【第244回】『カリスマ』(黒沢清/1999)

 90年代初頭、黒沢が『CURE』や『カリスマ』の草稿を準備していたことは『CURE』のエントリでも述べた。『カリスマ』の方のシナリオはもう少し進行していて、ロバート・レッドフォードが主宰している映画財団「サンダンス・インスティチュート」にその『カリスマ』の脚本が評価され、アメリカへの招待を受けるのである。これは『地獄の警備員』を上映中の92年の出来事であった。40日間の滞在の中で、アメリカの俳優やスタッフを使い、実際の『カリスマ』の脚本の幾つかの場所を、7、8分の短編に仕上げ、それぞれが製作したマテリアルを実際に上映するといった今の東京藝術大学でやっている授業の走りみたいなことを行い、帰って来る。黒沢のその頃のアメリカ人の印象が、「こんなこともわからないのか」だったというのはなかなか風刺が効いている。基本的な傑作群を周りの人間はほとんど観ていなかったという。例えばJLGの作品を挙げても、『勝手にしやがれ』以外観たことないという有様だった。

『CURE』の内外での作家的成功をきっかけにして、この98年〜99年にかけては様々なオファーが舞い込んだ。『CURE』、『ニンゲン合格』と立て続けに手がけた作品の評判が良く、『カリスマ』に出資したいという会社が現れたのである。ただ昔の設定のままでは無理が生じると考えた黒沢は、大部分のシナリオを書き直す。当初のシナリオでは、ある1本の木が人々を滅ぼし、森を滅ぼした。その木を刑事が伐採することで街は蘇り、刑事はその木を原産地である中国に戻すという物語だった。そして続く物語では、主人公の刑事はある裏社会の規範に触れ、邪魔者として消されるのだが、カリスマの木の神秘的な力により、不老不死のように何度も蘇るという奇抜なストーリーだった 笑。その中間に位置し、バランスを取る物語として今作の脚本は完成する。

冒頭、フレーム内に出来たもう一つの縦長の四角いフレームの中で、一人の刑事(役所広司)がげんなりと肩を落としている。『CURE』ではそれでも妻の手前、気丈に振舞おうとしていたが、今回は疲労困憊な主人公の姿が重くのしかかる。上司は彼を心配して声をかけるが、男の反応は鈍い。薮池という名のその刑事は、代理士を人質に青年が立てこもる事件の解決を託される。彼は冷静に青年を説得しようと試みるが、代理士に銃を突きつけた青年は一枚の紙を破り、刑事に渡す。そこには「世界の法則を回復せよ」というメッセージが書かれていた。この導入部分は『運命の訪問者』の冒頭の部分に非常によく似ている。しかし決定的に違うのは、青年は死の直前に刑事に一つのメッセージを託すのである。その紙を見た瞬間、呆気にとられた刑事は、一瞬の隙で抜いた拳銃さえも引っ込めてしまうのである。かくして人質も犯人も死に、刑事は「ここではないどこか」へと旅に出るのである。

90年代の黒沢映画のロケーションの変遷として思い出されるのは、東京への回帰である。『勝手にしやがれ!!』シリーズでは台東区や荒川区などの下町の一角にある、ビルやマンションの間にすっぽりと拡がる一軒家や平屋のある風景を好んだ。ホラー映画である『地獄の警備員』や『DOOR3』では、都会の象徴とも言えるビルの上階に位置するオフィスを根城に、サスペンスが繰り広げられていた。『復讐』シリーズではあえて絵にならない住宅街の中に佇む家屋を背景に、日常に侵犯する突然の暴力を通俗的な風景の中に切り取っていた。だが今作において、都会の場面は冒頭部分のみであり、その後は役所広司の物理的移動から、森の中へとロケーションを移すのである。今作は実際に山梨県にある山中湖を中心に撮影された。そこに栃木県や都内近郊で撮影したマテリアルを編集して制作された。

