見出し画像

相手を根腐れさせる愛情と、さよなら。

アルバイト先の近くの韓国料理屋さんで、社員さんと夜ごはんを食べた日のこと。

近況や仕事の話をしているうちに、恋愛話になった。そして、なぜか私のこっぴどい別れ話となった。経緯は覚えていない。お酒を言い訳に、自分語りをしたかったんだと思う。

「実は、幼い頃に父親が自殺して」

元カレと付き合ってすぐのこと。2人で横になって天井を見つめている時、ぽつぽつと語られる身の上話を聞いた。

実は幼い頃に父親が自殺した、とか、死んだと聞かされた母親が存命だったと最近知った、とか。彼の複雑な家庭事情を一通り聞いた。ドラマのようなエピソードに面食らったけれど「この人を応援しなきゃ」と強く思った。

専門資格職を目指す彼を、困難な試験を乗り越えた先で"やりがい搾取"に遭う彼を、祖父母を養う彼を、母親との再会を渋る彼を、本家長男としての親族からのプレッシャーに耐える彼を、励まし慰めつづけた。

そうした行為に、特に見返りを求めていなかった。私は、彼がただそこにいてくれるだけで充分だったから。それでも、彼の優しさの質と私のそれとのズレにうっすらと違和感を覚えるようになった。

最初からそうじゃなかったはずだけど、気づけば私や私の出来事は彼の中心に食い込んでいかなくなった。私の思いが大事にされなくなり、私の懸案事項に面倒くさがる様子が垣間見えた。

砂の粒ほどの、すれ違いが積み重なった。祖父母との死別や就職活動などに苦しむ私は、彼に避けられるようになった。大喧嘩の果て「別れたい」との言葉に、待ってましたと言わんばかりに飛びつかれた。

目の前のことを懸命に頑張る姿を見守っているだけで、いや、ただそこにいてくれるだけで、私はあなたから元気を得られたのに。やりきれなかった。

行きすぎた愛は相手をダメにする

話を聞いていた編集者のお姉さんが口を開いた。

「行きすぎた愛や優しさは相手をダメにする。気づかないフリも時には必要」

…だったと思う。酔っ払っていたので、一言一句正しくはない。

鈍感力が大事だという。日頃の私の様子(後天的会得フルスロットル気遣い)をご覧になって仰ったのだろうけれど、「ハッ」とさせられた。

私の愛はエクストリーム自己満足だったのでは?相手をダメにするほどの優しさは、相手のためになっていないのでは?

手にした酎ハイから、体から、アルコールがするすると抜けていく。

彼をダメにしたのは、度が過ぎた私の愛情だったのかもしれない。ずっと向き合わずに逃げていた後ろめたさを言い当てられたようだった。

鉢植えに水を与えつづけたら、それが余分な水分だったら、根は腐り、花は枯れる。

カラカラの土に見えたから、一生懸命に水を注いだのだけれど、適正な水分量を見誤ったのかもしれない。いやそもそも私が注いでいたのは、"水"だったのだろうか?

もう答え合わせできないから、わからないのだけれど。

水とか、肥料とか、液体栄養剤とか。

「何かしてあげたい」

大切な欲求だと思う。こうした気持ちが、誰かを救うこともあるはずだから。けれど、結局自分が苦しい思いをするのならば、ちょっと堪えてみてもいいのかもしれない。

あれこれしてあげたい欲求をコントロールする。愛情過多の私にはかなりの苦行だし、これからもうまくできる自信はない。

それでも、本当に大切なひとをダメな人にしないのも、愛情ではないのか。花咲く力を伸ばすのも、奪うのも、私次第なのかもしれない。よくわからないけれど。

自己肯定感が低いから、まさか自分の行いが相手にそこまで影響を及ぼすとは思ってもみなかった。自分は他者から影響されるのに。認知の歪みを感じる。

愛情のバリエーションを増やし、適切に愛情を発揮していきたい。水や肥料や液体栄養剤とか、そんな感じで。なんだそりゃ。


(彼のダメっぷりを詳細に書くと、夜が明けても足りないので割愛しました)(またどこかに放流したいと思いますちゃぽんちゃぽん)(彼の名誉のために言うと、とても優しく、とても仕事ができる人です)(自分の弱さに向き合えないところはあるけれど)(それでも善良な人だと思います)(彼の人生に幸多かれ!)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?