【第633回】『山河ノスタルジア』(ジャ・ジャンクー/2015)

 1999年、山西省の都市・汾陽、カモメが寂しそうに鳴く寒空の下、フロアにはPET SHOP BOYSの『GO WEST』が大音量で流れていた。その多幸感に溢れたリズムに合わせ、龍の首のような動きを見せる若者たち。その中には小学校教師のタオ(チャオ・タオ)、彼女の後ろには幼馴染の炭鉱労働者リャンズー(リャン・ジンドン)と実業家ジンシェン(チャン・イー)がいる。3人は昔からの幼馴染で仲良しの関係で、生々しい青春時代の延長を謳歌していた。夜明けの薄明かりの中、家々の門の前で上がる花火。旧正月の日、人々は爆竹や花火で盛り上がり、無事に春節の日を迎えていた。白く煙った先から現れた朱色の獅子舞がうねるように顔を出す。リャンズーとタオが談笑する中、突然仕事で忙しいジンシェンが顔を出す。鏡を見ながら頬に触れるタオの顔を同時に2人の幼馴染が見つめている。まるでゴダールの『はなればなれに』やフランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』、クロード・シャブロルの『いとこ同志』ような美しい三角関係を描いた冒頭部分。曖昧な未来への不安、過ぎ行く時代への焦燥感といった漠然とした悩みを抱えながら、1999年を順調に迎えたトライアングルは大きく崩れ始める。親友ジンシェンに、タオから身を引くように言われたリャンズーは、そう簡単にタオのことを諦めきれない。真っ赤なフォルクスワーゲン・サンタナを乗り回す新興成金のジンシェンは炭鉱を買収し、炭坑労働者だったリャンズーを追い出しに掛かる。

 少し煤けたような青色を見せる炭鉱町の空、道行く人々が黒っぽい服を着ている中、タオの着るコートの赤、獅子舞の赤、フォルクスワーゲン・サンタナの赤が極めて印象的に赤い色彩を反復する。もちろんジャ作品に通底する花火や爆竹に加え、ダイナマイトの光も重要な要素を形成する。男同士の取り合いの只中にいるタオは一触即発の事情など知る由もない。タオが父親の電気屋の店番をしている時に、男同士の不和は決定的になる。偶然立ち寄ったお客さんの父娘がカセットテープでかけたサリー・イップの『珍重』のメロディが、3人の心を否応なしに締め付ける。20世紀を迎えるにあたり、少しずつ余裕の出て来た人々の暮らし。5年遅れで流行するプログレッシブ・テクノが大音量で流れる中、ジンシェンの求愛を受けたタオは彼の胸に抱きつく。その様子に怒り心頭のリャンズーは、クラブのエントランスでジンシェンに殴りかかる。ホウ・シャオシェンの映画では都会と田舎の往来が物語とは不可分な要素として出て来たが、今作でも失意のどん底にあるリャンズーは山西省の田舎町・汾陽から河北省・邯鄲に引っ越し、上昇志向の強い実業家のジンシェンも石炭を売り払い、夢の国アメリカを目指す。タオとの間に生まれた息子は、米ドルを思わせる「ダオラー」と名付けられた。だが祖国を出た男たち2人とは対照的に、タオだけは山西省の都市・汾陽に留まる。第一部では2人の男たちのどちらかが必ず側にいたタオだが、父親の死の喪失感にやられる母親になったタオの側には息子の姿はない。天涯孤独なヒロインの姿が胸を締め付ける。

 これまでのジャ・ジャンクー作品同様に、登場人物3人の背景には、急速な経済成長を遂げようとする中国の現在がある。フォルクスワーゲン・サンタナのハンドルを握ったタオは運転を誤り、この地に遥か昔に埋められた石碑にぶつかり止まる。黄河の向こうには建設中の大型ビルが拡がり、炭鉱前の砂利道は今にも舗装されるのを待っている。生々しい手つかずの自然と人工的な建築物との対比が、物語の詩情を紡ぐ。街を離れる者がいれば、そこに留まり続ける者もいる。人々の青春模様、生と死、成功と挫折などを全て呑み込むように、広大な黄河は悠久の時を流れ続ける。1999年、2014年、2025年という3つに区分された物語を、ユー・リクゥアイのカメラはそれぞれ1999年をスタンダード・サイズ、2014年をアメリカン・ビスタ・サイズ、2025年をスコープ・サイズで切り取る。そして幸福だった第1部から順を追いながら、怖いもの無しだった彼らの野心はやがて虚空の中に飲み込まれる。タオもリャンズーもダオラーも、第3部ではダオラーの心を優しく包み込んだミア(シルビア・チャン)もみな、挫折や敗北感を噛み締めながら生きている。アメリカン・ドリームを追い求めた父親に親権を奪われたダオラーは、皮肉にも祖国の言葉を奪われている。カセットテープ、イヤフォン、アナログレコードで3度流れるサリー・イップの『珍重』の調べ、リャンズーが投げ捨てたカギとタオがダオラーに渡したカギ、文峰塔のロング・ショット、煤けた青色の空に上がるオレンジの花火、芝色の草むらの中に停まったクリーム色の車のロング・ショット、夕陽に彩られた煙突の煙など、幾つもの詩情溢れる印象的なショット群。タオが広東語で「波」の意味だと息子が初めて気付いた時、オーストラリアの波音は愛の喪失を抱えながら、さざ波のようにゆっくりと寄せては返す。

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