5.自社養成試験の始まりと終わり

スマホの黎明期だった。「絶対iPhone3GSにした方がいいよ!説明会の予約、漫喫行かなくても取れるから!」同級生の誰もがそう口にする。
同級生と言っても大学生の言語のクラスの同級生達だ。

大学3年生の後期になるとみんな就活戦線に出て行く。工学部にいるとその殆どが大学院に進むのであまり感じられないが、文系学部に行くとダークスーツに身を包んだ3年生がラウンジのパソコンでESやWEBテストなどと格闘している姿はまさに戦争だ。ピリピリしている。

謎の学生団体が多く出現する時期でもある。

僕は僕でESや面接の内容を詰めていた。
僕には日本をバイクで一周した経験があるが学生の中には世界一周してる人も多くいる。
そんな中で何をアピールするのか考えていた。計画性?行動力?だから御社で活かせます?
そういった質の低い演繹的な話ほどスッと入ってこないものは無い。

こういう時に頼りになるのは先輩である。

◆◆
結局、香港の会社からはその後も連絡は無かった。やはり日本と違ってスキル重視なんだから仕方ない。

じゃあ専門学校でもない限り、スキルも特に無い新卒採用をする日本で見られているのは何か?

「ガンジス川でバタフライした話をしたら採用された」みたいな逸話が崇められるのは、変わったことをすれば人事受けする、と勘違いされるが多分違う。
その話をする人が相当イキイキと話していたからだろう。

前に人事に詳しそうな野村さんに一度相談したことがある。その時に言ってた事は以下の通りだ。

「留学とかバイトとか、それこそお前みたいにバイクでどっか旅したとか、大企業の人事は聞き飽きてる。目立つ必要は断言して無い。とりあえずアツく語れる事を話してその話の要素でアピールしろよ。何かに熱中している人って魅力的だから。
俺はよくESの添削依頼されるんだけど、バイトリーダーの話とかよりも欠員がいても工夫して1人で4時間ホール回しました、みたいな人の話の方が面白いと思ったな。
そこに一本筋が通っていれば話はスッと入ってくるもんだ。

じゃあ何が求められ、何を訴求するべきか?っていう質問の答えだけど、
そもそも、日本って未だに年功序列、時間報酬制なんだ。
それが高度経済成長の礎だったから。
これにはいい面、悪い面両方あるけど今新卒採用の出来るような大きな会社はまずそうだ。

そこに求めらるのって一言で言うなら柔順さなんだよ。目の前にある事に全力で取り組めるかどうか。
そして勿論仕事ってのは1人では完結出来ないから他人との協調性も見られる。
だから小さな改善を提案出来るくらいの主張する能力はいるけどズバ抜ける必要は無い。

そして航空会社ってまさに『現場』が稼ぐじゃん。現場で求められるのは突拍子もないアイデアじゃなくて決められた手順をしっかり行える人材が欲しいってことでしょ。
パイロットも曲芸飛行するんじゃないんだから、むしろ複雑なシステムをしっかり勉強してしっかり手順通りにできるか、を見ると考えられるよね。」

パイロットには普通の人が求められる、ってことのようだった。宇宙飛行士の本によく書いてある事に似ている。

◆◆
いよいよ10月、僕の自社養成試験が始まった。竹本さんの会社だ。なぜか東さんの会社の採用情報はまだ更新されていない。まあ同時に受けるよりは集中できていいと僕は楽観的に考えていた。

まずはWEB TEST。
自信を持って臨んだ英語は思ったよりは難しく、マルタのそれの様にはいかなかった。タイムプレッシャーがあるからだ。
他の科目も何とかこなした。国語では普段から本を読んでいて良かったと思った。その習慣は活字を読むスピードを間違いなく上げてくれている。
注意事項は他の会社のWEBテストで雰囲気を知っておくことだろう。
外資系消費財メーカーは選考が早かったので予め受けておいた。
そこでの経験は大いに活きたので、やはり色々な会社を受けておいたほうがいい。

