【第345回】『ミュンヘン』(スティーヴン・スピルバーグ/2005)

 1972年9月5日、ミュンヘン・オリンピック開催中、パレスチナ・ゲリラ “黒い九月”により11人のイスラエル選手が殺害される事件が起こった。激怒したイスラエル機密情報機関モサドは、暗殺チームを編成して報復を企てる。リーダーに任命されたのは、愛国心あふれるアヴナー(エリック・バナ)。妊娠中の妻にも事情を話せないまま、彼は命令に従うことを決める。上官エフライム(ジェフリー・ラッシュ)の指示のもと、アヴナーはヨーロッパに渡る。そして車輌専門のスティーヴ(ダニエル・クレイグ)、後処理専門のカール(キアラン・ハインズ)、爆弾専門のロバート(マチュー・カソヴィッツ)、文書偽造専門のハンス(ハンス・ジシュラー)という4人のスペシャリストと共に、アラブのテロリスト指導部11人を1人1人暗殺していく。

ホロコーストによるユダヤ人狩りを描き、アカデミー賞を獲得した『シンドラーのリスト』は90年代のスピルバーグの復活を高らかに宣言しただけでなく、彼のフィルモグラフィにおいて最もシリアスで容赦ない作品となった。しかしながらその『シンドラーのリスト』に対するクロード・ランズマンやジャン=リュック・ゴダールの痛烈な批判にはスピルバーグ自身かなりのショックを受けていたとされる。今作ではその『シンドラーのリスト』のラストに登場したシオンの丘が唐突に登場する。シオニズムの語源ともなったこの神聖な丘が登場する映画は、あの忌々しい1972年のミュンヘンオリンピック事件に端を発する。パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエルのアスリート11名を人質にとり、イスラエルに収監されているパレスチナ人全員を解放せよという声明が出されたこの事件は結局、人質9名全員と警察官1名が死亡する最悪の結果で終結した。

この事件に対し、イスラエル政府は「目には目を 歯には歯を」の報復を決意。テロの首謀者とされる11名のパレスチナ人の暗殺を計画する。「神の怒り作戦」を名乗ったこのプロジェクトでは、空爆に続いて、さらなる報復および同様のテロの再発を防ぐことを名目に、黒い九月メンバーの暗殺を計画。ゴルダ・メイア首相と上級閣僚で構成される秘密委員会を設置した。委員会はイスラエル諜報特務庁(モサド)に対して、ミュンヘンオリンピック事件に関与した者の情報収集を行なわせ、これに基づき委員会は暗殺の対象を決定、モサドの「カエサレア」と呼ばれる特殊部隊に暗殺を指示していたとされる。イスラエル軍はいまだにこの組織の存在を公に認めていないが、スピルバーグはこの秘密裏に起きた事件を基にしたジョージ・ジョナスの『標的は11人 モサド暗殺チームの記録』を下敷きにしている。

映画は冒頭、黒い九月の実行犯によるテロ行為を描く。これまでのスピルバーグの映画に何度も出て来た柵が彼らの凶行を阻むが、そこに偶然通りかかった酔っ払いのアメリカ人たちがその柵を越える手助けをすることになる。彼らは自分たちと同じ選手が、夜遊びをした帰りだと思い彼らを助けるが、それが悲劇の要因になるのである。前半部分の1時間はこのミュンヘン事件の凶行から、それに対する報復作戦までを時系列を追って説明するが、それこそ『シンドラーのリスト』のリーアム・ニーソンのように、これまでのスピルバーグ作品に顕著だった超然たる正義を誇る主人公は1人として出て来ない。『シンドラーのリスト』では一貫して被害者としての主張を続けたイスラエル側(ユダヤ人)が、被害者にも加害者にもなりうる自己矛盾的な様相を呈しているのである。

それが最も明らかになるのは、パパ(マイケル・ロンズデール)とルイ(マチュー・アマルリック)のエピソードであり、後半のPLOとの鉢合わせの場面だろう。パパとルイはPLO側にもイスラエル機密情報機関モサドにも重要な情報を流し、それぞれの組織を危険に晒すことになる。パパとルイはナチスとユダヤの間に介在したシンドラーのように、彼ら双方の意見を聞ける立場にありながら、両者から金を貰い情報を売っている。ここでもアヴナーはアジトへの輸送に際し目隠しをされ、目隠しを取った瞬間に車の周りを取り囲む子供達の歓待に遭う。パパは自分たちを家族のように接するようアヴナーに求めるが、実際のファミリーではないと前もって釘を差すのである。彼らとPLOの鉢合わせの場面では、主人公のアヴナーはETAを偽装し銃撃戦は免れるが、祖国を奪われた1兵士の思いを偶然にも聞き出すことになる。あんな荒地よりマシな土地など世界中にどこにでもあるのにというアヴナーの言葉に対し、彼は涙ぐみながらこう言う「祖国を失った者の気持ちは誰にもわからない」と。

その後のアヴナーとモサドの総崩れになる展開と、この歴史的事件の結末を描かない手法は、アヴナーの挫折感を一層色濃く伝えることになる。前半の受話器を持つ場面のハムシャリの娘の誤爆回避とともに、今作の中で最も印象的な場面は、アヴナーが失意の中で妻と、生まれたばかりの子供の声を聞く場面である。ここで娘の声にならない声を受話器越しに聞いたアヴナーは突っ伏して泣く。ノイローゼに襲われた彼が追っ手から逃げ、平穏に暮らすため選んだ場所は偶然にもニューヨークであり、ラスト・シーンには9.11で跡形もなく破壊された世界貿易センタービルが映り込むのは何かの偶然だろうか?この報復の連鎖がいったい何から始まって、何で終わるのか?スピルバーグのフィルムメイカーとしての冷徹さの中に、ニューヨーカーとしてのシリアスな自己同一性が滲んでいる。

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