見出し画像

古代緑地 Ancient Green Bert 第10話「日の出の音」

かめ 1

「やあ ここだここだ」

銀縁の眼鏡に白髪を撫で付けた初老のおじさんは 懐かしそうに その岩の前に立ちました 薄手のジャケットとお揃いのズボンに空色の綺麗なシャツという出で立ちです

島国の東の隅のそのまた先っちょの岬を湾に沿って北上した小さな入り江 バス停から 賑わう海水浴場とは反対に数分歩くでしょうか おじさんのほかに人は見かけません

おじさんは鱗玉士郎と言います

「なつかしいなあ 

 まあしかし 今日でちょうど千年目」

などと言いながら大岩の方へ向かって歩いていきます。

海沿いを走る車道路を渡るとすぐ砂浜で その脇に大きな岩がこんもりとした緑を背負っています 風が年中吹き荒ぶので 背の低い植物でさえ ところどころ引きちぎれています 海桐花(トベラ) 車輪梅 薊(アザミ) 蒲公英(タンポポ) 入才蘭(ニュウサイラン) それに名の知れない多肉植物や菅の仲間 

どうやら昔は家があったようで 人が植えたものも混じっています 砂浜には小屋の跡 1段上がって住居があったのでしょう 岩を囲むように 丸い石組みの生け簀も残って 中に海水が溜まっています

玉士郎さんは ゆっくりその家の跡の原っぱを歩み そこから砂浜を眺め 数段岩を登りました 生け簀の跡が丸く見えます 海は今日は穏やかではなく ゴンゴン鳴っています 海は灰色 入才蘭の群生がバラバラと擦れています 岩の間の多肉植物は隙間に潜ってじっとしています 

岩山全体は大きな亀のようでした まるで古代にここにたどり着き そのままここで苔生し 甲羅に草や樹々が蔓延った風です この岩はきっとここにあった家を守ったのでしょう

玉士郎さんは亀の顔に見える大岩を見上げ その岩山を登っていきました 時間が止まったかのように大きな岩がゴロゴロしているのですが 玉士郎さんは間を縫ったり 飛び上がったり ひょいひょいと登っていきます 

頂上まで行くと 東の海を見渡して なにやら真面目な顔でブツブツと呟いているようです 

そうして抱えていた風呂敷包みを ちょっとしたテーブルのようになった石におき 携えた箱を取り出しました 丁寧に紐を解くとぱらりぱらりと四方に垂れ 蓋を開けて石に立てかけました 箱の中から 両の手ですっと取り上げたのは古い翁の面でした

画像3


正座して 翁の面を顔に当てた玉士郎は すっと立ち 舞始めたのです 


少しして 私の視界が不思議なことになっているのに気がつきました 

玉士郎が舞うと 岩が隠れるあたりまで 金色の光の波が満ちてきました ひたひたと岩を覆うそれはなんとも言えず優しい波でした 

 

 岩の頂に朝陽を燦々と浴びて仁王立ちした少年が見えました 

 そこに妹が駆けてくると 二つ並んだ亀の背にある丸い石に登ってみたり  

 小さな兄妹は手を繋いで岩を駆け降り 生け簀の魚を見たり 

 砂浜に絵を描いたり 次々と楽しそうな様子が映し出され

 ビーチサンダルで駆ける子たちの笑顔が谺します 

 やがて光がふっと消えると 子供達はいなくなっていました

画像6


静かだった舞は だんだんと激しく 岩を打ち 右へ左への動きも速くなっていきます

 今度は光の海の中に 海驢(アシカ)の群れが現れ それを狙ってハンターが岩山から銃を向けています

 銀色に光る魚影が翻ると 活気ある漁師たちが銛をもち 勇ましい掛け声とともに 小舟から投げ込みます 


 次には遠くの向こうに灯台が見えてきました 夜の灯台です 丘と海を交互に見張る岬の灯台の光が伸び縮みして私の足元を照らし 亀の大岩を舐めていきます

 夜の海は静かで吸い込まれそう 大きな船が遠く月に照らされ鈍色で ゆっくり動いています

 灯台の 回る光が 歪んで消えました


翁は扇を手に舞い続け 袖を振り 時のネジが巻かれていくようです

風が起こり 大岩も揺らぐほどの 乱拍子

赤い蟹が 慌てて丘へ逃げ 人魚たちは沖へ急ぎます 

日の出の音


大きな不気味な音が近づいています

ああ 盛り上がる津波が 遠くからみるみる大きくなって

襲ってきます  おそろしい情景です 人々や家が流されていきます 

濁流が内陸まで一気に遡り 引く潮で攫っていきます

お終いには とぐろを巻く龍が口を開け みんなみんな呑み込んでしまいました

画像5

胸が押しつぶされそうな濁流の中 亀の背の上で 

翁は飛びあがり ふわっと岩に舞い降りました


音が止み 凪いだ海が現れ

手向けに投げ入れられた花々が光の海を漂って 花は光の中に溶けていきます


岩の上には 笑い翁のお月様が浮かんで 桃色に光っていました


日の出の音 1


舞っていたはずの玉士郎さんが消えています 目を凝らすと さっき登ったり降りたりしていた こぶの岩が透けて ガラスのようになっています 玉士郎さんは小さくなって座っています 

そうして 切り立つ大岩の側面の草が一部持ち上がったかと思うと そこに目が開き 目の球体が光りました

 重い岩が裂けて 口があきました

 露出していた岩が腕となり 鱗模様と爪が生え 

大きな岩山はぐいっと持ち上がって 木木草草を背負ったまま

大亀となってゆっくりゆっくり動き始めたではありませんか 


物凄い静寂の中で 大亀は歩いているのです

海に帰ろうというのでしょうか 

旋回して 私のいる丘の前を通る時 大亀の背にあるコックピットのような石の中 玉士郎さんは見目麗しい少年となり 此方を見ているようでした 

かめ

驚いている私に 少し笑って 

まばゆい光の中へ 光のやってくる彼方へ 大きな波飛沫をあげて漕ぎ出していったのです 


「千年目」 

再び時間が巻き戻され 玉士郎さんは亀の背に乗って東の海へ帰っていったのです



波の音が帰ってきました

海は さっきより幾分穏やかに広がっているのでした 


亀の大岩は忽然と消え 家の跡も小屋の跡もなかったのです

水平線が綺麗に弧を描いています 


生け簀に一人 少年が糸を垂れていました


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

月に引かれて 笑う翁月の登場する
「日の出の音」という物語です ある能楽師のtweetとその地をその日のうちに訪ねたことから生まれた物語です

翁の笑い月 flowermoon
ウエサク祭の晩に 




 








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?