こむこむ

誰かにとっては「何を今更」であろう気づきを、つらつらと書きます。柔らかさを忘れないため…

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誰かにとっては「何を今更」であろう気づきを、つらつらと書きます。柔らかさを忘れないための、心のストレッチ空間。あと大変忘れっぽいので、その時々考えたことを後々振り返るためにも。

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  • #心の柔軟体操

    毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。脳天に戦慄を駆け抜けさせた知人の文章、読んでしまった以上、私も負けてられないと思って

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ふたりに、キューバの太陽が降り注ぐ【#心の柔軟体操】

親友をやめていた親友と二軒目で訪れたのは、バーだった。 カウンターは、重すぎないけれど存在感がある。こげ茶色だったのだろうか。お隣のお客さんの存在が感じられない暗めの店内では、整然と並ぶ洋酒のビンにだけ照明が当たる。 高めの椅子にソワソワする。荷物を預ける。所在のない手は膝の上に。手グセで待受を表示したスマホの眩しさにとても慌てる。 HUBには行ったことはあれど(あれはイングリッシュパブ風だよね、大好き)、こんなちゃんとしたところには来たことがなかった。 「何になさい

    • 物を欲するのは、暮らしの利便性を高めるためだけとは言えない。何かを手に入れたくなるのは何故なのだろう。

      • 解毒

        母は、言葉の端々に毒っぽさが満ちている人だった。どうしてそんな見方をするのかと疑問に思うほど。言葉を抱えていられない人なのかもしれない。でも、私はゴミ箱ではない。 励まそうとしてくれた言葉に深く傷ついたこともある。結婚や出産が現実味を帯びないとポロッと話したとき、「早いうちから結婚して子どもを産むのは他にやることがないからだ」と母は言った。言葉を失ってしまった。家庭を営むことも、そうではない暮らしをすることも、どちらも尊い。子どもという命を預かることもまた、とても尊い。何故

        • 大ネット航海時代に空疎な手を見つめる

          マルチ商法まがいで世間を騒がせている某アニメ映画。チケット台本を買い取り、色を付けて転売することで儲けが出るという建てつけ。 失業保険を使ってチケット台本を2桁万円分買い取り、結局さばけなかった人のエントリがだいぶ話題になっている。他のエントリを見ると何とも表現し難い落ち着かなさはあるのだが。この件を笑える人はかつての自己顕示欲や劣等感から目を逸らし誤魔化しているだけでは、と思う。 大ネット時代にはおびただしい数の個人がめいめい暮らしぶりや所持品を明かしている。日本は随分

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        • #心の柔軟体操
          41本

        記事

          正しい言葉も他者を傷つける意図で発せられたのなら、正しくても間違っている。その中身が、その行使が。正論だからこそ全力投球してはいけない。正しいほど、鋭利なのだから。

          正しい言葉も他者を傷つける意図で発せられたのなら、正しくても間違っている。その中身が、その行使が。正論だからこそ全力投球してはいけない。正しいほど、鋭利なのだから。

          生クリームからは自己陶酔の香り

          己の感情や考えを余すことなく表現しようと腐心するが、だいたい過剰で過多で、食傷気味な言葉が生み出される。気の利いた言葉はインターネットの海に毎秒放出され、漂流している。独り言の大群。 言葉を尽くすとは果たして何なのか。そういう胃もたれしそうな言葉は自己満足ではないのか。相手に伝えるのなら、考えに考え抜いて純度を高めたい。真っ直ぐに。相手が受け止めやすいように。 気の利いた言葉からは陶酔の匂いがただよう。洒落た言い回しをした己への陶酔。仄暗い自己顕示欲。産み落とした言葉たち

          生クリームからは自己陶酔の香り

          「あなたには才能がある」 嫌われ者の言葉に救われたあの日

          時々どうしようもなく居た堪れない瞬間が訪れる。身体の輪郭がぼやけて溶けて、横たわる寝具に溶けてしまいそうな、所在のあやふやさに見舞われる。 こういう感情を覚えたのは、小学校高学年の頃からだろう。他人の悪意を、悪意だと認識できるようになってから。 自分がぼやけてしまいそうな時――往々にして言葉に殺されそうになった時ではあるが、言葉に救われてきたこともまた事実だ。 いつかの国語の授業。産休代替でやってきた先生はとても厳しくて、クラスメートからは一発で嫌われていた。 私は

          「あなたには才能がある」 嫌われ者の言葉に救われたあの日

          記憶の中のホットビスケット

          私は決して健康優良児ではなかったように思う。入院をしたことはなかったけれど、病院は馴染み深い場所だった。高齢出産でうまれた一人娘で、母自身も体が弱い。食事にとても気を遣ってくれていたように思う。 残酷なのは、幼い頃の母の手料理の記憶が一切ないことだ。代わりに、たまのファストフード体験は鮮烈に残っている。終業式の日は帰宅するまでにお腹が空いてしまうからとファストフードに寄った。ミスタードーナツとケンタッキーフライドチキンが定番だったように思う。 ミスドでは飲茶セットをよく食

