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まなかい; 冬至 『第66候・雪下出麦(ゆきわたりてむぎいづる)』

冬至から1週間ほど経って、斜めに挿し込む陽光が透かす樹影が揺れるのを見るともなく見ていた。ちらちらゆらゆら陽炎のような動きは止むことはない。光と風の永久運動に見惚れているうち、冬至でしばししんとした命がもう動き出している、そんな小さな音が波が寄せるように聞こえてきた。

今年の大晦日は、都心から出ていない。とても静かだった。電車が深夜走っていなかったこともあったが、外出を控える人が多かったのだろう。年明けもゆっくりとゆっくりと人出が戻ってきた感じだった。


年賀状を書いた。

     "HAPPY NEW EARS!"

   「新しい耳、おめでとう!」

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今年の年賀状の言葉は『すべての音に祝福を ジョン・ケージ 50の言葉』(白石美雪 ARTES書房)からいただいた。

もう一つ「私たちが小声で静かになったら 他の人たちの考えを 学ぶ機会が得られるはずだから」。これは同じく若きケージが、汎アメリカン主義に疑問を持って、弁論大会で語ったフレーズ。

僕としては人間だけでなく、山河草木花鳥風月、この世を共に生きるものたち、死者たちの声を聞くためにという思いを込めて引用させていただいた。

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本文:「僕たちが遮っていたものは「静けさ」だった。それを教えてくれたのは目に見えないウィルス。狂騒的なビジネス、産業が停止することはもしかすると福音。コロナを本来の意味の光冠、花冠とできるか。静けさの中で、新しい耳が目覚める。」

そうお年賀の手紙を結んだ。

大黒様を描いた表面。大黒様は大きな袋に福をたくさん入れて運んできてくれる。打ち出の小槌を本当は持っている。

裏面は「福耳」をデザインした。

干支の丑は見当たらないけど、草を食み、反芻をする、静かにゆっくり、、、そうしないと耳はほどけない。


雪に覆われて、麦はその雪によって守られてもいる。そしてすでに静かに静かに魂は宿り、ふるえ始めている。やがて雪解けの水で土潤い、一斉に芽吹くのだ。


そういう隠れたものが見えるように、見えない声が聞こえるように。暦は本来そういうことへカーソルを合わせられるように工夫されたものだ。見えないものとの境界へ誘ってくれる。そこから先や奥には大きく脈打つものがあるのだろう。

耳という古い器官がよく働くように、宇宙の律動に透明になる。





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