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株式会社メニコン 田中恭一

視力が悪い人でもメガネをかけずに視力の矯正が行え、オシャレなアイテムとしても使えるコンタクトレンズ。このコンタクトレンズを世に出したのは株式会社メニコンの創業者である田中恭一さんです。1931年7月8日生まれ、今年で89歳となる田中恭一さん、メニコンの成り立ちや社長としての役割などをリサーチしました。

田中恭一さんの会社「株式会社メニコン」

田中恭一さんがコンタクトレンズの開発、実用化に成功したのは1951年のことです。これを受けて、会社設立を行い、1967年にメニコンを商標登録し、1982年に販売部門を分離させ、株式会社メニコンが設立されます。その後、海外のメーカーを買収して規模を拡大させ、2015年に株式上場、なおも海外企業の買収を続け、日本はもちろんのこと、世界でも通用するブランドへ成長しています。売上高は単体で500億円ほどですが、経常利益はそのうちの1割ほど、着実な成長と地に足をつけた経営が行われている状況です。

田中恭一さんの創業者としての役割

職人の家に生まれ、戦時中は工場で働き、手取り足取り職人から機械の使い方を教わったという田中恭一さん。その影響もあり、職人としての気持ちが強く、現在も新製品に関するダメ出しを行うなど、いわゆる技術者としてメニコンに携わるような状況です。経営からは早々に撤退し、後身に道を譲っていますが、自らは職人としての気持ちを忘れておらず、メニコンの記念館には田中恭一さんの作品が並んでおり、80歳を過ぎ、90代に近づく今も、手の込んだ作品を数多く作り出しています。経営の鬼ではなく技術の鬼ともいうべき田中恭一さん、メニコンの品質の高さは、一切の妥協を許さない田中恭一さんのような人物の存在があってこそです。

田中恭一さんに対する感想

田中恭一さんは2000年に創業者会長となり、息子に社長の座を譲り、それから20年が経ちます。売上高は大きく成長を遂げ、経常利益も5年前の2倍です。早々に道を譲ったことで、技術だけでなく経営の部分でも強力になり、新たな一面を見せようとしています。同族企業の悪い部分が一切見えず、いい部分ばかりが出ているのも、いまだに田中恭一さんが現役としてメニコンに携わっているからです。次の世代へのバトンはもう渡っており、そのイズムは十分に伝わっていますが、まだまだ物足りないとばかりに、色々な注文をつける姿はこれから先も必要でしょう。

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