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大注目のリュートの楽譜群がオークションに!

パソコンの故障その他いろいろありまして、しばらく記事が更新できずにいました。
久しぶりの投稿は、とてもホットな話題です。

みなさんは、サザビーズ(Sotheby's)というオークション会社をご存知でしょうか?頻繁に利用される方でなくとも(!)、一度は名前を聞かれたことがあるかもしれません。

サザビーズは、1744年に英国で操業を開始した世界最古のオークション会社です。
現在ではロンドンとニューヨークに拠点を構えていて、インターネットを利用したオークションの草分けでもあります。
ここを舞台に、世界の富豪たちが熱い競り合いを繰り広げてきました。

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サザビーズが取り扱っているのは、主に美術品・調度品
音楽のカテゴリーでも貴重なものが続々と出品されていて、古い楽器や楽譜、音楽に関係する書籍などが出品されると、にわかに話題を集めます。

このほど、17世紀および18世紀の貴重なリュートの楽譜が出品されて、つい先日落札されたばかり。せっかくなので、ことの次第を追ってみたいと思います。

まずはこちらをご覧ください。見るからに古く、また立派な装丁です。

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サザビーズの公式サイトから、大事な情報を拾ってみましょう。

Highly important early seventeenth-century manuscript of Italian and French lute music in French tablature, c.1620
(とても重要な、17世紀初頭の手稿譜。イタリアとフランスのリュート音楽の、フランス式によるタブラチュア。1620年頃)

ちなみに1620年というのは、日本で言えば徳川家康が没した4年後、ということになります。さらに追加の情報を。

Highly important early seventeenth-century manuscript of Italian and French lute music in French tablature, comprising some 320 pieces, INCLUDING THE LACHRIMAE PAVAN, JOHN DOWLAND'S MOST FAMOUS COMPOSITION AND THE MOST POPULAR PIECE OF MUSIC IN THE WHOLE OF THE FIRST HALF OF THE SEVENTEENTH CENTURY

手稿譜には約320曲を収めていて、その中にはジョン・ダウランドの最も有名な作品「ラクリメ・パヴァン」も入っています!とわざわざ大文字で記されています。しかも「ラクリメ・パヴァン」は、17世紀前半で最もポピュラーな音楽であったとも。

ONE OF THE MOST IMPORTANT LUTE MANUSCRIPTS OF THE SEVENTEENTH CENTURY. 
IT IS ALSO ONE OF THE MOST SUBSTANTIAL OF ALL EXISTING LUTE MANUSCRIPTS AND THE MOST SIGNIFICANT TO BE OFFERED AT AUCTION IN MODERN TIMES.
(17世紀のリュートのための手稿譜で、最も重要なものの1つ。
さらに、あらゆる既存のリュート写本の中で最も重要なものの1つであり、現代のオークションで提供される最も重要なものの1つ。)

これらも大文字で書かれていて、英語を直訳したらくどいほどですね。
さすがに盛り過ぎでは?とも思えますけども、落札を試みる人々の心をくすぐるには充分です。

気になる中身を見てみましょう。

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↑ こちらがその「ラクリメ・パヴァン」の部分です。サザビーズが公式サイトで公開したのは最初の見開き2ページ分だけですが、だいたいの感じはつかめます。
「ラクリメ・パヴァン」は人気曲だけあって、リュート用だけでも数えきれないほど多くのバージョンが存在しています(そのうちの一つを、よろしければ私の演奏でご覧ください!)。

しかし、この手書きの譜面を見る限りは、かなり粗雑な編曲であると判断せざるをえません。だいいち、リズムの表記が不十分で、書いた本人がなんとなく読めれば良いという感じで書いたか、あるいは即興演奏を曖昧な記憶で後になって書きつけたか、おそらくはどちらかだと思います。

そもそも不特定多数の人の目に触れる必要のない、こうしたプライベートな楽譜では、表記の正確さはそれほど重視されません。公開されている他のページを見ても、下書き程度の箇所があったり、小節線が後で付け加えられたと思われる箇所が多くあったりします。

公開されている他のページもどうぞ。

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やや癖のある筆跡に見えます。
相当慣れないと、これをそのまま読んで音にするのは難しそうです。

この手稿譜のそもそもの出どころはどこでしょう?
公式サイトでは、バイエルン地方ではないかとしています。

バイエルンといえばドイツ語圏に属しますが、タブラチュアのシステムは「フランス式」。なおかつ収められた曲はイタリアとフランス、そして先ほどのダウランドに代表される英国の曲・・
こうしてこの手稿譜が成立した当時におけるリュートという楽器の、非常に国際的な側面が浮かび上がってきます。

さて、次は気になる落札額
最終的においくらになったのでしょう?
公式サイトで見ると、こうありました。

Estimate: 120,000 - 180,000 GBP (落札見積価格:12万~18万ポンド)
Lot sold: 214,200 GBP (最終落札価格:21万4200ポンド)

日本円に換算すると・・お高いですね!
ちなみに9月17日時点で、1ポンド≒152円です。
お暇な方は、実際に計算してみて下さい。

サザビーズは出品者及び落札者の個人情報の管理には厳格で、それによってこの会社は長年の顧客から信頼を勝ち得ています。

ただし今回は、手稿譜の出品者はドルメッチ財団(The Dolmetsch Foundation)であることが前もって公表されていました。
財団の公式サイトはこちら

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↑ 財団の設立者、アーノルド・ドルメッチ(1858~1940)。

