【第381回】『X-ミッション』(エリクソン・コア/2015)

 昨年からの続編・リメイク作の空前の大ブームの元とはいえ、いったい誰がキャスリン・ビグロー『ハートブルー』のリメイクなどという驚天動地のアイデアを予測し得ただろうか?ブルーの靄がかかったような薄明かりの中、寄せては返す波に魅せられた男たちの友情と恋の三角関係を描いたビグローの忘れることの出来ない佳作は、潜入捜査を果たす新人捜査官とベテラン捜査官の事件捜査モノでは断じてない。そこにあるのは神秘主義の元での主人公と犯人の精神の危うい同化であり、自然の崇高さと狂気に魅せられた男たちの友情だった。50年代のカリフォルニアで生まれ育ったビグローにとって、サーフィンとはヒッピーの生き方そのものであり、ドラッグやロックと共に、LAの若者たちの精神性を声高に叫ぶものだったのである。ビグローが『ハートブルー』を通して描きたかったのは60年代サーフ・カルチャーとアメリカン・ニュー・シネマの破滅的なヒーローたちの総括に他ならない。91年当時はグランジ・ブーム前夜のジェネレーションXと呼ばれた当時の若者たちの焦燥感や破滅的な生き方を描いた作品が幾つも撮られたが、その中でもショーン・ペン『インディアン・ランナー』やガス・ヴァン・サント『マイ・プライベート・アイダホ』ら傑作の影に隠れた愛すべき作品なのは間違いない。

親友の死がきっかけという付帯事項はあるものの、潜入捜査のプロセスはほとんどオリジナルと相違ない。学生アメフト上がりの若造がまったく出来ないサーフィンに、両親の死を詐称してのめり込むのがオリジナルの成長物語だとしたら、こちらはいきなり巨大な波を目の前にして、主犯格のラインを果敢にも削っていくふてぶてしい幕開けである。この挑発的なマウンティングの大失敗はエクストリーム・スポーツのカリスマであるボーディ(エドガー・ラミレス)の救出によって事なきを得るが、コミュニティに潜り込むのは容易ではない。オリジナルではヒロインを介して自然と繋がったFBI捜査官と主犯格の関係だったが、今作では拳と拳の殴り合い、ゴツゴツした岩山の山登り(巨大な石の重し付き)、雪山の急勾配での危険過ぎるスキーを経て、ようやく晴れて仲間として認められる。この一連の痛みの描写にはなかなか感心させられる。彼らとそれ以外の人物とを決定的に分ける明確な答えは極限へのトライアルが出来るか否かであり、それはつまるところ死への恐怖を脱しているかなのである。それは幾ら口で説明しようがわかるものではない。オリジナルはロサンゼルスのベニス・ビーチ近辺で頻発する銀行強盗の捜査だったが、25年の経過が国境をボーダレスに跨ぐ近年のアクション映画に呼応するかのように、今作ではアメリカ国内を容易に越えていく。だが世界にある6つの大陸で8つのミッションを制覇せよという「オノ・オザキ」という明らかにあべこべな非業の死を遂げたカリスマ冒険家の教えを継承しながら犯罪を繰り返す様子は、まるでゲームをプレイするかのように随分他人事で軽い。

細かく切り分けたショットを矢継ぎ早にモンタージュした映像、アクション・シーンに付随するラウド・ミュージックやEDMなどの、ミュージック・クリップと見紛うような音楽とスタイリッシュな映像、それに合わせて踊り狂う若者たちの喧騒といういわゆる『ワイルド・スピード』シリーズ以降、ドラマでも映画でも乱造される既知の光景の中、私が少しだけ感心させられたのは、オリジナル版とリメイク版の主犯格の性格や文化背景の違い(ジェネレーション・ギャップ)である。パトリック・スウェイジは誰一人殺さないことを美徳とする野蛮な男だったが、今作の犯人はパトリック・スウェイジのような前時代的な拝金主義を享受しようとしない。先進国の人間による自然破壊、動物虐待、環境汚染を本気で憂い、資源は人間が身勝手に浪費するのではなく、地球に戻すべきだと真摯に考えている。中盤のいわゆるタニマチによるEDMパーティを冷ややかに見つめる彼らの眼差しはいかにも現代的な若者像を象徴的に据えているのではないか?

パタゴニアやノース・フェイス以降のアウトドア・ファッション、エクストリーム・スポーツの隆盛、世界的に広がりを見せるタトゥー文化、ワンセンテンスのみ切り分けて送信されたモバイル環境や情報インフラの整備など、そういう数々の現代的なディテールからは、ビグローが思い入れたっぷりに描いた60年代ヒッピー文化、サーファー・カルチャーへの総括や憧憬はもはや時代遅れのものとなっている。銀行強盗の失敗から、P.O.V.追跡を経てのヒロインの随分あっけない退場もビグローならば絶対にあり得なかった解釈だろう。終始忙しない映像の中で私が最も印象に残っているのは、ジョニーがボーディの仲間にようやく迎えられた時の料理の場面で、全員がいただきますをいう前にテーブルを囲みながら手をつなぐ場面である。あの場面にエリクソン・コアが描きたかった物語の本質が少しだけ垣間見えた気がした。25年一昔とはよく言ったもので、このハリウッドの25年間の変化が悪役の造形さえ完全に変えてしまったのは何とも皮肉な事実であろう。エンドロールの前代未聞の長さ(途中4,5回音楽が変わる)もある意味今日の映画を象徴しているかのようである。

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