【第358回】『ブラック・スキャンダル』(スコット・クーパー/2015)

 観る前はジャウマ・コレット=セラやチャド・スタエルスキーの諸作のような現代マフィア映画かと思いきやそうではなかった。むしろベネット・ミラーの『フォックスキャッチャー』に近いシリアスな実録もののルポルタージュである。FBI史上最高額の懸賞金で指名手配された実在の人物であるジェームズ・ジョセフ・バルジャーを主人公にしている。この男、ただのマフィアのボスではなく、FBIに情報提供する見返りに、幼馴染のFBI捜査官と共謀し、事件を見逃してもらっていた。しかも彼は驚くべきことにマサチューセッツ州の上院議長だったウィリアム・バルジャー(ベネディクト・カンバーバッチ)の兄として公にも知られた人物だったのである。アメリカ合衆国のあらゆる法を守る国家権力であるFBIと結託し、彼は堂々と殺人、魔薬取引、マネー・ロンダリング、恐喝などの犯罪を行っていたのである。マフィア浄化に取り組むFBI捜査官と旧知の間柄だったことから、両者はwinwinの関係を築こうと取り決め(密約)を交わす。しかし徐々に悪の権化で裏社会の権力の象徴であるバルジャーに言いくるめられていく。

この根っからのワルであるジェームズ・ジョセフ・バルジャーを演じるのは、オール・バックに老けメイクを施したジョニー・デップである。ティム・バートン作品以降、開き直ったかのように怪人を嬉々として演じるデップの狂気は、冷静に見て評価の分かれるところだろう。威圧感のある表情をレイバンのサングラスの裏に巧妙に隠しながら、少しずつ自分の助けになる仲間を暴力で洗脳し取り込んでいく。冒頭の功名心に駆られた野心家の男(ジェシー・プレモンス)の絡め取り方は根っからのワルでなければ出来ない。ジェシー・プレモンスとは言うまでもなくPTA『ザ・マスター』で教祖もどきの弟を演じたあの男である。一度仲間に入れてしまえば、絶対に裏切りを許さない。裏切った者にはことごとく死が待っており、その光景を目に焼き付けた仲間たちはバルジャーへの忠誠心を見せるほかなくなる。だが冷酷無比な仮面の裏では、実の息子に優しい眼差しを送り続ける。息子にマフィア一家としての帝王学を教えるバルジャーを妻が静止する場面があるが、彼はアイルランド系マフィアとして何よりも血を重んじるのである。そして一番の本末転倒ぶりは、当初はwinwin関係に見えたマフィアとFBIの関係性において、密告がほとんど意味をなさなかったことであろう。今作において彼の密告が役立ったのは、バルジャーがコノリーにクリスマス・プレゼントとして与えた1件の情報提供のみであり、一方のマフィアを壊滅させても、もう一方のマフィアが勢力を拡大するだけというギャング特有の権力構造を暴いているに過ぎないのである。

その血の濃さを組織のアイデンティティとしながらも、逆説的に挫折感を感じる場面が二度現れる。1度目は前述の息子の死であり、もう一つはギャング組織「ウィンターヒル」のボスになった80年代に訪れた母親の死だろう。一方ではギャングの連帯を強調し、裏切り者には制裁することも厭わない非情な組織のボスにまで上り詰めながら、いとも簡単に親子関係は破綻してしまうというのが何とも皮肉な話ではある。実際には逃亡先で新しい妻をもらうことになったバルジャーだが、今作では天涯孤独な悪魔として母親の葬儀にも参列せず、上院議長の弟とも一定の距離を置くのである。ただその兄弟関係の描写不足こそが、今作の最大の欠点であり、バルジャーの心の闇に触れていない一番の要因になっているのは間違いない。ギャング映画とファミリーとはイコールであり、切っても切り離せない。本作で言えばバルジャーとコノリーの関係以上に重い因果が横たわるはずだが、どういうわけか兄と弟がコノリーを介さずに話す場面は劇中ほとんど出て来ない。コノリーは言わば兄弟の間の伝達係の役割を担っており、彼を媒介にすることで物事が円滑に進む場面も確かにあるものの、それにより血族間の葛藤がほとんど見えないのは監督の致命的なミスであろう。

またバルジャーは銃の扱いにも長けているが、それ以上に彼を神格化しているのは相手の感情を逆撫でするような天才的な人心掌握術である。それは特にコノリーの妻や、80年代の売春婦と話す場面で発揮される。男には暴力を、女には心理的に見えないプレッシャーを与えることで、抵抗する気さえ削ぐ彼の話術の冴えが、実の家族とのコミュニケーションで発揮される場面が見当たらないのは痛い。出来ればバルジャー、コノリー、ウィリアムの絆の深さが実際に幼少期の体験の回想シーンでも一つ入れてくれればスムーズに感情移入できたはずだが、そういう場面が一切ないのも寂しいと言えば寂しい。もう一つ、今作がマフィアの抗争劇でありながら、一度も敵側のイタリア系マフィアが登場しないのも随分妙である。FBIの内部抗争をあそこまで細かく描写するならば、また一方でアイルランド系マフィアとイタリア系マフィアのボストン中を巻き込んだ血で血を争う惨劇の様子を入れるべきだったし、その惨劇を勝ち抜いたからこそのバルジャーのボストン・マフィアのボスとしての凄みは欲しかった。明らかにクローズ・アップ過多の画面もそうだし、陰惨極まる展開にも少し退屈した。まったくの余談だが、マーティン・スコシージ『ディパーテッド』のジャック・ニコルソンの役は明らかに今作のバルジャーを下敷きにしている。

#ブラックスキャンダル #ジョニーデップ #ベネディクトカンバーバッチ #スコットクーパー

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