【第534回】『GODZILLA ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ/2014)

 トリニティ実験を映す仰々しいアヴァンタイトル。モナーク計画という謎の文言。やがてカウントダウンが始まり、放たれた核爆発のうろこ雲と熱風がもの凄い勢いでスクリーンに迫り来る。それから50年あまりの歳月が過ぎた1999年フィリピン、特別研究機関MONARCHに勤める生物化学者の芹澤猪四郎博士(渡辺謙)は助手のヴィヴィアン・グレアム博士(サリー・ホーキンス)を伴い、炭鉱の崩落事故を調査するためこの地にやって来ていた。芹澤教授の手の中に握られた父親の形見の懐中時計。炭鉱の床は40mほど崩落し、その穴に潜っていく芹澤たちは炭鉱の深部で巨大な恐竜の化石を発見する。化石を覆うような不思議な別種の生物の繭。芹澤は険しい表情を見せる。一方その頃、日本の雀路羅(じゃんじら)市という架空の都市、森と山に囲まれた盆地のような場所に、白い原子力発電所が3基そびえ立つ。この原発に勤める核物理学者のジョー・ブロディ(ブライアン・クランストン)の息子フォード(CJ・アダムス)は父親の誕生日のためにプレゼントを用意して待っているが、何やら電話の向こうの様子がおかしい。そんな息子の姿を心配そうに見つめるサンドラ・ブロディ(ジュリエット・ビノシュ)の姿。息子を送迎バスに乗せ、共に原発に勤める妻は夫に対し、「ハッピー・バースデイ」と伝え、キスを交わす。不可解な地震は頻発し、妻で技師のサンドラが原子炉の安全確認に向かうが、そこで巨大な地震が起こり、彼女は夫の目の前で被爆し、命を落とす。

『シン・ゴジラ』を除いて、2014年に公開された目下のところの最新ハリウッド・リメイク作。98年のエメリッヒ版『GODZILLA』とはまったく違う製作会社により製作されたまったく別種の作品であり、登場人物には何の因果関係もない。まるで『ジュラシック・パーク』のティラノサウルスだったエメリッヒ版『GODZILLA』の失敗を顧み、今作では日本製ゴジラの造形をある程度忠実に再現しているが、肝心要のゴジラの動きは着ぐるみではなくCGである。母親の死亡後、失意の日々を送った父子だが、息子のフォード・ブロディ(アーロン・テイラー=ジョンソン)は爆発物処理班として軍の大尉にまで昇進を果たしている。彼にはエル・ブロディ(エリザベス・オルセン)という美しい妻がおり、息子のサム・ブロディ(カーソン・ボルド)とサンフランシスコで幸せに暮らしている。一方父親ジョーはいまだ日本に残り、日本政府の情報隠蔽を疑い、原発事故について単独調査している。母の不在で険悪になる父子関係という物語上の伏線を張り巡らせながら、99年にフィリピンで捕獲した繭の研究所からの脱走から事態は急展開を見せる。ギャレス・エドワーズのシリアスな演出は決して悪くないものの、脚本の展開は専門用語の羅列ばかりで、随分煩雑でわかりにくい。

全体のバランスで言えば、母の不在を巡る3世代の物語に比重を置き過ぎたあまり、怪獣映画ではなく、怪獣が出て来る映画になってしまったのは否めない。ムートー、ゴジラ、フォード・ブロディ大尉という三者三様のバランスで言えば、フォード・ブロディ大尉>ムートー>ゴジラの比重になってしまっている。フルCGによるゴジラ、ムートーの造形は決して悪くないが、背景があまりにも暗いため、ゴジラ、ムートーの黒光りするボディが埋没してしまっているのも勿体無い。途中のモノレールの危機など、日本の『ゴジラ』シリーズを研究し作られた愛情は感じるが、フォード・ブロディ大尉の息子が一言も話さず、よそのアジア系の子供を必死になって助けるのは物語として上手く機能しているとは言い難い。そもそも怪獣特撮映画はまず怪獣ありきであって、人間たちは脇役でしかない。その辺りのさじ加減が理解出来なければ、海外で作られた怪獣映画はすべて、怪獣が出て来るだけの映画になり兼ねない。日本産ゴジラの根底に流れていた反核のメタファーが、核爆弾を落としたアメリカの自己弁護に終始し、まったく別の形にすり替わっているのもどうなのか?スクール・バスに凶悪な敵が迫り来るのはスティーブン・スピルバーグ『激突』やドン・シーゲルの『ダーティ・ハリー』への正当なオマージュとして素晴らしかったし(エメリッヒの最新作『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』でも今作へのあからさまな嫉妬を隠さない)、ラストまで貯めて飛び出したゴジラの放射熱線ビームには思わず胸が熱くなったが、全体としてはもう一つの出来に甘んじている。

#ギャレスエドワーズ #アーロンテイラージョンソン #渡辺謙 #ジュリエットビノシュ #ブライアンクランストン #エリザベスオルセン #カーソンボルド #GODZILLA #ゴジラ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?