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逢瀬 さようなら バッドマン

 全体的にゆったりとした太いリズムだった。間延びしていると表現しても良いかもしれない。まずは基となる大太鼓の音がただ響き渡った。体の芯まで響くような大きな音だった。三拍子か四拍子かわからない変わったリズムだった。正確に何拍か刻まれたと思うと、急に少しばかりの乱れを発生させていた。しばらくするとそこに小太鼓の音が三拍子で加わり、その間隙を流れるように尺八と篠笛の音が流れ、かすかに鈴の高い鈴の音が挟まれた。
 周りの観客は依然として静かだった。僕らも黙って篝火に照らされるアスファルトの道路見つめていた。上空には低くないビルに囲まれ、ちょうど道の形に切り抜かれた満点の星空が光っていた。いつの間にかそこに満月が顔を出していた。夜空は僕らに隔たりと、繋がりを同時に語りかけているようだった。僕はアカネの横顔を見つめてからまた路上に目を移した。
 盆踊りの先頭は白狐の面をつけた男の集団だった。浴衣の端を帯にくくりつけ、足と白い足袋を露わにさせていた。彼らは何歩か真っ直ぐに進むと手を払うような振りをして左右に足を運ぶと言った動作を繰り返していた。狐は間隔を開けて通り一杯に広がり、3列になって僕らの前を通り過ぎた。狐の集団の後には楽隊が続いた。胸を圧迫するような大太鼓の音を轟かせながら大きな動作をつけて前後左右に揺れる男たちを皮切りに、微動だにしない小太鼓、笛吹きと過ぎていった。楽隊の後には手に提灯を提げた黒い着物の女性たちが現れた。彼女たちの手には家名が書かれていた提灯が下げられていた。家名はよく見かける苗字で、特に特徴と言ったものはない。佐藤や、渡辺やそういった類のどこにでもある一般的なものだった。彼女たちは踊ることなく、ただ、ゆっくりとした速度で下駄履きの足を前に進めてた。楽隊の大きな音の間隙にわずかに彼女たちのカラコロとした足跡が浮かんでは消えた。提灯の最後尾には屋号と家紋を染め抜いた、ひときわ大きな提灯が四つ等間隔を置いて並んだ。提灯は幅は3メートルほど、取り付けた棒を合わせると高さは6メートルはありそうな巨大なものだった。その重そうな提灯を3匹の白狐が支え、わずかに横に揺れながら歩いていた。提灯の一つはアカネの家筋のものだった。格子に入った逆さの蝶が向かい合って二匹並んでいる。
 提灯の後には蓋のない大きな木桶をバックパックのように背負った人夫のような仮装をした男たちが、器用に踊りながら続いた。彼らは音楽に合わせながら、どちらかというと剽軽な様子で猿のように軽快に舞った。列の隣り合ったものたちが丁度鏡合わせのように舞い、しばらくすると一挙一投足を同じ方向に合わせて踊った。彼らは時折、観客の方へ手を差し伸べるような舞いをしたが、分りやすく振り付けの一部だとわかるので、その誘いに乗るものはいなかった。猿踊りが終わり、しばらくの間を置いてから、盆踊りの集団が現れた。
 盆踊りは男も女もきっちりと黒い生地に灰色の文様を染め抜いた着物を身につけていた。女は頭に白いハチマキのようなものをつけ、その下から黒い布を垂らし、顔を隠していた。男は目を閉じた無表情の白い面をつけていた。顔の表情は左右対称ではなく、右側だけが微妙に後方に引っ張られたようにねじれていた。足元は裸足だった。
 彼らは橙の篝火に照らされて二人一組となり、変拍子の間を縫うよう空を仰ぎ、地上を指差し、手を左右に払った。女の右の足首には赤い糸で3つの鈴が結びつけられていたので、彼女たちが足を踏み鳴らすと同時にその音が辺りに響きわたった。長い一連の舞いの中で彼らは一度だけ触れ合い、また離れた。
「私達も踊ろう」とアカネは僕の耳元で囁いた。その声はあたりに轟く音楽の中でもはっきりと聞き取ることができた。
 彼女は下駄を脱いでから僕の手を取り、目の前に張られていたロープをくぐり、路上へと出た。ロープのそばで待機している黒子に袖の家紋を見せてから、手荷物を預け、袖から黒い布を出すと、白いひもを額に結び、それで面を隠した。僕は下駄を脱ぎ、黒子の面を隠す布の下から出した面を受け取りそれを後ろ手で結んだ。僕の準備ができるとアカネは僕の手を引いて列へと加わった。思ったより、裸足で踏むアスファルトは冷たく、面の視界は狭かった。一度アカネと手を離し、横に並んでしまうと、僕の視界からアカネは消えた。僕は前の列の男を真似するように踊った。舞いの動作自体は簡単なものだったが、拍子の取り方が独特なため、最初はうまく踊ることができなかった。しかし、何度か繰り返しているとコツのようなものがわかってきた。鈴の音に合わせて拍をとれば比較的簡単にリズムをつかむことができるのだ。僕は鈴の音に耳を澄ませ、無心で体を動かした。
 踊りの途中、一度男女が触れ合う場面のみ、僕はアカネの姿を見ることが出来た。彼女は僕の前に立ち、後ろ手で頰に触れるようにしてから振り返る。その面は当然黒い布で隠されている。僕は彼女が彼女であることをそのわずかな手の感触と、周囲とは少し色合いの違う着物と、足元に鈴をつけていないことで確認をする。でも、何度か踊っているうちに彼女の足首にも鈴が付けられていることに気づく。僕はその音に合わせて体を動かし、ダンスをする。篝火に照らされた彼女の顔を一瞬でも見るために。

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