          記憶の中のホットビスケット

          語られるまでの時間

          大人になるにつれ、身の上の話を端的にできなくなる局面は増える。事情のもつれ(痴情ではない)がより深刻になる印象だ。そりゃ成人すれば、ただただロマンティックでドラマティックではいられない。営みが介在するからだ。どう生きるかはとてもリアリスティックな話だ。どんな生活を理想とし、どう実現していくかはとてもシビアな決断が問われる。 なぜ、その時、そうした選択をしたのか。未だに説明できないこともたくさんある。分かってはいるが口にする勇気がないことたちも。なぜ?を相手によく問うてしまい

          語られるまでの時間

          ビリにはならない

          同業他社とダーツをしに行った。チーム戦で戦うと、初心者の私がいるチームはスコアで負けていく。序盤の時点でビリになってしまう。ペアの相手が白けているのを感じる。相当な点差をつけられているなか、最終ラウンドで火事場の馬鹿力よろしく挽回してビリを免れるという展開を3度ほどやった。ああ、まるで自分が置かれている立場とおんなじじゃないか。比喩はそこかしこに転がっている。ただ、そこにメッセージ性を読み解くのは、いつだって人間の方だ。

          ビリにはならない

          メロン

          冷蔵庫を開ける。微かな鈍い音を聴きながら、ビニール袋を取り出す。旅行先の市場で買ったメロンだ。休暇は、突発案件の対応で6連休が3連休と1日休みに。旅先で対応していたら地獄だったな、帰ってきていて良かった。なんて思いながら、酸化を防ぐためにピッタリ張ったラップを取り除き、残り半分に包丁を入れる。食べごろを少し過ぎたメロンは熟れきって、まな板に果汁が溢れ出す。ここで食べてしまおう。少々品はないがキッチンで立ちながら竹串を使って口に放り込んでいく。メロンを食べていると、母方の祖父母

          他人の背中を踏み蹴って奈落に突き落とすのを嬉々としてやってのける奴が、平凡な幸せなんざ望むな。お前も地獄で這いつくばって泥に飲み込まれろよ。なにいけしゃあしゃあと幸せを手に入れようとしてるんだ、厚顔無恥め。純然たる悪口です。

          他人の背中を踏み蹴って奈落に突き落とすのを嬉々としてやってのける奴が、平凡な幸せなんざ望むな。お前も地獄で這いつくばって泥に飲み込まれろよ。なにいけしゃあしゃあと幸せを手に入れようとしてるんだ、厚顔無恥め。純然たる悪口です。

          思考の強制終了も必要

          何のために生きているのか、何のためにがむしゃらになっているのか。分からなくなる瞬間はふと訪れる。 止まってしまった足が動かない。喧騒が自分から切り離されたかのような感覚。夢中で没頭していた時には感じなかった寄る辺なさ。 そういう時は大抵疲れている。心の容量が悲観に占められている。悪い方、悪い方へと進む思考は止めた方が良い。思考に毒される場合も充分にある。 誰かと親密な関係にあっても、この空白は埋められない。自分が自分を癒やすしかない。 何事にも疑いの目を向けるのが大事

          思考の強制終了も必要

          真綿で首が締まらないように

          両手では抱えきれない、膨大な感情に押し潰されそうになることがある。到底言い尽くせないような質量。そんな時は、あれやこれやと言葉をあてがって「今はこれしかない」と納得する。自分に覆いかぶさり、息の根を止めようとしてくる重さたちを一つ一つ剥がしていく。それしか救いがない。 --- 生真面目さを擬人化したら、きっと彼になる。そんな人が、自ら人生にピリオドを打った。燦然と輝くお星様が、ある日の夜、空を見上げたら跡形もなく消えていたかのような喪失感。ずっとそこにいると思っていたのに

          真綿で首が締まらないように

          寄り道に支えられた暮らし

          生命維持という観点では、暮らしはいかようにも最小限にすることができると思う。呼吸して、栄養補給して、就寝し、起床し、勤労する。これだけで、生きることはできる。ただこれでは暮らしているとは感じられない。何のために生きているのかもよく分からなくなってしまう。自分へのご褒美とケーキを買って帰ったり、好きな芸能人が載っている雑誌目当てに寄った本屋で別の本も購入したりする。気分転換にドライブしてサービスエリアでご当地グルメを楽しんだり、訪れた美術館のミュージアムショップで絵画をあしらっ

          寄り道に支えられた暮らし

          守られてこなかった集大成がいまの私だと思うと、もやに包まれたような気持ちになってしまう。

          守られてこなかった集大成がいまの私だと思うと、もやに包まれたような気持ちになってしまう。