【第316回】『アメリカン・グラフィティ』(ジョージ・ルーカス/1973)

 1962年。カリフォルニア北部の小さな地方都市。若者たちの唯一の気晴らしはカスタム・カーをぶっ飛ばしてガールハントすることだ。ボリュームいっぱいにあげたカー・ラジオからは町一番の人気者のDJ(ウルフマン・ジャック)のうなり声と「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の弾むリズムが流れてくる。若者たちの溜り場は「メルのドライブイン」。そこに仲のいい4人が集まった。17歳のカート・ヘンダーソン(リチャード・ドレイファス)の車はシトロエン、同じく17歳のスティーヴ・ボレンダー(ロニー・ハワード)の車は58年型シボレー、16歳のテリー・フィールズ(チャーリー・マーティン・スミス)はスクーターのベスパ、そして22歳のビッグ・ジョン・ミルナー(ポール・ル・マット)はドラッグ・レースのチャンピオンで31年型のカスタム・フォードのデューク・クーペに乗っている。今夜はその4人が顔を揃える最後の夜だった。高校を卒業したカートとスティーヴが東部の大学へ進学するため、明朝町を去るからだ。

ジョージ・ルーカスの2本目の監督作品にして、70年代青春映画の金字塔。高校を卒業し、いよいよ大人になる目前の通過儀礼となる卒業パーティからその翌朝までの1日を描いた物語である。アメリカ人であれば誰もが通る青春の甘酸っぱい思いと愛と友情、オールディーズ音楽、クラシック・カー、ブロンド少女、リーゼント、ブルー・ジーンズ。ジョージ・ルーカスはそれらを50年代の記号として統合し、至る所に散りばめている。その中でカート、スティーヴ、テリーの3名の行動をあえて同期させず、別行動を取らせたのも大きい。

カートは白いサンダーバードに乗った金髪の美人を目撃して一目惚れした。車のドア越しにチラッとビーナスのような微笑みを見かけただけだったが、明日はもうこの町にはいない、何としても言葉を交したかった。しかし思いがけないことからジョーをリーダーとする町のチンピラ・グループ、ファラオ団に引きづり込まれてしまうが、持ち前の機転のよさで難をまぬがれる。スティーヴとカートの妹ローリー(シンディ・ウィリアムズ)は将来を約束した恋人同志だが、彼女にとってスティーヴとたとえ4年間でも離れて暮すのは耐え難いことだった。男としての将来を考えなければならないスティーヴと、彼を旅立たせまいとするローリーの間にトラブルが生じ、腹を立てた彼女は車から飛びおりて、若い男が運転する車に乗ってしまった。その頃、ビッグ・ジョンは13歳のオシャマな娘キャロン(マケンジー・フィリップス)を車に乗せなければならなくなっていた。最初、キャロンの姉をハントするつもりだったのが、どういうわけかビッグ・ジョンの隣に座ったのはキャロンだった。彼は必死になってキャロンを車から降ろそうとするが、くっついて離れない。

ジョージ・ルーカスはこの四者四様の恋模様を並行して描く。これが後の『スター・ウォーズ』でもしばし描写された登場人物たちの別行動に移行したことは明らかである。今作では夜の場面が大半を占め、男女の心の揺れはあくまで車内で描かれていく。カートはチンピラに絡まれ、犯罪の片棒を担がされる羽目になる。スティーヴは高校時代の恋愛に小休止を打たなければならないが、彼女に上手く告げることが出来ない。ビッグ・ジョンは少女のお守りをさせられながら、記念すべき日がつまらない日になってしまったことを嘆く。それぞれにとって忘れられない一夜がゆっくりとだが確実に過ぎていく。

その中でも特にドラマチックなのがテリーのエピソードであろう。スティーヴから借りたシボレーに乗って上機嫌になったテリーは、デビー(キャンディ・クラーク)というブロンド美人に声をかけると、奇跡的にドライブに応じてくれる。コーラでもおごろうとしたら「お酒の方がいいわ」と言われ、ウィスキーを買いに行く。ここでの未成年の生まれて初めてアルコールを買うまでの冒険譚の描写が実に素晴らしい。未成年の自分の代わりに、客に頼み込んで何とかウィスキーを買ってもらおうとするが、最後には驚くべきハプニングが待ち構えている。この童貞少年の子供から大人への過程がユーモラスに描かれ、ジョージ・ルーカスの優しさが心に沁みる。

シトロエン、58年型シボレー、31年型のカスタム・フォードのデューク・クーペなどのクラシック・カーの味わいもさることながら、ここでは今で言うところのオールディーズ・ミュージックが全編に渡り響く。リチャード・ブルックス『暴力教室』のオープニングでも使用されたBill Haley & His Cometsの『Rock Around The Clock』、Del Shannonの『悲しき街角』、ゼメキスの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でも使用されたChuck Berryの『Johnny B. Goode』、少し季節外れにも感じるBeach Boysの『Surfin' Safari』、そして何と言っても卒業ダンスの際に流れるThe Plattersの『Smoke Gets In Your Eyes』はエドワード・ヤンの『恐怖分子』においても最も印象的な場面で使用されていた。これら幾つものポップ・カルチャーの記号が物語にエヴァーグリーンな魅力を沸き立たせる。

クライマックスはジョージ・ルーカスお得意のカーレースに帰結する。『スター・ウォーズ・エピソード1/新たな希望』においても、フォースの運命を賭けてアナキンの決死のレースが幕を開けたが、今作でもビッグ・ジョンとボブの男と男の運命の果たし合いが始まる。面子を賭けたレースは随分とあっけなく勝敗が決まるものの、4人の親友たちは現実に戻り、それぞれの進むべき道へと進んで行く。ラストの唐突な文字列は当時から賛否両論あったし、中でも女の子たちがその後どうなったのかを知りたいという声が大半を占めた。この頃のアメリカ映画はまだ女性よりも男性主体だったのである。アメリカ合衆国は幸福だった50年代に別れを告げ、公民権運動やケネディ暗殺、LSDやサマー・オブ・ラブ、ベトナム戦争を経て価値観そのものが大きく変貌していく。ルーカスが「失われた時代」に目を向け、自分たちの青春を振り返ったことは、70年代中盤のアメリカ映画の転換点と歴史の混沌を暗示していたのかもしれない。

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