【第539回】『バード』(クリント・イーストウッド/1988)

 「アメリカ人の人生に二幕目はない」というスコット・フィッツジェラルドの名フレーズ。未完のまま残された長編小説『ラスト・タイクーン』からの一節は、天才と称されながら、ハリウッドで早世したフィッツジェラルドの叫びにも聞こえる。ミズーリ州カンザスシティ、ニワトリが戯れる庭先に、ポニーに跨った黒人の少年が連れてこられる。ショットは変わり、アルト・サックスを吹きながらベランダを数m歩く青年期の彼がそこにいる。彼の名は「バード」ことアルト・サックス奏者チャーリー・パーカー(フォレスト・ウィテカー)。ジャズ・クラブで満員の観衆を前に繰り広げられるエネルギッシュな代表曲『レスター・リープス・イン』。額に汗が浮かび、神々しいまでのサックス・プレイに導かれ、バンド・メンバーや観客の興奮も頂点に達する。まるでエクスタシーに昇るように、急に明るい光に遮られ、突然投げられるシンバルのショット。観客の歓声が掻き消され、パーカーはホテルの部屋にゆっくりと歩み入れる。投げられたシンバルの残像が、部屋の扉を開けて帽子を投げ入れるパーカーの仕草と呼応する。ホテルの外に轟く雷鳴と豪雨。まだ起きてたのかという問いに対し、ソファーに座ったチャーリー・パーカーの妻チャン・リチャードソン・パーカー(ダイアン・ヴェノーラ)は振り返りもせずに無言の反応をする。夫婦にとってかけがえのない娘は、この数日前天に召されていた。冷蔵庫の上に置かれた「改心するよ」という妻への手紙。胃潰瘍の苦しさに風呂場に逃げ込んだパーカーは突発的に命を絶とうとする。

今作はモダン・ジャズの創始者、ビバップスタイルのオリジネイターとして知られる故チャーリー・パーカーの伝記映画である。「ビ・バップの父」とも称された天才的なインプロビゼーション、直感的なアドリブ力、抜群のイマジネーション溢れるフレーズの数々でジャズの歴史に燦然と輝く名演を残しながら、麻薬や酒に溺れ、悪魔に魂を売り渡した破滅的人生を歩んだことでも知られている。そんな彼の栄光と破滅の歴史のうち、イーストウッドは明らかにジャズのために悪魔に魂を売り渡し、徐々に衰えていくチャーリー・パーカーの自滅的人生を強調して描いている。僅か35年という短い生涯を終えたパーカーだが、当然そのトピックスや描くべき事象はあまりにも多い。ジャズ愛好家であり、実際に16歳の時にJazz At The Philharmonicで彼の演奏を聴き、生涯ファンとなったイーストウッドはあえてありきたりな伝記映画にはしない。映画はアヴァンタイトルでパーカー少年を青年に成長させ、突然死ぬ1年前の1954年に飛ぶ。娘の死や仕事の行き詰まり、持病の悪化が原因で自殺未遂を図るところから映画は始まる。胃潰瘍にやられ、既に全盛期を過ぎたと言われた50年代のチャーリー・パーカーが、愛妻でありシンガーだったチャン・リチャードソン・パーカーとの馴れ初め、肌の色は違うが、音楽的に分かり合い、彼の生涯の友(ブラザー)として共に時代を作ったレッド・ロドニー(マイケル・ゼルニカー)との友情と挫折。共にビバップの創始者としてしのぎを削り合ったディジー・ガレスピー(サミュエル・E・ライト)との友情と不和。チャン・リチャードソン・パーカーにイーストウッド自身が何度も聞き取りを行い、史実に忠実に作られた物語では、チャーリー・パーカーをめぐる3人の女の愛憎劇とも言えるだろう。

イーストウッドは『センチメンタル・アドベンチャー』同様に、自己破壊衝動に走る主人公に執着を隠さない。30〜40年代というイーストウッド自身の青春時代とも呼応する当時の時代背景。西部劇とジャズこそがアメリカが産み出した奇跡の誕生だと信じてやまないイーストウッドの語りのスタイルは、映画そのものをビバップになぞらえ、過去・現在・未来がシャッフルされ、美しいパッチワークの様相を呈す。その中で数回、同じようにシンバルが空を舞う。1940年代初頭、無名だったパーカーはカウント・ベイシー楽団の驚くべき名演に乱入し、初めてカンザスで聴衆の前で公開オーディションならぬバトルを繰り広げることになる。そこで思うように吹けなかった苦い経験、演奏を止めさせようとドラマーが投げたシンバルがパーカーの頭を越え、目の前に落ちる。この時投げられたシンバルがパーカーの生涯に渡るトラウマとなる。滑らかな物語構造を突然断ち切るように何度も繰り返される投げられたシンバルのイメージが、パーカーの死と生の間を繰り返し彷徨う。こうして記憶と感情、感情と音楽、音楽と人生は円環状態を作りながら、最後の瞬間までを克明に記録していく。『オール・オブ・ミー』や『ディス・タイム・ドリームス・オン・ミー』など幾つもの名演の数々。幾つかの栄光の時を排してまで、パーカーのルーツに迫ろうとした南部巡礼の旅、そこで出会ったブルースの豊かさ、パリの4月で聴衆の絶賛を浴びながらも、祖国アメリカにこだわり続けたチャーリー・パーカーの思いが丁寧な筆致で描かれる。カンヌ国際映画祭で男優賞に輝いたフォレスト・ウィテカーとチャーリー・パーカーとは率直に言って1mmも似ていないが、観る度に味わい深くなる傑作中の傑作である。

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