【第493回】『10 クローバーフィールド レーン』(ダン・トラクテンバーグ/2016)

 アメリカの郊外にあるアパートの一室。女は乾いた洗濯物をたたみ、タンスにしまうが何かが引っ掛かる。無造作に散らばったテーブルの上、スマフォで誰かと口論になるが、べったりと張り付いた音楽のせいで言葉は読み取れない。ベランダに干さずに部屋干しした靴下や下着の列、それら一切を放り出し、彼女は住み慣れた部屋を突然出て行く。彼氏とのあまりにも幸せだった同棲生活。薬指から外され置かれた指輪が、もうここには戻らないことを宣言するかのように寂しく映る。かくしてミシェル(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)はどこへ向かうでもなく、車を遠くへ走らせる。この時点で、夫婦関係の亀裂と共に、既に世界は崩壊の危機に瀕していることがラジオから暗示される。途中寄ったガソリン・スタンド「ケルヴィン」がJ・J・エイブラムス『SUPER8/スーパーエイト』に出て来たスタンドと一緒なのも何かの暗示だろうか?夫ベン(この声はブラッドリー・クーパー!)からスマフォにかかる電話にも妻は出ようとしない。「なぜ出て行ったんだ?もう戻らないのか?」彼女はその言葉を打ち消すように、着信を切る。真っ暗な田舎道、世界は危機に瀕しているというのに、どういうわけか人の気配のないハイウェイ。快調に飛ばす愛車の横っ面に別の車のボディが飛び込む。デヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』から、まるでデミアン・チャゼルの『セッション』のような迫力のある衝突場面だが、実は今作の脚本はそのデミアン・チャゼルが手掛けている。

結論から言えば、今作はマット・リーヴスの『クローバーフィールド/HAKAISHA』の続編ではない。だが直接的な因果関係は見られないものの、同じ事象を別の角度から据え直した作品の可能性は残されている。『クローバーフィールド/HAKAISHA』は東京に赴任が決まった男の送別パーティの席で、突如事件は起こった。マンハッタンの高級アパートの一室を抜け出し、ブルックリン橋へ向かう主人公。途中地下鉄の線路を通り、ミッドタウンへ向かう男の茫然自失となる姿は今なお記憶に新しい。前作はJ.J.エイブラムスの制作会社「バッド・ロボット・プロダクションズ」の実際のオフィスの前にある通りの名前を模してタイトルが付けられた。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』あたりを大胆に模した、大都市NYの恐怖を切り取ったP.O.V.撮影によるチープなホーム・ビデオ風の映像が、9.11以降のアメリカの恐怖と密接にリンクし、大ヒットを飛ばしたが、今作は全編固定カメラによる撮影であり、その手癖は前作とは完全に趣を異にする。ほとんど全編逃げ惑うだけだった前作に対し、今作は逆に限定された空間での密室劇となる。ミシェルは目覚めた瞬間、ジーンズを脱がされ、片足を手錠で繋がれている。前作がひたすら何が起こっているのか把握出来ない中、ただ逃げることがパニックを生んだのに対し、今作では逃げられないことが静かにパニックを引き起こす。

製作を担当したバッド・ロボット・プロダクションズのボス、J・J・エイブラムスが少年時代8mmを手に取り、70年代のスピルバーグやルーカスを見よう見まねで育った世代だとしたら、1981年生まれのダン・トラクテンバーグの世代には、もはや70年代ではなく、80年代や90年代ハリウッドの模倣こそが主たる動機になっていることに驚きを禁じ得ない。限られた空間での脱出劇と言えば、直近のレニー・エイブラハムソン『room』が真っ先に思い出されるし、明らかにジェームズ・ワンの『SAW』シリーズやヴィンチェンゾ・ナタリの『CUBE』と同一線上に位置付けられる。フィルムの質感としては、デヴィッド・フィンチャーの『パニック・ルーム』も念頭にあったかもしれない。終末思想という観点から言えば、スピルバーグの『宇宙戦争』が真っ先に挙げられるだろうし、意外なところで似通う通底するモチーフと言えば、フランク・ダラボン×スティーブン・キング原作の『ミスト』も大いに考えられうると推測する。細かいミスリードや大上段に構えたB級感は、M・ナイト・シャマランの『ウェイワード・パインズ』や雇い主J・J・エイブラムスの『LOST』シリーズにも近い。要はどこか既知の光景(映像)をパズルのように組み合わせ、新しい物語のように紡いだに過ぎず、特にはっとするような瞬間は残念ながらほとんど見られない。この手の作品の場合、全体のバランスの中でサスペンス+活劇の比率をどのように料理するかに尽きる。A級大作感溢れるモンスターの登場はラスト15分のみで、あとの80分はシリアスなB級密室劇が続く物語上の配分は、『クローバーフィールド』の名を冠した作品としてどうなのか?過塩素酸ナトリウムが入ったドラム缶を被る哀れ、ハワード・ドゥイッチの『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』(懐かしい!)の引用など要所要所に小技を効かせながら、クライマックスのシガニー・ウィーバー然としたメアリー・エリザベス・ウィンステッドの堂々たるアクションに向かう流れは悪くない。それ以上にロバート・ゼメキスの『フライト』において、デンゼル・ワシントンにとって悪魔の売人であり、同時に救世主でもあったジョン・グッドマンの性格俳優ぶりが作品を下支えするのを忘れてはならない。近年のベン・アフレック『アルゴ』やゼメキスの『フライト』と比べても、ジョン・グッドマンの作品ごとの極めて明確な演じ分けとその佇まいの変化には驚きを通り越して、唖然とさせられる。ジョン・グッドマン好きは、彼を観るだけでもスクリーンに駆けつけるべき作品に違いない。

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