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【40日目】展望と分解の狭間のアイデンティティ

こんばんは。コノテ(@kmbcmp)です。

自己哲学を持っているといえる人はどのくらいいるんでしょうか。

哲学、思想は人間の創造力の賜物なんだと思います。

そして、ある時は支配力を持ちすぎることもあるのだと。


●どこまで未来を想像できるか

どんな未来を待ち望むのか自分に問いかけます。

10年後30年後50年後100年後、人類は続くけど個人の命には寿命があるから、どこまで見通して生きるか。

未来の道を創造する人生なのか、現在の課題を今までにない手法で解決していくのか。どれも未知の開拓です。

だけど、その開拓したものがキャズムを越えるのかとか、未来にどれくらいの貢献インパクトを起こせるのか未知数。


だけど、僕たちは常に異文化・異業種とかかわり合い、想像と創造によって未来を作っていくことを前提に生きていくべきなんじゃないかと思います。


●未来とはどうあるものなのか

未来は誰のものでもないし、誰か一人だけが作り上げるものでもないし、かといってみんなで作り上げよう!なんて出来ないと思うのです。

未来は人間の想像力によって描かれ、創造力によって実現される繰り返しによって作られていくもので、それは普遍なんだと思うし、その繰り返しの速度は今までの歴史からのスピード感と比較すればとてつもなく早くなっていることだけ、僕たちは体感している今を生きてる。


未来がどうあるのか誰もわからないけど、わからないからワクワクしてリスクを取って追求する。

誰もわからない未来に一石を投じる人間こそ、世に貢献する哲学者なんだと思うようになりました。


●未来に貢献する哲学について

貢献のカタチは個人によって違います。

恋人、友人、両親、組織、国、世界、宇宙。

未来をどこまで普遍に描けるか。


テクノロジーが発展した今でも世界の課題は多く、でもその課題を解決するためには立ち止まることなく、人類を発展させるためにまたテクノロジーが必要であると。

しかし、それはただの技術発展にすぎず、それも必要不可欠だけど、人間らしさというか僕たちの世界がどうありたいかという想像と文脈による哲学こそ未来を創り、貢献できる唯一の手段であるということをわかりました。


ここまでは、概念的な話なのですが。

昨日のnoteで僕はテーマ性というものを見付けて定めたいという話を書きましたが、自分が未来に貢献するテーマを早く決めつけたいと思うばかりです。


そして、そのテーマは属人性も高く個人のアイデンティティに紐付けられ実現の原動力になるのだと思います。


出る杭は出すぎると打たれないとありますが、出過ぎる強さとは未来と個人のアイデンティティの間に存在するのではないかと思うのです。

今日も絶対口では言えないようなコトを語ってしまいましたが、毎度読んで頂きありがとうございます!


それじゃ!

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