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『覚えているか』(掌編小説)


 目が覚めると、見覚えのない少年がすぐ隣で椅子に座っていた。
 少年は本を読んでいる。見覚えがないとは言ったが、いつかどこかで見たことがあるような気もする。
 ただ、出会ったのはこれが初めてだということが、妙な確信として私の胸に落ちてきた。

「おはよう」

 少年は本から目を離さなかったが、微かな私の動きに敏感に反応したらしい。

「ここはどこか、知ってるかい?」

 怖がらせないようにできるだけ優しく、私は少年に向かってそう尋ねた。

「いつもの場所だよ」

 少年の答えは要領を得ない。
 そこで私は、少年が着ている服に見覚えがあることに気がつく。

「私がどれくらい眠っていたか、知っているかい?」

「そう長い時間じゃないと思うけれど。僕もそれほど本を読めていないし」

 少年は眠っている私の隣でずっと本を読んでいたのだろうか。少年の持つ本は、全体で凡そ400ページ程度だろうか。もし少年がずっと隣にいいたのだとすれば、成る程、確かに私はそれ程長い時間眠っていたのではないだろう。

 ここに至って私は漸く部屋を見渡した。
 小さな部屋。あるのは私が眠っていたベッドと、少年が座る木製の椅子が1脚。それに白い壁に半ば溶け込むようにして、薄い黄色の扉があった。
「出て行くの?」

 ベッドから立ち上がった私に、少年はやはり本から目を離すことなくそう聞いた。
 私は大きく伸びをしながら答える。

「あぁ、なんだか記憶が曖昧でね。外に出て、なんで私がこんなところにいるのかを誰かに聞いてみようかと思ってね。

 ……君も行くかい?」

 パンッ。

 大きな音を立てて、俄かに少年が本を閉じた。
 そうして勢いよく椅子から立ち上がる。

「漸くその気になったんだ。それじゃあ、僕も一緒に行かせてもらうよ」

 どういうことかと尋ねたかったが、この少年には何を聞いても碌な答えが返ってくるようには思えない。私は組んだ腕の片方を髭の生えた顎にやりながら、無言のうちに頷いた。

「後悔しないといいね」

 少年が言葉を続ける。
 私の後ろに立って、扉を開けるのを待っている少年はそれ以降、何も言葉を発しなくなった。
 少しの不気味さを感じながらも、私は金属製のドアノブを握る。冷んやりした中に、どうしてか熱を感じて私は思わずドアノブを離した。少年はそれでも黙っている。

 意を決して扉を開ける。
 目の前にはなんて事のない廊下があった。会社の廊下に似ているが、どこか雰囲気が異なっている。

「どこに行くのがいいと思う?」

 尋ねつつ振り返ると、少年の姿がない。
 狭い部屋では隠れようもないはずなのに、少年はどこにもいなかった。窓もないこの部屋からどこかに行くためには、この扉を使うしかないというのに。

 次の瞬間、私は今度こそ本当に目を覚ましていた。
 そうして目を覚ました私は、あの少年が誰で、何故あんなことを私に聞いてきたのか。
 その全てを理解していた。





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