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明けましておめでとうございます|年賀状

明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

年始から能登半島地震、羽田空港衝突事故と穏やかならぬ幕開けとなりましたが、いかがお過ごしですか。

私は、歳を重ねるごとに憂き世と関わるのが億劫で、できることなら誰も知らない山奥の洞で一人余生を送りたい心境です。(笑)

真人は生に執着するでもなく死を忌避するでもない
この世に生を受けたからといって喜ぶでもなく
この世を去るからといって悲しむでもない
ただ無心に来て無心に去っていく

逍遙遊の世界に生きる理想的人間像。まだ余生を与えられるのなら、そんな荘子が説いた無為自然の絶対的自由の境地を会得した真人の生き方を体現したいと思っているのでございます。(笑)

とは言え、それが許される時代ではありません。それなら憂世を浮世と取り柄して、つまらぬ世間などは放っておいて面白可笑しく自由気ままに浮世を楽しもうってことで、生きてるだけで丸儲けってことになるのでございます。(笑)

さて、久しぶりにnoteを読んでいたら、こんなことを呟いておられました。

年賀状。
あまり交流のない相手はともかくとして、しょっちゅう顔を合わせている相手からの年賀状が裏表印刷のみで一言の書き添えもないと、「あなたには話したいことなどなにもありません。儀礼的に出すだけです」という宣言のようにも感じられて、それならくれなくていいのにと思ってしまう。

なるほどと頷いた。(笑)

日本郵便によると今年元日の年賀状数は約7億4千3百万枚で前年比15.8%減、ピーク時1993年の27億5千5百万枚の30%以下になったそうですが。。。

それでいいんです。儀礼的に頂かなくてもいいんですよ。(笑)

ちなみに、私は贈りたい人にだけ、送るのではなく贈ります。(笑) 

グリーティングは正月だけじゃなくて誕生日や記念日にも贈ります。

贈った言葉は紙に写し書きしてノートに貼って後日の参考のために残しています。


これは野球が大好きな孫に贈った葉書。


これは以前、息子へ贈った葉書です。

金釘流ですが、好みの墨を磨り、言葉を考え、葉書を選び、筆を選んでから百事諧の祈りを込めてしたためます。

2024年、すべてが良く運ぶことを祈ります。

良仁