【第619回】『スター・トレック BEYOND』(ジャスティン・リン/2016)

 ケルヴィン・タイムラインとも呼ばれるいわゆる平行世界設定で旧作を見事にリセットした21世紀の『スター・トレック』新シリーズ3作目。ルーカス・フィルムとウォルト・ディズニー社による前2作を経歴代わりにした『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の最終適性試験に見事合格し、J・J・エイブラムスは最大のライバルである『スター・ウォーズ』シリーズの監督を継承し、『スター・トレック』シリーズの監督を降板。代わりに白羽の矢が立ったのは、『ワイルド・スピード』シリーズのメガ・ヒットで知られるジャスティン・リンである。前2作の詰め込み型の手際の良い展開に比べ、ジャスティン・リンの演出は広大な宇宙の中の個にフォーカスし、時に、ジェームズ・T・カークの印象的なモノローグを交えるなど従来の『スター・トレック』シリーズを前2作よりも正しく継承する。人物たちは哲学的に思考し、自問自答を繰り返す。前2作では直感を重んじるカーク船長(クリス・パイン)と、規律を重んじるスポック(ザカリー・クイント)とを対比的に描きながら、2人が歩み寄り、結託する姿を描いていたが、今作で感心したのはあえてカーク船長とスポックとを引き離し、これまであまり観られなかったコンビネーションに新基軸を見出す点にある。カーク船長とパヴェル・チェコフ(アントン・イェルチン)、スポックとマッコイ(カール・アーバン)、ウフーラ(ゾーイ・サルダナ)とヒカル・スールー (ジョン・チョー)という異色のコンビに旅をさせることで、物語に新味を吹き込む。特にスコッティの絶体絶命の危機を救うことになる孤独な異星人の人物造形が素晴らしい。スコッティを演じたサイモン・ペッグは今作では見事、俳優兼脚本家に昇格を果たす。モンティ・パイソン風味のインテリジェンス溢れるコメディ要素は全てサイモン・ペッグによるものなのは想像に難くない。

J・J・エイブラムス版の前2作はほぼ地球を舞台にし、宇宙船の中ではなく外で繰り広げられる物語だったことから、『スター・トレック』原理主義者たちの不評を買ったが、その見地で言えば今作も純然たるS.F.作品とは言えない。それは主たる活劇の舞台が地球によく似た惑星アルミタッドと最新宇宙基地ヨークタウンに設定され、ほとんどのアクション・シーンは宇宙空間ではなく、平地で繰り広げられる。中盤以降、畳み掛けるようなアクションの釣瓶打ちが続くが、インフレ状態のアクションはかえってシリーズの人間ドラマを阻害しているように思えてならない。あくまで人間としてのスペックしか持たないはずのキャラクター造形はアメコミ的に一気に舵を切り、それぞれが超人的な活躍を見せるのだ。懐かしのラップ曲の使用も『デッドプール』や『スーサイド・スクワッド』を過剰に意識する。『スター・トレック』ではこれまで多くの社会、政治・宗教問題を織り込み、その時々のアメリカ史を巧みに暗喩して来たが、今作のも例外ではない。まるでヒッチコックの『鳥』のようなUSSエンタープライズ号の破壊シーンは、アメリカ同時多発テロ事件で爆破されたニューヨークの世界貿易センタービル破壊の悪夢を思い起こさせる。地球から何億光年も離れた最新鋭の基地を誇る島ヨークタウンは、世界に冠たる多国籍都市ニューヨークを模倣する。前作のベネディクト・カンバーバッチよりもだいぶ役者の劣るクラール(イドリス・エルバ)のヴィラン造形は、アメリカを逆恨みしたイスラム国のテロリストの禍々しき姿に他ならない。

『ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション』に続く中国のアリババ影業集団の巨大出資は、ヒカル・スールーの必要以上の大活躍だけではなく、エンド・クレジットの(エンド・ロールではない)の一番先頭にジョン・チョーを持ってくるという至れり尽くせりの出血サービスで中国マーケットの機嫌を伺いながら、未だ傷の癒えないアメリカ社会の病巣に寄り添う。中国国籍を持つジャスティン・リンの監督起用も、アメリカ側から中国への配慮に違いない。だとすればヒカル・スールーの束の間の同性愛の描写は、一体何を意味するのか?サイモン・ペッグのブラックな風刺にはスクリーンの前で肝を冷やした。オリジナルでスポックを演じたシリーズの精神的支柱レナード・ニモイは2015年に83歳で天国へと旅立つ。そして最も悲劇的なことは、新シリーズに3作続けて出演したパヴェル・チェコフを演じたアントン・イェルチンの痛ましい事故死に他ならない。今作の撮影終了後、彼は自宅前の緩やかな坂を愛車ジープ・グランドチェロキーのギアをニュートラルに入れたまま、郵便物を取ろうと車を降りた。しかし車は残酷にも後ろ向きに動き、華奢なイェルチンの身体は鉄格子との間に挟まれ、圧死した。享年27歳。USSエンタープライズ号の航法士として、史上最年少の若さでクルーを支えたパヴェル・チェコフのあの甲高い早口が聞けなくなると思うと、途端に悲しみが込み上げる。改めてレナード・ニモイとアントン・イェルチンのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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