思えば、80年代の黒沢は都会ではなく、人里離れた山奥を何度もロケーションとして選んでいる。『スウィートホーム』では山奥にある間宮邸にある1枚の絵を見つけるためにTVクルーは険しい森の中へ出掛けて行くし、『奴らは今夜もやってきた』では主人公で作家である園田明彦は都会の喧騒から離れるために、執筆の環境を山奥へと移すのである。他にも90年代の『893タクシー』や『勝手にしやがれ!!黄金計画』でも、森への侵入は度々試みられた。黒沢の森への尋常ならざる思いは本作で一旦帰結することになる。

森に入った初日、車内で暖をとる薮池刑事の元に、何者かが忍び寄る。まるで半透明カーテンや磨りガラスのようなボンネットの窓越しにはシルエットしか見えない。次の瞬間、車は大炎上し、そこから逃げ延びた薮池刑事はそこで頑丈に固められたある木の根元に辿り着く。その木は「カリスマ」の木と呼ばれ、桐山(池内博之)という男が熱心に手入れをしていた。その村では木々が次々に死に絶えていく謎の現象が巻き起こっていた。村の住人である中曽根(大杉漣)たちは、その「カリスマ」の木が原因となり、生態系を壊しているのではないかと考え、「カリスマ」の木の伐採に打って出ようとするのだが、ただ一人「カリスマ」の木を守る桐山がそれを許さない。

薮池刑事は中曽根とも桐山ともコミュニケーションを交わすが、あえてどちらか一方の立場につこうとはしない。彼らの単純な二項対立に見えた村の図式は、神保姉妹の出現を機に、より複雑な対立を生んでいく。たった1本の木に翻弄される人間同士の浅ましい争いが実に微笑ましい。主人公である薮池刑事は、「世界の法則を回復せよ」というメッセージだけを手掛かりにこの村に住み着く。しかしながらこの村では単なる事件とは違い、数発の銃声では解決出来ないそれぞれの思惑や利害関係が関わってくる。

その中でも、大学教授である風吹ジュンの妹に扮した洞口依子の演技が素晴らしい。『ドレミファ娘の血は騒ぐ』では何もわからない純情可憐な少女を演じた洞口依子が、今作では村の争いに薮池刑事を無理矢理引き込む危うい女性像を凛として演じているのである。ファム・ファタールと呼ぶに相応しい洞口依子の奔放な振る舞いには賞賛を禁じ得ない。風吹ジュンが最初に薮池刑事を紹介した時、洞口依子の目線はそこにはない。これだけでこの村の災いに薮池刑事を巻き込んだペテンの矛先が一気に明らかになる。この女は明らかに薮池刑事を誘惑し、罠にかけようとしているのである。

「カリスマ」の木をめぐる幾人もの人間の思惑は、やがて最悪な結末を迎えることになる。あの「カリスマ」の木の伐採シーンの遊戯性と圧倒的なカタルシスは黒沢映画の中でも屈指の名場面であろう。登場人物たちは自分の欲望のままに動き、一連の完璧なアクションへと帰結する。ここには三者三様の欲望がありありと滲み、それぞれがそれぞれを出し抜く。やがて「カリスマ」の木が迎えた悲劇的結末を経ても、村のバランスは更なる崩壊を見せるのだった。1本だと思っていた「カリスマ」の木が実は2本だったというのは、黒沢の書き足した脚本上の設定である。薮池刑事はこの木を「カリスマ」だと信じているが、桐山や神保姉妹はそれを否定する。しかしながら彼女たちの取った行動は明らかに過剰であり、その一部始終に薮池刑事は気付いている。『CURE』において高部刑事に訪れた大胆な結末同様に、役所広司は明らかに最も危険なモンスターとなり、世界と対峙するのである。

クライマックスでは既に世界は崩壊し、彼の居る地点からは恐るべきその状況は解明されない。これ以前の『勝手にしやがれ!!英雄計画』に世界の崩壊の端緒は見ることが出来たが、後の『回路』同様に、既に世界は崩壊しているのである。山梨の山奥から、東京の崩壊を目撃した主人公はいったい何を思ったのだろうか?この後の『回路』を考える上で、実に興味深い演出である。

#黒沢清 #役所広司 #洞口依子 #風吹ジュン #カリスマ

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