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真っ直ぐに幸せ、は清々しいはずなんだ【#心の柔軟体操】

つづ井さんの投稿を読んだ。

端的に言って、最高だった(円形脱毛症の下りは心が痛すぎたけど…)。そして身に覚えしかなかった。

自虐したり、先手を打って下げることで自分を守っている節があったし、今もある。自分の属性だけじゃなくて、自分の身に起こった出来事のうち"残念さ"をつい押し出してしまう。

休暇明け、職場の先輩に「夏休みどうだった?」と聞かれ、失敗話を中心に開陳してしまった。

風がすごくて観光どころじゃなかったですよ〜とか、飛行機の出発が早くて始発待ちぼうけでした〜とか。

残念なんです、自分。と言わんばかりに。

本当は楽しかったのに。久しぶりに行った馴染みの場所で、お気に入りのお店に行って、未開拓のエリアに足を踏み入れて。

感情としてはごちゃつく場面もあったけど、総じて楽しかった。なのに、なぜ残念に仕立て上げてしまうのだろう?

この場合においては、楽しかったです!と言った方が、不在の間に働いていた先輩に失礼じゃない気もするし。

それでも、楽しいです!幸せなんです!と表明することに躊躇する自分がどこかにいる。咄嗟に、私に成り代わって流暢に残念話をして去っていく。

一体、誰なんだろう。

自分の柔らかいところを守ってくれているのかな。道化になっていれば、傷は浅く済むって信じているのだろうか。

次の休みのときは「楽しかったです、不在の間はありがとうございました!」と爽やかな言葉を颯爽と口にしたい。どこかからもう一人の私が現れて、喋り慣れた残念話で口を満たしてしまう前に。

幸せです!と真っ直ぐに表明していれば、堂々とした様を嫌がる人と疎遠になれる気もする。

何を言われても、私の人生なんだし。私の幸せを祝福してくれる人たちと生きていきたいし、何より私が私を大切にしてあげたい。

日付:2019年9月11日(水)、執筆時間:約20分、場所:自宅、音楽:なし

振り返り:ひとのふんどしで何とやら、という感じかなあと思って躊躇ったのですが、自分も自分を下げるのやめたい!と思ったので、自戒として記録しておきます。

毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。#心の柔軟体操 と名付けてみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。

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