【第398回】『家族はつらいよ』(山田洋次/2016)

 なだらかな坂をのぼったところにあるごく普通の二階建ての住まい。青い屋根、白い壁を基調とした部屋からは明るく賑やかな声が漏れ聞こえて来る。かつてはモーレツサラリーマン(←死語)として家族を養うために昼も夜もなく働き、馬車馬のようなサラリーマン生活を終え、今は悠々自適な暮らしを送る団塊世代の父母の元には、長男幸之助(西村雅彦)とその嫁史枝(夏川結衣)、幸之助の2人の息子たち、庭で飼われたペットの犬トトがいる。これは郊外に住む団塊サラリーマンと団塊ジュニアの典型的な三世代同居のファミリー・ドラマである。この三世代同居に、更に長男幸之助の弟庄太(妻夫木聡)も30代の結婚適齢期ながら居候しており、7人で手狭な暮らしを謳歌している。核家族を憂い、独居老人の数も年々増え続ける現代において、三世代同居+居候の暮らしにどこまでリアリティがあるのかは定かではない。だがこの家族構成はいわゆる松竹大船調の典型的な「小市民映画」の風景に他ならない。昭和の時代、そこかしこに溢れていた典型的な中産階級プチブルの暮らし。それはかつて『サザエさん』でも描かれた日本の理想の家庭像であり、『男はつらいよ』でも描かれた日常的な家族の光景でもある。

今作は平田家の父親・平田周造(橋爪功)からの1本の電話で幕を開ける。その電話の主を間違える軽妙なやりとりはともかく、周造は嫁に対し、「今日は遅くなるから夕飯はいらないから」とぶっきらぼうに告げる。冒頭から父親は明らかに7人家族の集う平田家にあまり寄り付こうとしない。かつて『男はつらいよ』の主人公だった車寅次郎が、ふらっと現れては急にいなくなる根無し草のような生活を謳歌したように、今作においても大黒柱たる父親は平和なマイホームを避けるかのように、昼間はゴルフを楽しみ、夕方からは行きつけの小料理屋の女将かよ(風吹ジュン)と気の置けない会話に興じ、なかなか家には帰らない。そんなある日、いつもの如く浴びるように呑み、酔っ払って帰った周造は妻・富子(吉行和子)にいつものように服を脱がせてもらう。自分でズボンを下ろすでもなく、靴下は表裏逆向きに無造作に投げ捨てられる。その様子とは対照的にふと視線に入った花瓶のバラ。その花を見て、何やら言葉を投げかけた夫に対し、大人しく温厚な妻は「今日は私の誕生日だったのよ」とそっと告白する。当然夫は記念日を覚えていない。何かプレゼントを買ってやるという泥酔した身勝手な夫に対し、妻は引き出しに閉まってあった離婚届を渡すのである。こうして訪れた夫婦の亀裂はやがて平田家全体の波紋となり、急速に燃え拡がっていく。

云うまでもなく今作における平田家の配役は、山田洋次の過去作である『東京家族』に準拠している。小津安二郎の『東京物語』の現代版リメイクとして製作された『東京家族』は広島県豊田郡に住む老夫婦が、都会に住む長男、長女、次男夫婦の元を順番に訪ね歩くが、けんもほろろに追い出されてしまう悲哀を謳った作品であった。そこに『東京物語』の原節子たる血のつながりもない蒼井優が立ち現れるのである。今作は『東京家族』ほど小津安二郎の『東京物語』に雁字搦めになっているわけではないが、明らかに『東京物語』の変奏曲として描かれているのは間違いない。次男で居候の身である庄太(妻夫木聡)は長男と父親の確執の中和剤として平田家に留まっているのだと、自分の置かれている状況を解釈しているが、いよいよ巣立ちの季節を迎えている。新しいマンションでの暮らし、良いお付き合いをしている憲子(蒼井優)とは一人暮らしのタイミングをけじめとして、プロポーズする。山田洋次作品に出て来る若者たちは、こうして一つ一つの段階をしっかりと律儀に踏んでいく。愛の告白、同棲もない別々の暮らし、マンションを契約し、彼女にプロポーズし、家族全員に会わせたい人がいるのだと告げる実にわかりやすい家族への礼儀。間違っても出来ちゃった結婚なんてするはずもない生真面目な若い2人に対し、周造はどこまでも冷ややかな態度を向ける。

それにしても山田洋次の女優・蒼井優に対する尋常ならざる想いというのはいったい何なのだろうか?蒼井優だけに限らず、黒木華への尋常ならざる演技指導と思い入れ、そして蒼井優のイメージとの複雑な交差は、遡って倍賞千恵子から続く山田洋次の聖なる女性像を鮮明にする。和風美人の白い肌、古風な顔立ち、化粧っ気のない素顔、額を隠そうとしない髪型まで3人のイメージは見事に合致する。そして今作が堅苦しい形式主義に賦した『東京家族』よりも素晴らしいのは、実に心地良い脱線に次ぐ脱線であろう。橋爪功と小林稔侍扮する沼田という同級生のやりとりは税務調査官・窓際太郎を彷彿とさせる実に小気味良いやりとりだし、警備員役の笹野高史の一連の転倒もベタと言えばベタなりに上手くいっている。外科医役の笑福亭鶴瓶と西村雅彦のやりとりはまさに一回きりのアドリブ芝居であり、カメラをギリギリまで向け続けたことに対する役者の身体性が爆発した演技とも言えるのである。それに対して少し寂しかったのは子役の中村鷹之資や丸山歩夢への山田洋次の演出の粗雑な扱いである。今時あんな若者は絶対にいないと断言出来る 笑。あとは肝心要の家族会議の場面も、各人の演技がいまいちヒート・アップせず、演技がそこまで熱を帯びて見えなかったのも残念だった。いまこの国で一番元気なのは、間違いなくじじいだと口汚い言葉を吐きたくなるような作品として、どこか昨年の『龍三と七人の子分たち』と共通する部分が感じられるが、真に年寄りが安心出来るのは山田洋次作品には暴力がないことであろう。よく笑い、ほろっとさせ、しっかりと締めるところは締める、まるでシルバー世代の楽園のような幸福感に映画館は包まれていた。

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