【第385回】『女が眠る時』(ウェイン・ワン/2015)

 リゾート・ホテルの真ん前に絶好のロケーションを誇る海辺を、ホテルの上階からハイ・アングルで据えた印象的なショットが映るが、数十人の人間の楽しそうなロング・ショットの中に今作の主人公を見つけることは出来ない。男はホテルと海とを隔てる仕切りのような林に囲まれたところから、ホテル側のプールサイドにまるで何かから隠れるようにじっと佇んでいる。妻の綾(小山田サユリ)とバカンスのために伊豆を訪れた2人だが、夫の健二(西島秀俊)は休暇をエンジョイ出来ずにいた。小説家の彼は処女作でヒットを飛ばし数々の新人賞を受賞するが、その後はまったくのスランプに陥っている。編集者の妻の無言のプレッシャー、書きたいものが見つからない苛立ち、自分自身の才能への葛藤、それらが綯い交ぜになり、プールを見るでもなく、空を見るでもなく、しばし呆然としているのである。そんな夫の姿を見るに見かねた妻は夫にあれを見てとある方向に視線を投げかける。プールを挟んだ向かい側には、親子ほど年の離れた一組の男女がいる。恰幅の良い男だが明らかにリゾート地のプールには場違いな佐原(ビートたけし)、その左側には白いビキニと小麦色の肢体が眩しい少女美樹(忽那汐里)のカップルがいた。夫の健二は妻の問いかけに対し、無気力に一組の男女に視線を投げかけるが、そこで佇む少女の姿に目を奪われてしまう。これが4人の出会いとなる。

健二と綾の夫婦には子供がおらず、それどころか2人の夫婦関係は破綻しかかっている。その夜妻の夫婦の営みの誘いを断り、精神安定剤も呑む気にもなれず、健二がふらっと訪ねたのは昼間のプールサイド。そこで彼の視線に入ったのは1階の部屋で行われる奇妙な営みだった。2人の怪しい関係を男が興味本位で覗いたことから、とんでもない事件に巻き込まれると言ったら真っ先にヒッチコックの『裏窓』を思い出すかもしれないが、むしろフランソワ・オゾン『スイミング・プール』に似通っている。極めてサスペンスフルな展開ながら、中盤以降むしろ気がかりなのは主人公である健二の精神状態であろう。最初は興味本位で知り合った2人の関係性に心酔するうちに、健二は迷路の奥深くへと舞い込んで行く。出会いの場面の日焼け止めクリーム、覗き見た場面でのうなじとカミソリ、映像に収めれらた寝顔の変遷、うつぶせで寝る小麦色の脚など、忽那汐里のセクシュアルなイメージの連鎖は、むしろ大胆に裸体を晒した小山田サユリより官能的なのは何故だろうか?4人での会食の場面では、綾のあからさまに女を意識した牽制に対し、美樹は大胆にも「SEXが足りないんじゃないの?」と初対面の年上に対して失礼にも言い放つ。この女同士の戦いはもう少し観ていたかった。自宅ではなく、郊外のリゾート・ホテルというどこか異国めいた環境も健二をヒート・アップさせていく。覗き行為は皮肉にも、彼が数年間ずっと書けなかったインスピレーションを手に入れるための麻薬ともなる。他人の生活を覗き見ることが、そのまま作家生命の延命にもつながってしまう。

2組のカップルを分かつかのように張られたプールの水、ジョギングの後にじっとりと流れる汗、突然の豪雨など今作には様々な水のイメージが登場し、否応なしに物語に湿度をもたらす。最初はプールサイドに寝そべるだけだった健二が信じられないことに中盤にはプールで泳ぎ、豪雨の中を雨に打たれるようにジョギングするようになる。そして大胆にも美樹の身体を岬の突端から強引に呼び戻すほどである。日々の生活に乾き、疲れ果てた男が水分を欲するかのようにミステリーの迷宮へと迷い込む序盤から中盤までの流れはまずまず良かったが、問題は中盤からクライマックスまでがあまりにも曖昧模糊としている点にある。滞在日ごとに順序立てて語られる物語の途中から、健二が創作していることと現実の境が曖昧になり、そこに夢までが顔を出すから厄介である。そもそもリリー・フランキーの店は居酒屋なのか?それともスケベ・ショップなのか?リゾート地で見ず知らずの客に対し、リリー・フランキーが話す動物のためになりそうにない他愛のない馬鹿話が、ただの馬鹿話には思えない寓話性を秘めているように耳に馴染んできた頃、4人のバカンスには終止符が打たれる。忽然と消えた彼女は波に消えたのか?それとも最初から存在しなかったのか?また佐原と綾の関係は何なのか?中盤以降、斜めに倒されたカメラのように、ミスリードを誘引するようなミステリー的展開、黒沢清『贖罪』に続き、またしても刑事役の新井浩文のミス・キャストも含め、台詞の一つ一つや言い回しにも再考の余地ありだろう。

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