【第427回】『13回の新月のある年に』(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー/1978)

 男は真夜中に普通の格好をして通りに立ち、男を漁っている。彼の品定めをする目は真剣そのものであり、運良くマッチングして暗がりに入り、ことに及ぼうとするのだが肝心要のそそり立つようなペニスを失ってしまっている。この一連の行動が彼らの緊密なコミュニティの掟に触れ、男は女であるという身勝手な理由だけでリンチを受けることになる。この男の倒錯した行動の裏には、長年連れ添ったパートナーとの倦怠期による事実上の別れがあり、主人公の寂しさをより鮮明にする。暴力の犠牲になった主人公は失意のどん底の中、何とか部屋に戻るのだが、そこには倦怠期で終わったはずのパートナーの帰還を目撃する。だが安堵したのも束の間、同棲相手だったクリストフ(カール・シャイト)に格好の別れる口実を提供することになるのだった。クリストフは主人公であるエルヴィラ(フォルカー・シュペングラー)の哀願にも、まったく聞く耳を持とうとしない。男が別れ際に捨て台詞のように吐いた「お前は女じゃない」という言葉が主人公を後々まで苦しめることになる。

かつては男性だったが、ペニスを切り落とし女性になった主人公エルヴィラ/エルヴィンは、今は女性でも男性でもないどっちつかずの立場に置かれている。性転換手術により仮初めの女性というポジションを手に入れながら、同棲し、愛し合った男には「お前は女じゃない」と吐き捨てられる始末。かつて男性時代に家族を作り、娘まで設けた核家族としての幸せの余韻も、自らのジェンダーフリーにより、あっけなく崩れ去っている。かつての妻は世間体を気にし、エルヴィラのカミング・アウトに過敏に神経を尖らせている。雑誌に手記を提供したことが原因で、別れた妻との関係も険悪になり、娘の幸せと自らのジェンダーフリーの自己矛盾に苛まれた男の胸中は、想像を絶するような苦しみの只中にいる。車から振り落とされ、別れた妻からは理解もされず、自暴自棄になったエルヴィラに手を差し伸べる1人の娼婦赤毛のツォラ(イングーリト・カーフェン)がいる。 彼女は打ちひしがれるエルヴィラを誘い、彼がかつて勤めていた精肉場の牛の屠殺場所に始まり、子供時代を過ごした修道院に行き、彼の出生の秘密を探ることで、エルヴィラを果敢にも立ち直らせようと試みるが、かえってエルヴィラ/エルヴィンの引き裂かれた感情を悪化させてしまう。

ツォラの尽力を借りることなく、進んで会いに行くアントン・ザイツという男こそ、かつてのエルヴィンにモロッコで性転換手術を受けさせた男に違いないのだが、肝心要のエルヴィラはエルヴィン時代のザイツの風貌や表情など全ての記憶を失っている。かつて愛した男は所詮それだけの存在だったのか?それともあっという間に変貌してしまったのか?エルヴィンだったエルヴィラという女は、必死にエルヴィン時代の恋人との日々を思い出そうとするが、過去の記憶は栄光の瞬間ではなく、残酷なまでに汚点でしかない。エルヴィラの前に唐突に現れるアントン・ザイツに捨てられた男の嫉妬と殺人、たったいま捨てられた男の諦念と首吊りとが、まるで屠殺場で牛の喉仏にザックリと立てられた刃とオーバー・ラップするかのようにエルヴィラの神経を同時に逆撫でする。自らの引き裂かれた性差の中で、アイデンティティの喪失を味わうことになるエルヴィラ/エルヴィンは破滅寸前だが、皮肉にもエルヴィンよりも先に死んでいった夥しい死体が転がる光景を見て、彼は死を思いとどまるしかない。

この倒錯した世界は、異性のパートナーとしてファスビンダーに長年連れ添ってきた最愛の人アルミン・マイヤーの睡眠薬自殺に端を発したものであることは想像に難くない。『自由の代償』では無邪気にアルミン・マイヤーへの愛情を冒頭にクレジットし、その後『キュスタース小母さんの昇天』、『デスペア』、『秋のドイツ』へと連なる監督ファスビンダーと女優アルミン・マイヤーの公私ともに入り混じった深い愛情関係は、後の悲劇に繋がる危険を孕んでいた。78年のファスビンダーのアルミン・マイヤーへの絶縁状により、2人の関係は円満に終わりを見せるかのように思われたが、カンヌ国際映画祭に出かけ留守だったファスビンダーの部屋で悲劇は起こった。最愛のパートナーの自死が、その後すぐに撮られた今作に影響を及ぼしているのは言うまでもない。主人公エルヴィラの自死へと至る5日間の物語は、かつて自らが愛したアルミン・マイヤーのあまりにも唐突で残酷な記憶を思い返す作業に他ならない。エルヴィラの転落はそのまんまアルミン・マイヤーの人生の幕引きであり、彼女に手を差し伸べることが出来なかったファスビンダーの懺悔でもある。

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