【第549回】『X-MEN: アポカリプス』(ブライアン・シンガー/2016)

 紀元前3600年エジプト、奴隷として王への反逆の機会を伺っていたアポカリプス(オスカー・アイザック)は神=エン・サバー・ヌールとしてこの地に君臨していた。ひれ伏す何千もの人々、アポカリプスの配下に鎮座する「黙示録の四騎士」たち。彼は人類の起源に生まれた最初のミュータントであり、魂を他のミュータントに次々に転移させ、何千年もの時代を生き抜いていた。ピラミッド内部で行われる魂の移植式。逞しい男の身体をナイフで切り裂き、魂を入れ替える作業に入った矢先、突如反乱軍に襲われ、巨大なピラミッドは天井から崩壊する。台座に横になり、アポカリプスの身体は身動きが取れない中、次々に落下してきた岩に押しつぶされて死ぬ「黙示録の四騎士」の姿。だが最後まで生き残った1名により、アポカリプスは無事移植作業を終え、岩山の下で数千年の眠りへと入る。一方その頃学校では、スコット・サマーズこと後のサイクロップス(タイ・シェリダン)が授業を受けていた。教師は1973年に起きた大統領暗殺未遂事件について話を進めている。プロジェクターに映ったミスティークの姿。しかしスコットは異常を来たし始めた目を指で押したまま動こうとしない。授業を早退し、トイレの個室に立て篭もるが、不良のクラスメイトにからかわれた際にミュータントとしての能力が開花する。同じ頃ドイツの地下格闘施設を訪れるレイヴン・ダークホルムことミスティーク(ジェニファー・ローレンス)。今夜も10連勝中のエンジェル(ベン・ハーディ)がコールされる中、次の対戦相手として無理矢理、カート・ワグナーことナイトクローラー(コディ・スミット=マクフィー)が担ぎ出される。

20世紀フォックス×マーヴェル・コミックスの特大ヒットシリーズである『X-MEN』シリーズ新3部作のフィナーレを飾る完結編(通算6作目)。時勢が現在から未来へと向かった旧3部作に対し、新3部作は一貫して現在から過去へと歩みを進める。『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』では1962年の「キューバ危機」に揺れる核兵器使用で一触即発だったアメリカとソ連の対立を背景とし、続く『X-MEN: フューチャー&パスト』では63年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件から73年のヴェトナム戦争終結までを一つの背景とした。今作は表立って鮮烈な時代背景の書き込みはないものの、1983年を舞台に先進国が相次いで物質消費社会へとなだれ込んで行った懐かしきあの時代を背景としている。マイケル・ジャクソンにボーイ・ジョージ、『特捜刑事マイアミ・バイス』に『ナイトライダー』、「パックマン」にショッピング・モールなどの幾つかの80年代的記号を散りばめながら、『X-メン』の冒頭部分に繋がる整合性が求められる。今回のアポカリプスは原作のアメコミでも最も強大な敵として「X-MEN」チームの前に何度も立ちはだかる。ストライカーやセバスチャン・ショウ、ボリバー・トラスク等とは比べものにならない巨大な敵としてそびえ立つ。何千年もの眠りから覚めたアポカリプスは、妖力でブラウン管テレビから全ての歴史情報を吸い取り、世界の趨勢に絶望する。大量消費社会と冷戦構造化の武器輸出と戦争の予感がその後、イスラム圏でのイラン・イラク戦争、クウェート侵攻、シリア内戦、同時多発テロに繋がったことを考えれば、古代文明からのアポカリプスの復活は、現代アメリカ社会への暗喩としても十分な機能を果たす。

物語の中ほどに出て来た若き日のジーン・グレイ(ソフィー・ターナー)と3人の仲間たちが『スター・ウォーズ』を観て感想を言い合う場面に象徴されるように、監督であるブライアン・シンガーは自らが旧3部作を結ぶことが出来なかった負い目を強く感じている。『X-MEN: ファイナル ディシジョン』の失敗の原因は、サイクロップスの悲恋をウルヴァリンに無理矢理トレースしたことであり、「X-MEN」チームのリーダーだった彼をあっさりと殺してしまったことだろう。今作ではあえて本筋ではないサイクロップスの生い立ちに必要以上に時間を割いている。それどころかサイクロップスとジーン・グレイのロマンス、オロロ・マンローことストーム(アレクサンドラ・シップ)の生い立ちをも丁寧に描写しながら、主要キャラクターを出来るだけ均等に扱おうとするシンガーの愛情が見て取れる。平穏に暮らしていたはずのエリック・レーンシャーことマグニートー(マイケル・ファスベンダー)の哀れは、『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』のウルヴァリンをも想起させる。主要キャラクターたちはそれぞれに深い葛藤と闇を抱えている。そして世界各国に散らばりながら、家族以上の深い絆と運命の腐れ縁に縛られる様子は、『スター・ウォーズ』ではなくて『ファミリー・ウォーズ』ではないかと揶揄された『スター・ウォーズ』シリーズの血筋が齎す因果にも近い。前作『X-MEN: フューチャー&パスト』で華々しく登場したピーター・マキシモフことクイックシルバー(エヴァン・ピーターズ)のセンセーショナルな告白には、続編への期待が否応なしに高まる。

それにしてもブライアン・シンガーも「X-MEN」首脳陣も、2000年から16年の長きに渡るシリーズで想定外だったのは、レイヴン・ダークホルムことミスティークの世代・性別を超えた爆発的な人気ではないだろうか。2000年にスタートした『X-メン』ではマグニートーの一兵卒に過ぎなかった彼女が、新3部作ではプロフェッサーXやマグニートー、ウルヴァリンをも凌ぐ輝きと魅力をスクリーンに放ち始める。チャールズ・エグゼビア、ハンク・マッコイ、エリック・レーンシャーの内の誰の思想にも染まらず、我が道を行くスタイルは図らずも、21世紀の男たちから自立する女性像を強く印象付けた。マーヴェル映画のライバル会社であるDCコミックが、あえて『バットマン』の冠を付けずに公開したクリストファー・ノーラン監督の『ダーク・ナイト』3部作のように、21世紀のスーパー・ヒーローたちは誰しもが正義のヒーローを演じる疑問に直面し、深い葛藤や自己矛盾を抱えている。レイヴン・ダークホルムことミスティークのヴィランとしての魅力は、もはや製作陣の思惑を超えて、ダーク・ヒロインとしてアメコミ映画の先端に位置する。「子どもたちに数学や読み方を教えるだけではダメ、戦うことを教えなければならない、戦っていないからといって平穏な状況にいるとは限らないから」というミスティークのあまりにも的を得たチャールズへの説得は、急速に右傾化していく現代アメリカの有り様を的確に照射する。前半のいささか凡庸過ぎる展開から、ラスト1時間で一気に帳尻合わせをするブライアン・シンガーの熱量に、これまで『X-MEN』シリーズを見守ってきた者ならば、同窓会のような不思議な感慨に襲われるに違いない。パトリック・スチュワートには似ても似つかないというアメコミ・ファンの批判に対し、しっかりと答えを出したジェームズ・マカヴォイの役者魂にも敬意を表したい。

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