【第419回】『黒崎くんの言いなりになんてならない』(月川翔/2016)

 イケてない服装にメガネ姿、ボサボサの髪形、地味で暗く、いじめられっ子だった過去の自分をリセットすべく、「新しいあたしになるための七か条」を胸に、赤羽由宇(小松菜奈)は実家での引きこもり人生から、寮生活へといきなり5段階くらいのステップ・アップを目論む。だがその道中には春美寮副寮長の「黒悪魔」こと学年一の美男子である黒崎晴人(中島健人)が待ち構える。いきなり肩越しを掴まれ、唇を奪われた女は「黒悪魔」の奴隷として無理矢理契約を結ばされることになる。その日から由宇は学校でも寮でも黒崎くんから無理難題を突き付けられ、奴隷のように扱き使われる毎日。そんな由宇に唯一、優しく接してくれるのは、黒崎くんの親友で春美寮寮長の「白王子」こと白河タクミ(千葉雄大)だった。学園の人気No.1に奴隷のように扱われ、No.2に風当たりの強さを慰められる天国のような日々。腐女子だったかつての自分から一転し、美男子2人の友情の間に入り込んだヒロインの夢のような学園生活が展開する。学園生活の延長線上に、世界の危機やこの世の終わりなど終末的発想が舞い込むいわゆる「セカイ系」は『新世紀エヴァンゲリオン』や『ほしのこえ』、『最終兵器彼女』などのマンガ原作を経て、映画『暗殺教室 前後編』に流入した。それに対し、『涼宮ハルヒシリーズ』や『らき☆すた』『けいおん!』などのいわゆる京都アニメーション制作のアニメから「セカイ系」のカウンターとして登場した「空気系」なるジャンルでは、淡々とした日常を描く。舞台の大半は現代日本の日常的な生活空間であり、主に学校に限定される。困難との対峙や深刻な家族関係の描写、本格的な恋愛といった細かいドラマツルギーを極力排除することで、部活動を通じて仲間と連帯することによる達成感が目的化したいわゆる「空気系」は映画『ちはやふる 前後編』に流入した。

では今作の物語構造はどうか?夢のような学園生活を育むヒロイン赤羽由宇の行動は主に寮とその周辺で起こり、学校が彼女の今後に深刻な影響を及ぼすことはない。2年D組の担任乃木坂(中村靖日)が僅かに登場するが、教師との出会いがヒロインの今後に影響をもたらすことはなく、あくまで学園生活の淡々とした描写に留まっている。寮生活からは彼女を生んでくれた両親の存在は省略され、それは「黒悪魔」と「白王子」も同様である。ここでは赤羽由宇、「黒悪魔」と「白王子」、それに服部、梶、芽衣子(梶芽衣子ではない)らとの横軸のつながりだけが延々と描写され、家族や先生を想起させる縦軸のつながりはほとんど見られない。部活動やアルバイト、塾や受験などの周辺事態をあえて省略し、もっぱら寮内での「黒悪魔」や「白王子」とヒロインとのラブラブな恋愛にフォーカスする特殊性は、これまで観てきた映画の中でも群を抜いている。かくしてヒロインの赤羽由宇を巡る2人の恋の鞘当ては、熾烈を極める。男風呂からのお姫様抱っこと新品の白いYシャツ、雷の停電からの手繋ぎと首筋へのキス、教室での耳の甘噛み 笑、「黒悪魔」の弾く優しいピアノの調べ、バスケット・コート、「黒悪魔」と「白王子」の二人部屋での告白、そして観覧車とうっとりするようなトリッピーな妄想の描写が続く。映画版では「黒悪魔」と「白王子」の幼なじみ・鈴音(夏帆)の存在が出てこない代わりに、寮外から登場した芦川芽衣子(高月彩良)という赤羽由宇の親友の存在だけが立ちはだかるものの、ヒロインのロマンスの前では大した障害にはならない。

「黒悪魔」と「白王子」のバスケット・コートでの1対1のしばき合い。互いの目を見つめ合いながら、居合のようなタイミングで一瞬相手を出し抜き、ゴール・ポストへダンク・シュートや3ポイント・シュートを放る2人の美男子のスロー・モーションと美しく躍動する姿。黒崎晴人の脚がもつれ、バスケット・コートに仰向けに倒れた白河タクミの顔の目の前ににじり寄る瞬間の数cmのジリジリとした見つめ合いのドキドキ感は、明らかにBL(ボーイズ・ラブ)モノを連想させる。2年D組で赤羽由宇の真後ろに陣取る黒崎晴人とは違い、白河タクミは隣の2年C組のクラスメイトだが、彼らの関係は幼少時代へと遡る。幼稚園の頃からの幼馴染の2人はそのまま学園の人気No.1とNo.2の美男子へと成長し、腐女子でいじめられっ子で引っ込み思案だったイケてないヒロインを同時に愛し、奪い合う。ある種の女の子にとっては、これ以上ないほどの理想化された妄想を映像化した少女マンガの世界観には、気恥ずかしさを通り越して、苦笑いを禁じ得ない。壁ドン、顎クイは言うに及ばず、Sexy Zone中島健人くんの耳の甘噛みのスロー・モーション、吸血鬼のような首筋へのキス、ピアノを弾く手にそっと寄り添う男の手、観覧車内でのネオン溢れるキラキラな光景、お姫様だっこで廊下を闊歩する姿はある意味どんな性交シーンよりもセクシュアルで官能的だが、『風と共に去りぬ』や『ローマの休日』を観て育った世代としては、熱狂よりも戸惑いを覚えるのもまた事実である。上映開始から数週間経ってもほぼ満員の座席、劇場から立ち去る小・中学生の満足げな表情を見て、邦画の未来に一抹の不安を感じつつ帰路に着いた。

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