4.自社養成は日本と香港で

経営学部の食堂は学会後の簡単な食事会を行える程綺麗だ。採光も景色も申し分なく、うちの大学の名スポットの1つでもある。
メニューは工学部より平均して200円くらい高いのだけれど、定食形式で個人的には大好きだ。工学部から遠いのだけが難点。

竹本さんに会うのは初めてだった。東さんの競合他社に自社養成パイロットとして就職が決まった竹本さんは経歴がちょっと変わっていて、アメリカの大学からうちの大学に編入して来たそう。もちろん英語はペラペラだ。
サーフィンが趣味と聞いていた。僕の塾講師のバイトでお世話になっている荒巻さんのゼミの同期ということで紹介された。現在4年生である。

イメージしていたのはアメリカンな強面サーファー姿の竹本さんだった。

食堂に着いたので探してみる。「入口らへんにおるで!」とメールで言っていたので直ぐに分かった。あと、竹本さんはオーラがあるせいかもしれない。

想像していたEXILE風な色黒サーファーな感じではない。
アメリカンイーグルのシャツにDIESELのデニムのシンプルな装いは爽やかで竹本さんの会社のイメージにぴったりだと思った。

「うっす!」
と竹本さん。
「初めまして」
と言って僕は簡単な自己紹介をする。
竹本さんと東さん、2人とも自社養成の訓練生だがカラーが全然違う。この時あらためて「こんな人がパイロットに向いている」という型みたいな物は無いと思った。

◆◆
「まず大前提としてな」と竹本さんは言う。
「自社養成は半分『運』やから。倍率も300倍とか諸説あるけどまぁそれに固執する必要性は全く無いと思うで。俺も総合商社と併願してて、たまたま受かったのがパイロットやったからそっちの道を進むことにしてん。実際受かってる人も飛行機にマニアックな人よりもバラエティ豊かな感じのメンツやわ!だから視野を広げる為にも就活は絶対に色々な会社を受けるべきやで。」

同じような話を東さんもしていたが東さんは小さい頃からパイロット一筋、色んな会社を俺も見たよ、とは言っていたが正直あんまり腑に落ちなかった。しかし竹本さんの話っぷりには一定の真実が含まれると感じた。

「それより何でパイロットで何でうちなん?パイロットもサラリーマン、給料でいうなら起業した方がええし、飛びたいなら自家用機の方が自由やし。むしろ好きなこと仕事にすると嫌いになるかもよ〜まあ、俺の友達のプロサーファーは楽しそうやけど!」と冗談を飛ばしてる竹本さんは多分商社マンになってもきっと上手くいってただろうなと思った。昔から出世するのは腕が立つ奴より弁が立つ奴、とは言ったもんだ。

僕の関心はあくまで再現性のある合格の方法論であった。『一次情報の集合知は限りなく正解に近づく唯一の方法』というのは野村さんの言葉だ。だから僕は個別のヒヤリングを重視して人と会うことに重心を置いている。

自社養成の試験は5次試験まである。
ざっくり言えば、筆記試験、ES、面接、適性試験、身体検査、最終面接だ。
大体どこの会社もこれに面接が1度多かったりする位である。

特に初めの筆記試験、ES、そして面接は他の会社も受ける為に準備し始めてたので何となくどうすればいいかは分かる。唯一想像がつかないのが適性試験だ。僕の予想は飛行機のシミュレーターだったのでそれを確認したかった。

「適性試験ってどんな試験なんですか?飛行機のゲームとかですかね?」と聞く。
「ま、それは言えないね!」と竹本さんはニヤリとする。
「この試験のことは口外せーへんようにって受験の時に言われてることを俺は守ってるだけやから悪く思わんとってな。袖にするつもりは無いんやで。ただ、俺が思うに上手さはあんまり見てへん気ぃするわ。運転って性格出るって言うやん、そんな所を見てるんとちゃうかな。知りたかったら巷のセミナーとか行けばあるのかも知れんな、俺はそういうの興味ないから行ってへんけど。というか実際やってみればわかるけど対策できる種類のもんちゃうと思うしな、まあ知らんけど。」

