【第349回】『リンカーン』(スティーヴン・スピルバーグ/2012)

 南北戦争末期。国を二分した激しい戦いは既に4年目に入り、戦況は北軍に傾きつつあったが、いまだ多くの若者の血が流れ続けていた。再選を果たし、任期2期目を迎えた大統領エイブラハム・リンカーン(ダニエル・デイ=ルイス)は、奴隷制度の撤廃を定めた合衆国憲法修正第13条の成立に向け、いよいよ本格的な多数派工作に乗り出す。しかし修正案の成立にこだわれば、戦争の終結は先延ばししなければならなくなってしまう。一方家庭でも、子どもの死などで心に傷を抱える妻メアリーとの口論は絶えず、正義感あふれる長男ロバート(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)の北軍入隊を、自らの願いとは裏腹に黙って見届けることしかできない歯がゆさにも苦悩を深めていく。そんな中、あらゆる手を尽くして反対派議員の切り崩しに奔走するリンカーンだったが…。

『カラーパープル』、『アミスタッド』で奴隷制度の撤廃に本腰を入れて取り組んだスピルバーグのもう一つの奴隷解放の映画史とも言える作品。これまで名もなき市井の人々を描くことの多かったスピルバーグだが、今作では偉人として知られた第十六代大統領エイブラハム・リンカーンの波乱に満ちた生涯を映画化している。80年代の『カラーパープル』でも本筋に関わり合いのないところで少し触れていたが、1800年代のアメリカでは奴隷制存続と撤廃に揺れ、アメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退した。脱退した州はアメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。依然として黒人奴隷を使う農業中心のプランテーション経済を南部が敷く中、北部では工業化が進み、いち早く奴隷制度から脱却し、近代的な労働力や競争力を必要としていたのである。今作においても常々議題に挙がるのは、議会の定数の不均衡である。フランスから買い上げたルイジアナ州と、メキシコから独立したテキサス州とカリフォルニア州を加えたことで、自由州派(北部)と奴隷州派(南部)の均衡が崩れてしまった。今では信じられないことだが、国としての権限よりも州としての権限の方がずっと強い影響力を持っていた時代である。

映画は共和党のエイブラハム・リンカーンが大統領に再選するところから始まる。南部の諸州ではリンカーンが奴隷制廃止に動くことを恐れ、結果として南部では一州も取れないまま大統領に再選する。リンカーンは北部では強い影響力を誇りながら、南部ではまったく人気がなく、日本でいうところのねじれ国会のような状況で厳しい政権運営を迫られていたのである。今作ではリンカーンが長引く南北戦争を憂い、黒人を奴隷から解放し、一刻も早く北軍と南軍の不毛な戦争を終わらせようと、議会での多数派工作に打って出るのだが、肝心の南北戦争の描写はほとんど出て来ない。冒頭、黒人青年2人が戦争の惨状や自分たち黒人の現状を伝えるが、リンカーンが黒人の生の声を聞くのはほぼその場面だけであり、あとは民主党員を説得しようと物々しい政治家特有のネゴシエーション工作が描かれる。スピルバーグの映画としても、会話劇が物語に占める割合がここまで多いのも珍しい。

他にフォーカスしている部分として、父と子の確執が挙げられる。リンカーンには4人の息子がいたが、そのうち長男のロバート・トッド・リンカーンだけが両親の元を離れ、独立した人生を送っていた。劇中でも母親の台詞に出て来るが、浪人してハーバード大に入学した才人だった。彼は父親同様に法律家になろうという夢を持つが、父親の皮肉めいた発言により、父子の確執は一層拡がっていく。彼は志願兵として北軍の兵士になろうと懇願するものの、両親は彼の行動にことごとく待ったをかけるのである。それはロバートの弟たちの不幸な死に起因している。末娘のエディは結核を患い早くに病死し、ロバートの弟たちウィリーとタッドも腸チフスにより、11歳と18歳で亡くなっている。母親はとりわけウィリーを可愛がったが彼の病死の精神的ショックは大きく、今で言う鬱病の診断を受けていたという。息子たちの相次ぐ死に心を痛めた両親が、長男の正義感に待ったをかけたのはやむを得ない事情もあったのである。ここでは息子の病死により精神にダメージを受けた母親が子供じみた大人となり、大人びた子供である長男のロバートと対峙する。

だが作劇上、リンカーンにとって目の上のたんこぶとなるのは長男のロバートくらいであり、共和党でリンカーンと別の道を辿る議員も民主党議員もあまり骨がなく、物語の伏線がいまいち盛り上がらない。リンカーンの秘書はともかくとしても、奴隷解放急進派や保守派重鎮議員とのやりとりには南北戦争並みの激しい言葉の応酬が欲しいところだが、ほとんど見られないまま、なし崩し的に憲法第13条の改正に向かう。これは現代の日本を揶揄するものではないかと勘繰りもしたが、どうやらそういうことではないらしい。史実は史実として描写した結果、今一つ抑揚のないスピルバーグらしくない作品になってしまった。

これまで数々の歴史上の出来事に光を当ててきたスピルバーグだが、それらはどれも歴史を裏で支えた普通の人物にスポットライトを当てていた。著名人と言ってもそれはオスカー・シンドラーやジョン・クィンシー・アダムズやジェームズ・ドノヴァンなど知る人ぞ知る人物ばかりであり、『続・激突! カージャック』や『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』では三面記事に取り上げられるような市井の人々まで描こうとした。時には第一次世界大戦に駆り出された馬までが映画の主役になったのである。新作『ブリッジ・オブ・スパイ』においても、何の変哲もない普通の弁護士がドイツに渡り、冷戦下の極秘任務に挑むからこそ、そこにスピルバーグの旨味が生まれるのである。それが今回アメリカ国民でなくても誰でも知っている19世紀の偉人にして、歴代最高の大統領を描くに際し、その描写に力みが出たのは否めない。南北戦争と奴隷解放の題材なら、リンカーンのような雲の上の偉人ではなく、一兵士の立場から描いた方がスピルバーグの良さは出たかもしれない。

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