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作曲専攻を目指したきっかけ

おはようございます。
この記事を書いているのは所属する映画制作団体が主催する上映会の前です。

Instagramを見返していたら、作曲専攻を志すきっかけを思い出してきたのでつらつらと書いていきます。

何があったか

私は一昨年まで国立音楽院宮城キャンパスという音楽学校にいました。そこでピアノの調律を学んでいたわけです。
なので、ピアノについての扱いはある程度わかっています。たまに先生にへーって言われることもあったりなかったり。
国立音楽院宮城キャンパスには2019年に入学しました。
その年は調律師になることを目指していました。
その時も作曲専攻を目指していたりいなかったり、まだあやふやでしたが最終的には調律と作曲とピアノをやるとか言っていました。懐かしいですね。

しかし翌年、コロナ禍になりました。
そこで一番大きかったのは、ピアノ調律技能検定の試験が中止になったことです。

これは非常に大きなショックで、正直モチベーションは下がりました。
さてどうしようか、となり、そのまま8月に行われた未来の作曲家コンサートin東北というコンサートにて「From Rain」という作品が初演されました。
その作品が初演された後、もっと大きな編成の作品もやりたいと思いました。何の因果でしょうか。音大作曲科に進学したいと思い始めました。

実は高校受験の時、冗談半分で常盤木の音楽科を受けようかと思ったこともありました。まぁ受けることもなく高校は進学して紆余曲折ありながらも卒業しましたが。
なんだかんだでその頃から作曲とは縁があったのかもしれません。

というのがあり、コンサート後オープンキャンパスがあったので国立音大に行きました。共通テストが必須の藝大は全く視野に入れず、色々あって洗足か国立で考えていました。
そしてオープンキャンパスで初演が多いことを知る。もうこれは行きたいとなったわけです。

そこからは受験勉強にシフト。と言っても和声をやって曲を書いて聴音は独学でやって、という感じでした。聴音は受験当時3割も書けなかった気がしますが受かりました。なお今も完答は無理そうです。

という感じで、コロナ禍というのがきっかけの1つにあったと。そういうのを思い出しました。
今日は上映会で、劇伴を書いた作品が上映されます。

国立音楽大学の作曲専修に進学して後悔したことが1つあって、作曲を中心に生きたいと思うようになった、天職だと気がついてしまったことです笑
やるなら徹底的にやります。作曲家として生きていけるように頑張ります。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

写真はいつぞや撮った空です。綺麗でしょう。
私はいつかこの空たちを音楽作品にしようと思っています。

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