見出し画像

すべてはタイミング【#心の柔軟体操】

少しだけ生きていた街を久しぶりに訪れる。初めて通る道もあったけど、慣れた場所でもたびたび道を間違えた。この街とちょっと距離ができたことを感じる。

路線バスに揺られながら、車窓からかつて通った学び舎をぼんやりと眺める。

元気だったら、もっとうまくやれたのかな。もっと有意義な時間の使い方があったんじゃないか。もうちょっと粘っても良かったのかもしれない。

街の時間に没入していた時には思わなかったあれこれ。距離ができたからこそ感じるあれこれ。

当時の私は、近くに頼れる人がいなかった。孤軍奮闘するには何もかも足りなかった。お金も、体力も、気力も。

すべてはタイミングだ。人生はタイミングの連続。波に乗れるか、乗れないか。準備や条件が整っているか。ただ、それだけだ。

渦中にいるときに見えない選択肢は、存在しないも同じだ。何度そう言い聞かせても、もしかしてを考えてしまう。何度考えても、過去は変わらないのに。

少しだけ時をともにした友人たちは相変わらず元気そうだった。恐ろしく多忙な世界だから、やつれていなくて、心から安心した。

ちょっと居た堪れなかったのは、私だけ違うパズルのピースのようだったから。ご馳走してもらったカフェラテを飲み干せなかった。

私の生きる日常とはまた違う日常が広がっていた。良かった。それが正しいのだから。もう私はここの人じゃない。

空港で気づく。朝ごはんと昼ごはんを食べ忘れていた。コンビニで買った海苔巻きは、味がしなかった。

あの時、何か忘れ物をしたような気がして、思い起こすだけで心がざわめいた。私が置いてきたのは未練だったと、やっと認めることができた。

この未練は、いつか晴らせるのだろうか。足が覚えているプラットフォームが、水底に沈んだ。

日付:2019年9月10日(火曜)、執筆時間:約20分(手直し10分)、場所:電車内、音楽:なし

振り返り:なし

毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。#心の柔軟体操 と名付けてみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?