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呪詛を吐いてしまったあなた【#心の柔軟体操】

(今日は思ったことをまとめる気もなくつらつら書いてみた)

つづ井さんのエントリを受けて書かれたはてブロ。

うまくいっている(ように見える)人に対して、ぐちゃぐちゃした感情を抱くことはよくあることだろうし、それ自体は仕方ないのだろうとも思う。隣の芝生は眩しいほど青々と見えるだろうし。

そういった感情がさも存在していないかのような雰囲気に抵抗感を抱くところもわかる。感情と存在は同じ線の上にあると思うから。

一方で、大好きなみやぞんさんの「自分の機嫌は自分で取る」という言葉が浮かぶ。

自分の機嫌を取れないほど追い詰められているのかもしれないけど、自分のいる地獄に誰かを引きずり下ろしても自分は救われないんだよね。難しいね。

この投稿者さんは真面目だとも思った。真に受けて差し上げる必要のない言葉は、門前払いしていいっしょ。と、なんでも真に受けて傷つく誠実な私に言い聞かせるようにしている。

受け取っても心を蝕みつづける言葉は早々に手放しちゃって良いんじゃないかな。そうもいかない場合もあるけれど。しんどい言葉が聞こえてきたら、心の柔らかいところに届くまでに焼き尽くしちゃうからなぁ。烈火の怒りパワーで🔥

この書き手の方も、自分で自分を救えるといいな。

さて。この投稿でなるほどと思ったのは、以下の記述。

現代日本社会というのは単に独身オタク女性が迫害される社会なのではなく、自分の選んだ人生を自分で肯定できない人のたくさんいる社会ということだ。さらに、自分の人生は本当にこれでよかったのか、確信を持てない人たちは、自分と違う人生を選んだ人を否定することで、自分の人生を肯定しようとする。

他人の選択を否定する人たちもまた、自分にとってよりベストな生き方を選びたいのではないかと思う。 

だから、選ばなかった道にとやかく言ったりする。そっちがベストだったかもしれないから。選んだ人に、選ばなかった自分に悔しさや未練を抱くから。

どうしたら、他人にとやかく言わずに自分の目先に集中できるようになれるかな。どうしたら刺々しい言葉に耳を貸さなくて済むようになるのかな。

自分を諦めずに、でも他人にとやかく言わずに。本当に難しいバランスをとりながら生きていく。大変だ。

基本的には、外からは良い部分、うまくいってる部分しか見えないと肝に銘じるしかないなぁと思っている。自分の想像力は、思ってるよりも射程が短いんだと。

あと感情を向ける先を間違ってないか。社会にはたくさんのレイヤーが存在していて、どんなに努力したって到達しない層があるのも事実で。

そういった見えないバリアが解消されない構造に問題がある。って、心に彫刻刀突き立ててガリガリ刻み込んでるよ。個人を恨んでもどうしようもないから。

感情にハンドルを取られないようにする。修行のようだ。でも、きっとすまし顔のあの人も、にこやかなあの人もきっと修行の日々なんじゃないかって思ってる。

ほんとにほんとに疲れちゃったら、それがちょっと電波の届かないところで息抜きした程度で良くならなかったら、しかるべきところに頼ってもいいんじゃないかな。

感情に取り憑かれて鬼になりかけたからこそ思う。呪詛を吐いてしまったどこかの誰かさん、もっと自分にも他人にもやさしくなれるといいね。

日付:2019年9月17日(火)、執筆時間:約30分、場所:地下鉄とお家、音楽:King Gnu「Don't Stop the Clocks」

振り返り:ちょっと意地悪い言い回しが目立ったけど、そう切り捨てるのは簡単だから、考えてみることに。タイトルどうしちゃったのかな?と思ったけど、心で飼いならしているぐちゃぐちゃがピョンと飛び出てきちゃったのをそう表現したのかな。開けた明るいところで深く息を吸えるようになったらいいな〜って思いながら書いてみました。

毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。#心の柔軟体操 と名付けてみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。

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