あと、パソコンは有線LAN接続にしておくこと。途中で回線が切れたらそれこそ大変だ。

まあ当時はポケットWiFi位であまり公衆WiFi無かったが。

◆◆
1週間でWEBのマイページに合格通知が来た。ESのデータが添付されている。
この半年でどれだけ自己分析をして来たことだろう。迷うことなくPDFデータを印刷して手書きで書き写す。
普通の履歴書の様に資格欄があり大型自動二輪車免許を書くか迷ったが書いた。バイク=危険、と考える人は多いと思いそれを懸念した。が、それ抜きでは言うことが本当に無くなってしまう。学生団体を組織したことも無ければインターハイに出たことも無いのだ。仕方あるまい。

手書きはとても大変だった。でも当時の僕にはそれしか努力出来るところが無いので渾身の1枚を仕上げた。これでダメなら仕方ない、というところまで10人位の人にも添削して頂いたのだから初見の人が読んでも必ず伝わる内容になっているはず、と後は願うばかりだった。

封筒の宛名にまで「小学校の書き初めコンクールか」と言うくらい心を込めて書く。第一志望の重みは相当なものなのだ。

『エントリーシート在中』と赤字で書くとポストではなくやはり郵便局に持って行った。

◆◆
また1週間後に書類審査通過の通知がマイページに来た。
書類審査は通過。素直に嬉しい。

そこからは面接と適性検査の予約だ。この時で倍率がどうなってるかは分からなかったが自分の為に企業が時間を割いてくれようとしていることに気分が高揚していたのは覚えている。

竹本さんにメールすると
「まずはES通過おめでとう!でも、そこからまだまだ長いし、ていうかES通過でメールしてくるってことはのめり込んでるなー(笑)自然体で行けよ!素の方がええで!」
との事だった。

そう。竹本さんの言う通り、僕はのめり込んでいたと思う。『なる早』がいいと思い込んでいた僕はあろう事か1番早い日程を予約する。今思えばもっと面接の練習に時間をかけられるように日程を組むべきだった。

◆◆
面接当日、僕は某ビルの待合室にいた。
ここに来るまでに駅から同じ地図を見て歩いている人を何人も見た。途方もない数の学生がこの試験を受けに来ているのが肌で感じられた。
周りは同じようなダークスーツを着込んだ就活生ばかり。いかにもパイロットっぽい元気が良さそうな人が多くて少し圧倒されてたが、気持ちで負けないようにと思っていた。

面接では喋りすぎないように意識した。が、やはり喋りたくて仕方ない事が山ほどあるので喋りすぎたと思う。
そして簡易適性検査。
簡易というだけあって単純な作業だったが結構ミスもしたし上手くいったかどうかは自信は無かった。
とにかく速さよりも正確性を重視した。

手応えははっきり言って無かった。外資系消費財メーカーを除くと僕にとっては2度目の面接だった。それはあまりにあっけなく終わった。

ここからの1週間がとても長かった。
が、なぜか穏やかで何となく「受かっている気」がしていた。
それに超難関と言われる外資系消費財メーカーの面接も進んでいたの自信を持ってしまっていたのかもしれない。
や、完全に「就活は案外普通にいけるかも」と大きな勘違いをしていたのだ。

◆◆
年も変わり季節は冬だった。
「次は東京で」
と言って別れた受験の同期とは連絡は取ってないけど今日の9時にマイページに合否結果がアップされる。皆んな緊張して待っているに違いない。

WEBで通知というのは書面より緊張する。
このF5ボタンを自ら押すと結果が出てしまうのだ。
時間だ。F5を押してページの更新をする。



「残念ながら今回は…」



もうそれ以上は読みたくなかった。

大学受験の前期試験以来の感覚だった。
目の前が真っ白。
いや、真っ暗と言った方がいいかも知れない。
日本において自費でなくパイロットになる方法は自社養成しか無いのだ。