演奏・楽器製作・音楽学と多方面で活躍し、リュートをはじめとするヨーロッパの古楽器の復興に尽力した、古楽のパイオニアとして有名な人物です。
リュートの歴史についてまとめた以前の記事でも、彼の演奏する様子をご紹介しました。

このドルメッチ財団は、各種の演奏会を主催したり、音楽雑誌を刊行したり、古楽の啓蒙に尽くしてきたのですが、このたび財団のコレクションの根幹を成していた資料を、正体不明の所有者のもとに流出するのを覚悟でオークションに出したということは、ここ最近は経済的に苦しい状況に追い詰められていたのでは?とも推測されます。

もう1点、出品されたリュートの手稿譜がこちら。

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時期的には、先ほどの手稿譜より1世紀以上下るもの(18世紀半ば)と思われます。

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↑ 巻頭に書かれたメモ書きです。
1898年12月10日の日付とともに、リュートのために「交換した」(exchanged)とあるのは、どうしたことでしょうか。

この手稿譜の前の持ち主と引き換えに、ドルメッチが自身のリュートを渡したことを意味するのだすれば、その楽器もしかるべき価値を持つもの(オリジナル楽器?)だったと考えられます。このあたり、もっと詳しく調べる必要がありそう。

楽譜が始まる直前のページには、リュート音楽の世界では永遠のヒーローともいえる、こちらの人物の肖像画が貼り付けられています。

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↑ シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス(1686~1750)の肖像画。

サザビーズのサイトでは、手稿譜についてこのように紹介されています。

Important eighteenth-century manuscript of German, Austrian and French lute music, CONTAINING 249 PIECES FOR THE SOLO LUTE BY OVER 24 COMPOSERS, in French tablature, INCLUDING AROUND 50 PIECES BY SILVIUS LEOPOLD WEISS, THE GREATEST COMPOSER FOR, AND PERFORMER ON, THE LUTE IN THE EIGHTEENTH CENTURY, WHOSE MUSIC WAS AN INSPIRATION FOR JOHANN SEBASTIAN BACH.
(ドイツ、オーストリア、およびフランスのリュート音楽を収める重要な18世紀の手稿譜。24人以上の作曲家による、リュート・ソロのための計249曲が含まれる。その中には、18世紀においてリュートの最高の作曲家・演奏者であるシルヴィウス・レオポルド・ヴァイスによる約50曲も。彼の音楽は、ヨハン・セバスチャン・バッハにインスピレーションを与えた。)

ここでサザビーズが大バッハを持ち出してくるのは、決して唐突なことではありません。ヴァイスとバッハの個人的な関係についても、いずれこちらで書きたいと思います。
この手稿譜にはヴァイスの作品は50曲あり、そのうち19曲はここにしか現れない「ユニカ unica」と呼ばれます)ということも、表明されています。

THE MANUSCRIPT IS UNPUBLISHED IN ITS ENTIRETY AND HAS NEVER BEEN STUDIED COMPREHENSIVELY.
(この手稿譜はこれまで全体が公開されたことがなく、包括的な研究の対象となったこともない。)

さてさて、その中身は・・

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流麗な筆跡です。いくぶん書きなぐりの印象も受けた最初の手稿譜と比べると、こちらは明らかに「誰にでも読んで弾いてもらえる」ことを意図して書いたものだと思われます。

ちなみにカプリッチョ(Capriccio)と題されたこの曲、実際に弾いてみると、出だしがバッハの「あの曲」にそっくり(!)なことに気づきます。

ともあれこちらも、落札価格を確認しておきましょう。

Estimate: 80,000 - 100,000 GBP (落札見積価格:8万~10ポンド)
Lot sold: 119,700GBP
 (最終落札価格:11万9700ポンド)

先ほどの17世紀の手稿譜よりも、低い値が付きました。
音楽的な内容からして、写本全体としての価値はむしろこちらの方が高いと思われただけに、この結果については意外な感じもします。
まあそうは言っても、オークションでは一般に、相対的に古いものほど価格が上がりがちです。

ところで、オークションにかけられたリュートの楽譜といえば、ある悲惨なエピソードがあります。

サザビーズと並ぶオークションの大手、クリスティーズに、バッハの自筆によるリュート曲の楽譜が出品されて世界を驚かせました。2016年のことです。

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出品者は、今なお「お家騒動」が続き、経営難が取りだたされている都内の某私立音楽大学でした。この自筆譜はその音大に付属する図書館が所蔵していたものですが、国外のオークションに出されるまでの経緯が不審だったため、その点でも話題を呼びました。

落札した人物は不明です。中国の富豪という噂もあります
いずれにせよ、その後落札者は一切の資料の公開に応じていないため、図書館にあったときのように、この楽譜を「生で」見ることはもはや叶いません。

貴重なバッハの自筆譜を流出させてしまったことは、ある意味で日本の恥かもしれません。それがリュートの曲であればなおさら、私としてはとても複雑な気持ちになります。

クリスティーズのサイトには、現在もオークション終了時のデータが残っています。それによるとこのバッハの自筆譜の落札額は・・

GBP 2,518,500 251万8500ポンド。

お分かりでしょうか?

つまりたった4ページ分の楽譜に、先ほどの17世紀~18世紀の手稿譜の、それぞれ10倍以上の値がつきました。
バッハの名前が大きいとはいえ、これが現実です。

オークションは、時に残酷。

今回の手稿譜を落札した人物が、リュート音楽とその資料に対して、真の意味で理解のある方であることを、心から願うのみです。


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