【第618回】『スター・トレック イントゥ・ダークネス』(J・J・エイブラムス/2013)

 前作から1年後の西暦2259年、Nクラス惑星ニビル、ジェームズ・T・カーク(クリス・パイン)は青い装束を身に纏いながら、原住民たちから必死で逃げていた。その手に握られた神と崇められた秘宝、突如目の前に現れた巨大モンスターに絶体絶命の中、レナード・"ボーンズ"・マッコイ(カール・アーバン)に間一髪助けられる。2人が原住民たちの追跡から必死で逃げる様子は、スピルバーグの『インディ・ジョーンズ』シリーズを真っ先に想起させる。一方その頃、スポック(ザカリー・クイント)とウフーラ(ゾーイ・サルダナ)、ヒカル・スールー(ジョン・チョー)一行は火山の噴火活動を止めようともがいていた。転送システムを用い、火山内部にワープしたスポックだが手綱が切れ、絶体絶命のピンチに陥る中、カークとマッコイは崖の上から数100mダイブし、海の中に潜ったU.S.S.エンタープライズ号に乗り込む。船が錆びると喚くモンゴメリー・"スコッティ"・スコット(サイモン・ペグ)の心配をよそに、カーク船長は火山の中にいるスポックに通信を試みる。原住民たちに姿を見られてはならないという規則を守るためには絶命するしかないと話すスポックを遮り、カーク船長はU.S.S.エンタープライズを真上に切り返す。その様子を見た原住民たちは赤土の上に戦艦の絵を描き、神のように崇め奉る。だが「艦隊の誓い」に違反したとしてカークは厳重注意を受け、USSブラッドベリの副官に降格させられる。

規律よりも直感を重んじるジェームズ・T・カークと、規則に忠実に動くスポックは相変わらず水と油の関係である。前作で地球の危機を救ったはずのカークは、父親代わりであるクリストファー・パイク(ブルース・グリーンウッド)の逆鱗に触れる。パイクは結果オーライの立場をわきまえないカークの無謀な挑戦を糾弾し、指揮官としてはあるまじき行動だと説教する。だが酒場で呑んだくれていた男を励ますのは、メンターであるパイクの仕事である。父の不在を抱え、幼少期から何度も警察のお世話になり、暴力事件や女癖の悪さからトラブルメイカーとして知られる主人公は、まだ一人前の船長になり切れていない。今作は謂わば、個人主義の権化のようだったジェームズ・T・カークの成長譚である。優柔不断な個人の判断は部隊を危険に晒し、やがて組織や国家をも揺るがす最悪の事態にもなり兼ねない。今作においてカーク船長はありとあらゆる局面で常に個人なのか。組織なのかの判断を迫られる。その一方で組織を守る規則の絶対的支配下に置かれたスポックも、時に規則よりも個人の判断が試される現場に遭遇する。前作ではラブラブだったウフーラとの不和、カークとことごとく食い違う見解は、半人前のカークとスポックとを鏡像関係で結び、2人に大きな成長を促す。葛藤の末の前作とは正反対な船長交代劇が物語をドラマチックに飾る。

まるで『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の最終適性試験のようだった前作『スター・トレック』は、SFであってもシリーズの血脈を感じさせる場面はあまりなかった。それゆえ、 J・J・エイブラムスは『スター・トレック』シリーズの悪役としてコア層に圧倒的に浸透したカーンを担ぎ出す。かつてリカルド・モンタルバンが演じた最高の悪役を演じるベネディクト・カンバーバッチの、主人公たちを越える圧倒的な存在感が素晴らしい。端正な顔立ちの裏に潜む静謐な凶暴性が姿を現わす秀逸なクライマックス。冒頭部分はスピルバーグの『インディ・ジョーンズ』、中盤以降はジェームズ・キャメロンの『エイリアン』シリーズを感じさせる迷路のような母艦内の闘争場面や、クライマックスの『ターミネイター』シリーズのような生身の追走劇など出自となった70~80年代のアメリカ映画のヒット作の影響を盛り込みながら、20世紀の名物シリーズを21世紀に的確にアップデートし、2000年代のアメコミ映画や9.11以降の視座をしっかりと物語に織り込んでいる。20世紀的なストレートな勧善懲悪の物語に対し、今作においてはジェームズ・T・カークもスポックも、敵役であるカーンさえも正しい道を真っ直ぐに進んでいるのか自問自答する。彼らは常に組織なのか個人なのかというアンビバレントな思いを抱えながら、最後には自分の思いに忠実に決断する。J・J・エイブラムスの才気が果たしてSF向きなのかという判断は結論に達しているものの、一切の感情がなかったスポックの涙から、後半部分の畳み掛けは問答無用に素晴らしい。

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