かぼちゃの馬車とコインチェックと日本のコンプライアンス
【知っ徳 かぼちゃの馬車とコインチェックと日本のコンプライアンス】
少し前の話になりますが、かぼちゃの馬車もコインチェックも本質的には同じ問題かと。
かぼちゃの馬車については言えば、シェアハウスという意味で同じ業態をやっている会社のアドバイザーを務めたり、不動産業者としてかかわりを持つこともありますが、提案内容を見たら確かに他と違って非常に魅力的な内容になっていますね。
コインチェックもすごい勢いで利用者を増やしていましたし、CМの数も多かった、そして友人知人から進められたから始めたという方も多かったです。
かぼちゃの馬車については一方的な通知のみで契約書の内容が反故にされたと事態になっています。
契約書なんて意味がないだろうと思ってしまうものの一つの典型かと思います。
一方、利用に関する書面などを見ると、コインチェックについては事故が起きても報告する義務があるのかどうかがそもそも疑問が残りました。
銀行に預けても同じことが言えますが、自然災害いや政治的なリクなど、責任取れない事態はありますよ、ということは常に頭に入れておく必要がありますが、日本は性善説が強すぎるのかこのようなことを考えることがないようです。
今回、本質的に同じ、というのは双方とも、日本独自の村社会的な意識、同族意識といっていいのかわかりませんが、
「和をもって貴しとなす」
的な感覚を持っている人たちのみで作る社会におけるコンプライアンスやセキュリティーをもって安全安心といっているところに問題があるのではないかと。
20年近く前に内閣安全保障室長の初代佐々さんの話を聞いてから、ずっと、日本の軍事政治はもちろん企業の安全保障については不安を持っていました。
現在は日々世界が小さくなっている現状ではやはりこのままではよろしくないと思います。
個人法人限らず、この安全保障に関する危機管理についてリベラルアーツ的な意味で教育の中に入れる必要があると思いますし、情と違う部分で判断することをそろそろ時と場合によってはきっちりと使えるようにしないといけないのではないか強く思います。
義理人情の人間ですが、そうでない人も増えていると思います。
もう少し、強く優しくなれる社会になるとよいですね。
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