と関西弁で素を丸出しの竹本さんの語りっぷりから察するに多分適性試験が自社養成試験の幹ではない。

「自分で言うのもアレやけど、、やっぱ人間性やで。俺同期の自社養成の訓練生で合わへんやつおらんもん。」

多分これも事実だろう。

でも、知ってるのと知らないのとでは起きた事象に対して脳が反応出来るキャパシティが減ることは色んな本で読んだ通りだ。そして運動系の動作というのは1度やってるかどうかが肝なのだ。

てんかん患者で海馬を切除し、短期記憶の能力が無くなった人でさえ、反復の動作を数十分おきにさせると、つい15分前のことの記憶すら無いはずなのに徐々に上手くなっていくという描写実験は余りに有名だ。操縦幹の操作など、動作は筋肉に書き込まれる。

まあ、適性検査まで進めたらフライトシミュレーターなり何なりを買って練習すればいい、と思った。

『人間性を磨くにはどうしたらいいですか?』などという下らない質問はしないが僕の人間性はとにかく動くことだと思った。自分が動かなければ、景色は変わらない。

◆◆
その後、竹本さんとざっくばらんにお話をし、1時間程で解散した。

何でパイロットになりたいんですか、という質問に「えー、世界中行きたいやん!俺大学からアメリカにおったから色んな人いてさー、超面白かったんよね。やっぱ色々見たいと思ってもてさー。その為なら努力は惜しまへんで。」
という答だったのは自分と同じだ、と思って少し勇気付けられた。

◆◆
それにしても、当時は自社養成試験を受けれるのは1回きりだったのだ。だから僕は何とかして練習したかった。面接も適性検査も。

「パイロットって、むしろ適性が有るかどうかだよ。それは挑戦してみなきゃ分からないんだけど。」
という東さんの言葉が思い出される。

自分に適性があるのか、挑戦しておきたい。

そこで思いついたのは海外の自社養成試験だ。海外には「新卒採用」という概念が(あまり)無い。だから応募は年がら年中受け付けているのはマルタで知ったことだ。

英語で自社養成パイロットことをcadet pilot courseと言うらしい。あるいはcadet pilot programmeだ。

早速ググってみると幾つかあった。

航空会社で見つけたのが香港、中東、オーストラリアだった。その中でも香港の会社の自社養成試験は国籍不問だった。これなら応募できると思った。適性試験もありそうだ。

早速僕はレジメを書く。僕の人間性は考えるよりまず動いてみて考えることだ。応募する位なんのリスクも無い。
何もしていないのに結果の事を考えて何かを躊躇うのは非合理的だ。
これは野村さんの言葉ではなく持論である。

ES≒レジメ=海外で言う所のCV(Curriculum Vitae)である。

その香港のエアラインのCVにはフォーマットがあって、その内容には僕にとって大きく2つの問題点がある事に気付いた。

1.日本語の直訳では何ともならない英語での記述の壁。

2.やたらと多い、飛行時間やライセンス類の欄

問題点1については早速工学部に帰って上の階の研究室にいる同級生のディン君に添削の相談した。
僕の大学では3年生の時から研究室の体験的なものがあって彼は制御工学を学んでいた。

ディン君はマレーシアから留学生でうちの大学に入ってきているいわばnativeだった。TOEICも990点の彼なら間違いないだろう。ちなみに得意言語は英語よりFortranとC++という強者だ。

僕はブラックサンダーを手土産にして上の階へ行く。結果は快諾。
「へーいいじゃん!頑張って!」とのこと。僕は彼に何が出来るだろう、と考えてもすぐには思いつかなかったのでとりあえずありあわせのブラックサンダーを渡して「また書けたら来るね」とだけ言い残してラウンジに戻った。
借りた知恵はいつか知恵で返さなければならない。
が、今は半年以内に香港の会社の面接にこぎつけることが喫緊の課題だ。

