【第441回】『ケレル』(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー/1982)

 雑然としたバーの店内で踊る一組の男女。顔にシワの刻まれた少し年配の女は、流れ者のフラメンコ・ギターの演奏をバックに、若い男と抱き合い踊る。それをカウンターから苦々しい表情で睨みつける1人の黒人男性。カウンターの前にはあからさまにゲイのコスチュームに身を包んだ男が、自分のパートナーを若い男に取られても平気なのかと言い放つ。バーの店内にいる住人たちは、純粋に客と店員としての付き合いではない。港町ブレストのバーでは女将であるリジアーヌ(ジャンヌ・モロー)がトランプ占いをしている。一見して女たちの姿は見えないものの、水平たちの売春宿になっているのは誰の目にも明らかだろう。女は黒人の夫と所帯を持ちながら、年下の男ロベール(ハンノ・ペシュル)に近々、あなたの生き別れた兄弟が訪れるかもしれないと一つの予言をする。すると間髪入れずに一艘の船が港にたどり着き、ケレル(ブラッド・デイヴィス)は唐突に現れる。長年離れて暮らしたケレルとロベールだが、男同士の特殊な出会いにテレパシーを感じ、一瞬身構えた後、熱い抱擁を交わすことになる。彼はおもむろにカウンターを訪れ、バーの店主ノノ(ギュンター・カウフマン)に阿片の密売交渉を持ちかける。

誰からも愛される不思議な男ケレルが持ち込んだ一つの事件(波紋)。それに翻弄される一群の男たち。彼は実の兄弟であるロベールの愛人リジアーヌの身体を狙っているが、その肢体にはなかなかたどり着かない。ノンケとして生きてきた男は初めて男を受け入れ、知らなかった恍惚に悶える。港町に辿り着いた巨大船は明らかにセットであり、そのオレンジがかった作為的な書割の背景が全編夢のような生温かい空気を醸成する。『出稼ぎ野郎』や『ベロニカ・フォスのあこがれ』に代表される白昼夢のような錯乱したモノクロ作品の世界に対し、淀んだ暖色であるオレンジの色味、据え置かれたカメラによる演劇的なロング・ショットは、極めて様式化された異性関係、同性関係を露わにする。肌の上で玉のようになった夥しい量の汗、官能に悶える男たちの恍惚とした表情、極めて露悪的な関係性が、オレンジ色に素描されたフレームの中で弛緩し、繰り広げられる。そこに唐突にもう一人の部外者が名乗りを上げる。殺人を犯し、刑事に身辺を嗅ぎ回られ、今は国中を指名手配になったこの男こそが、ジル(ハンノ・ペシュル)という男であり、生き別れたロベールと同一化した二重に倒錯した男なのである。

今作はジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』の映画化である。男たちのある種倒錯した世界は、当初サム・ペキンパーやロマン・ポランスキーに企画書が持ち込まれたものの、最終的にファスビンダーに映画化権が渡る。狭いコミュニティ内での倒錯した愛情とすれ違い、中盤以降に訪れる同性愛の崩壊場面は、まさにファスビンダーにしかなし得なかったであろう数々のイメージを孕む。視覚的に相似形の兄弟はケレルにとって合わせ鏡のような人物であるが、ロベールにそっくりなジルに貫通を許すことになる二重三重の自己矛盾と倒錯性はファスビンダーにしかなし得なかったであろうショッキングな事態を及ぼす。ジャンヌ・モローというフランスの稀代の大女優は別として、女性映画だと思われてきたこれまでのファスビンダー映画とは違う、グロテスクな男根のオンパレード。美しい水夫のケレルはバーの店長や明らかにゲイである警察官とアナル・セックスに興じる。それは自らの罪である殺人を中和する痛みに違いないのだが、そこで生涯の伴侶となる人物を皮肉にも見つける。ホモ・セクシュアリティ、暴力、罪の十字架というファスビンダーにとって重要な3つの要素を重層的に掛け合わせながら、愛の不毛へと至るラスト・シーンの後味の悪さは類を見ない。ファスビンダーは今作を撮り終えてまもなくの1982年6月10日、コカインの過剰摂取により37歳という若さで亡くなった。自殺だったという説もあるが真相は定かではない。映画史に残るドイツの巨星は僅か16年間で44本もの作品を残し、天国へと旅立ったのである。

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