現実感が無い。受け入れられない。

しかも簡易適性検査で落とされた。自分にはやはり適性は無いのか。

そもそも他の道を考えてはいなかった。

この道がこんなにもあっさりと途絶えるとは思ってもみなかった。

報われない努力は存在する。むしろ報われる努力の方が、世の中ずっと少ないのだ。

僕はこの時の気持ちを日記に書いている。誰にも見せない日記だ。大きなライフイベントがあった時に、その時の素の気持ちを書くようにしている。
これは高校の親友の真似である。それは大学に受かった時に入学の気持ちを書くつもりで買っておきながら前期で受からなかったため全く書いてなかったが、まさかその日記の1ページ目を飾ったのが自社養成に落ちた日になるとは思っていなかった。

その悲壮感溢れる文章は今でも僕を戒めてくれている。感謝の気持ちを忘れてはいけないと。

◆◆
こういう時に弱い人間はすぐに誰かに言いたくなるもので僕も例外ではなく、いつも連んでいる連中にメールした。

慰めて欲しかったのか、その時の感情は今となっては思い出せないのだけれど兎に角誰かに言いたかった。

しかし、友人達はあまり慰めてはくれなかったのだ。 今思えば有難いのだけれども。

「マジ!ドンマイ。飲もうぜ。」
とか
「次行けってことだね!」

ってな具合で。 あっさりしている。

正直当時は「人の気持ちも知らないで」と思っていた。
しかし振り返ればこういう時に一緒に悲しんでくれる人がいたところで仕方ないのだ。
自分で解決する問題だから。

経験則的に良い友達ほどそういう時に慰めたりしない。
そしてたまに良い言葉をくれる。

同級生でバイク仲間、ヤン車のイメージのあるゼファー400に乗ってるユウキに自社養成に落ちたことを言うと、

「『最後の授業』の著者で有名な故Randy Pausch氏の言葉知ってる?

"Experience is what you get when you didn't get what you wanted."

"経験とは、求めていたものが手に入らなかったときに手に入るもの"

そんなもんなんだって。あんな小さなことで落ち込んでたなんて若いなw って思えるくらいの事を成し遂げたらいいんじゃないか?とりあえず、今回は経験積んだな!」

という事だった。ユウキはこの3月に同級生より1年早く卒業する。飛び級というやつだ。もう都内の大学院への進学が決まっていて優秀すぎるため野村さんの会社をはじめコンサルティング会社が引き抜き合戦をしていたが全部断ったそう。

やっぱり言葉はその主次第なところがあって「ユウキが言うならそんなもんかな」と妙に納得した節があった。
もちろん現状に不満足ではあったが。
こんなに努力してるのに有り得ないだろう、と思っていたがそれは他人が決めることで自己評価など何の意味も成さないと気づくまでは相当な時間が必要だった。

◆◆
だがここに来て、僕は東さんの会社の事を思い出した。そうだ、自社養成をやってるのは竹本さんの会社だけじゃない、と。

しかし、その頼みの綱はあっさり切れたのだった。

2010年になった途端、東さんの会社は倒産したのだ。訓練は全てストップ。社会的にも大きな波紋を呼んだ。
もちろん自社養成もストップ。
軒並み日本のエアラインは竹本さんの会社以外は他の職種の採用まで中止、もしくは大きく減員する事になった。
2008年リーマンショックからの不景気の波は就活生を飲み込んでいた。

フライト経験が無ければこの業界では徒手空拳。箸にも棒にもかからないのだ。

とりあえず動く事しか能がない僕でも、目の前の就活をやりきる事以外の思考が停止してしまった。

東さんとは連絡は取っていなかった。僕よりももっと大変なはずだから。

また流れ任せの自分に戻っていった。

◆◆
そこから4ヶ月はパイロットの事を忘れていた。忘れるために、と言った方が正しいかもしれないが僕は就活に集中した。


でも、1度本気になったものの事はそう簡単には忘れられない。嫌いにもなれない。

思い出したのは4年生の5月の事だった。

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