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早月くら『薄い魚』鑑賞

早月くらさんの『薄い魚』を冒頭から末尾まで少しずつ鑑賞します。この記事は読まなくても結構ですが、是非『薄い魚』は読んでいただきたいです。

では、いざ。

秋のつまさきへとふれる旅だから冷水で手をすすぎ、港へ

季節や状況が説明されます。「秋のつまさき」という独自の表現や、旅の前に手をすすぐという特殊な行為(当然のように「だから」とありますが不思議です)が出てきて、詩的世界への導入としても効果的です。

涼しいは比喩ではなくて、話してて、ラゲッジタグにすずらんの白

無色透明だった(感じがする)世界にすずらんの白が加えられ、また話し相手の存在も感じさせ、物語が展開していきます。抽象的な言葉が多い中「ラゲッジタグ」の具体性でバランスが取れています。

最果てへ行くのだろうか傷ついたスーツケースは昏く重なる

ふだん旅行者を見ても「最果てへ行くのだろうか」とは考えませんし、スーツケースの微細な傷に着目することも稀でしょう。「特殊な世界」または「作中主体の特殊な世界観」が明らかになってきます。

浅い椅子 荷物を抱いて座るときあらゆるざわめきは他人事

身体感覚もあり、読者にとっては作中主体と一体化しやすい所かと思います。読者を置き去りにせず、しっかりと旅に連れていってくれます。

空の上に空のあることなめらかに水平線のかたむく窓は

「空の上に空のあること」から世界の果てしなさを感じます。飛行機の離陸でしょうか。スケールの大きい「空」や「水平線」を歌いながらも、身近な人工物「窓」で締めています。

天井にゆらめいているゆうれいのひかりのなかにあなたの右手

水、空、窓もそうでしたが「ゆうれい」や「ひかり」のモチーフに透明感があります。

速度が
ひとを遠くへ連れてゆく
ひとはいつだって微弱にふるえているけれど
地面からはなれるほどに振動は増幅されて
みるみる模型になった街へ
墜ちたら

「みるみる模型になった街へ 墜ちたら」のスピード感に驚きます。墜落のスピード感を表しているのでしょうか。

その速度で
その加速度で
発火するだろう、胸に根付くいびつな多面体は

「速度」と「加速度」の並列や「多面体」から具体的・理知的な印象も受けました。一方「胸に根付く」は象徴的・情緒的で、バランスが絶妙です。

その中心にあるのが たましい
燃えるなら何色がいい?
身軽なほうが、澄んだ色の炎になれる

魂の燃える色について語り手は何故そんなに詳しく知っているんでしょうか。神様なのかもしれません。

あこがれに近づくために
思考を重ねて 或いは削ぎ落として
そうか、わたしはその炎を見ることが敵わない

思考を重ねることと削ぎ落とすことは逆のはずなのに、どこか似ていますね。

なら彗星に名前をつける地上では横の移動が信仰されて

私も毎日、横の移動ばっかりしてます……彗星のようにダイナミックには動けません。やっぱり作中主体に神様っぽさを感じます。韻律をはみだした「なら」も意味深です。

みずうみのほうへ。あなたのサングラス、旧い音楽、まっすぐな道

先ほどは「あなたの右手」が、ここでは「あなたのサングラス」が出てきますが、「あなた」自体については言及されていません。

河をゆく花のここちだ無差別におおきな陸橋をくぐるとき

こわいね、後悔さえも失くすのは 羊歯の葉あかるい日陰に群れる

まぶしさを映しつづけて淡水はカーブの先を占める、しずかに

どこか幻めいた風景が展開されます。高画質・ズームで撮った写真ではなく、フィルムカメラで遠景として撮った写真のような印象です。

冷たく、きれいな水の中でしか生きられないのです
みずうみのほとりに立ち籠める、それは薄い魚のはなし
冷たく、きれいな水でなければ生きていけない魚は
ぬるく、よごれた水では生きないことをゆるされていて
(銀色の魚と目が合う)
それを
すこしうらやましいと思う
(水槽にゆらめく魚の黒一色の瞳と目が合う)

「冷たく、きれいな水」でしか生きられない魚も、確かに「ぬるく、よごれた水」で生きずに済むと考えれば、かわいそうとは限りません。目が合ったとき「うらやましい」という思いが萌したのでしょうか。

空にもみずうみにも、長居はできないよ
青く澄んだ場所は人間のために開かれていない
それは例えば
天使や薄い魚の棲む場所だから
よごしてしまう前に帰らなければ

飛行機で空を飛ぶのも、着いた先で湖を覗き込むのも、ひとときのことです。人の住めない空や湖に実は「天使」や「薄い魚」が棲んでいるといいます。この「空」や「みずうみ」は異次元と繋がっているようにも思えます。

新聞に未来の日付 概念を愛して花のアイスを含む

未来の予定を立てることも、新聞で情報を伝達することも、概念をもつ人間ならではの行為でしょう。日常の世界に戻ってきたような安心感があります。短歌の定型の世界にも戻ってきましたし。

白樺に小指のさきで触れてみるこれは拒絶でなく道標

人生のようだ、果てしない山道の樹陰にさがすうつくしい鹿

上の二首から、私は人間世界と自然世界の対比を思い浮かべましたが、多様な解釈ができそうです。

茜雲ゆび指しながらあなたの言うまがまがしい、のやさしさときたら

特急にふかい角度でねむりいる擦りきれたあなたの白い靴

結局「あなた」の人物像は謎に包まれたままでした。

梨狩りへいつか行こうの記憶だけ乱反射して透明な冬へ

冒頭に秋が出てきたのを思い出すと、一つの季節・物語が終わって次への展開を感じさせる綺麗な終わり方だと感じます。

全体を通して、神秘性と具体性のバランスが良くて、読者を不思議な旅に連れて行ってくれるような印象を受けました。

第35回 歌壇賞を受賞された早月さん。今後の作品も楽しみにしたいです。