新人が現れたと感じた。その実感は日を追うごとに大きくなり、今に至る。21世紀のアメリカ映画の世代交代を予感させた恐るべきデビュー作である。

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