問題点2に関して、僕は飛行機に関してはズブの素人。もちろんセスナの観光フライトレベルですら行ったことが無い。

今までの飛行時間の欄があるという事は会社にそれが求められているのだろう。
とりあえず、ライセンスの欄だけ「航空無線通信士受験予定」にしておいた。ついさっき竹本さんからそういう資格が必要だと聞いたばかりだった。

◆◆
あり合わせの知識で何とか欄を全て埋める。空欄が多くて少し寂しい感じだ。日本の就活では「空欄に対して9割埋める」みたいなのがあるらしいが、この時ばかりは「日本の常識は世界の非常識」という言葉を信じたかった。

朝から活動しっぱなしで青息吐息だったがその日のうちに原稿はできた。時刻は22時頃になっていたと思う。遅くに申し訳ないと思ったがディン"先生"に添削してもらう。

早いね!と褒められた。

「"Having read your homepage, I thought...."
か〜、もっと堅い感じに書けばいいんじゃない?たとえば
"Having read your website, I came to the conclusion that..."
とかどう?」

僕にはその違いはあまり分からないがこういった語彙やコロケーションはとても大事なんだそう。赤線の多さが僕の文章のクオリティの低さを確信させる。

「けっこう直したけど元の文が出来てたから添削しやすかったよー」とディン君。
彼は他人を褒めて伸ばすタイプだろう。いい教授になりそうだ。

一通り推敲してもらい、もう一度全体を見直してからwebのフォーマットに貼り付けsubmitボタンを押下する。

もし面接にでも進めたならブラックサンダー箱買いだな、と思った。

◆◆
待てども待てども香港から返信は来なかった。このコングロマリット感はさすがだ。

一応採用のメールアドレスにどうなったのか聞いてみる。すると2,3日で返信がきた。
「ご応募ありがとうございます。人事上の必要性が生じた場合にこちらからご連絡差し上げますのでどうぞお待ち下さい。」

すごく丁寧に断られた形だ。
まあフライトの経験が無いならそんなもんだろう。自分が人事ならやはり即戦力のフライト経験と香港でもやっていける英語力が欲しいと考えるはずだ。さらに欲を言えば広東語か。
ただの工学部の外国の学生をわざわざ雇う理由は…残念ながら無い。

◆◆
ちなみにこの1年半後、僕はその香港の会社で働く日本人の山田さんに質問する機会を得る。やはりHPに書かれていることは全体の1%も無いと思う。

ライセンシー(ライセンスを持ってる人のこと。ライセンサーは発給する側の人のこと。)の採用の要項を聞いた。
ナイトのNAVなどを含めて約250時間程が求められた。航空大学や東海大学等の訓練学校の卒業時のフライトタイムを調べたがこの時間には達しない。

山田さんは日本でCPL, INST, MULTIまで取得した後アメリカで訓練して合算し規定の時間に到達させたそうだ。そして色んなご縁があり今香港にいるとのことだ。日本の航空会社では飛んだことが無いから比較は出来ないが、とても風通しのいい社内で休みも多く、楽しいらしい。
ちなみに趣味はサーフィン。なぜかパイロットにはサーフィン好きが多い気がするが多分採用には関係無いと思う。

ただ、忘れてはならないのは山田さんはミドルネームも持つ帰国子女である。大学もアメリカの大学を出ていてICAO航空英語能力証明も本物のLEVEL6だ。「まあ、ICAOの6とか関係無いよ。面接で話せてるかどうかで全部わかるから、5でも話せるなら全然大丈夫だよ。」とは言っていたが間違いなくそのレベルが外資で働くスタンダードなのだろうと思った。

◆◆
この時、初めて自費ライセンスの道を少し考えた。フライトの経験と英語力さえあれば、どうにでも身の振り方は考えられると確信したからだ。

自社養成試験の開始は1週間後に迫っていた。
東さんの会社の採用情報が更新されないことだけは気になった。

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